2012年度 公開講演会 発表報告
開催日:平成24年12月1日 場所:東洋大学白山キャンパス6302教室
2012年度 公開講演会 発表報告
開催日:平成24年12月1日 場所:東洋大学白山キャンパス6302教室
インド仏教における比丘尼の妊娠や僧院生活での母性をめぐって
講演者:シェーン・クラーク氏(カナダ・マックマスター大学准教授、国際仏教学大学院大学国際仏教学研究所客員研究員)
(講演要旨)インド仏教における女性の出家生活に関する従来の学術研究は、こと妊娠や出産・授乳や育児に関して、比丘尼たちはそのようなことには全く縁がなかったといういとも明白な立場をとっている。実際、「比丘尼は子供を出産することなど決してなかった。彼女たちは婚姻生活は勿論のこと、社会的な繋がりを絶ち、親類縁者とも絶縁し、出家生活を送っていたと」いうような、いわば出家生活を美化して描いた説明が広く経典文学全般に散見される。
こういった経典文学によって培われたインド仏教の出家生活像とは一味違った姿が、律蔵には描かれている。律蔵には、規定のみが箇条書きに列挙された「波羅提木叉」部分と、その規定が制定されるに至った背景をつぶさに描いた「因縁譚」がある。因縁譚の中には、人間味あふれる登場人物が、出家後も両親や子供、果ては妻とまで持続的に関係を持ち続けていた様子が描かれたものもある。更に、比丘尼の出産や妊娠に纏わる話さえ幾つか存在する。
波羅提木叉の規定だけを読めば、妊婦や乳飲み子を抱えた女性たちは比丘尼になれなかったという印象を受けてしまいがちである。しかし、該当する因縁譚まで読むと、実際は、教団側が妊娠した比丘尼に便宜を図ったり、僧院での育児や尼僧院で母親業に勤しむことを支援したりする体制が、現存する律蔵の書き手や編纂者たちによって巧みに整えられていたことがわかる。例えば、因縁譚のとある物語りでは、ある比丘尼が赤ん坊を産んだにも関わらず、教団から追放されることなく、それどころか、そのまま居残って子を育てている。加えて、仏陀が他の比丘尼を母親の補助役に当てるよう命じる様子が描かれている。更には、生まれた子供が男子であったため、出産した比丘尼と補助役の比丘尼がその男児を腕に抱いたり、男児と添い寝をしたりすることを躊躇したところ、仏陀がそういった行為を認める様子が描かれている。
これらの因縁譚からは、たとえ稀有な出来事であったとしても、インドの尼僧院にて子供が生を受けるということはあり得ないことでは無かったことが窺える。加えて、尼僧院での比丘尼の妊娠や出産・授乳や育児などを支援したり母親業に便宜を図ったりすることは、律違反どころか、むしろ、律にのっとった出家生活のありかたであることが窺い知れるのである。詳しくは、ハワイ大学出版局より出版予定の拙著Family Matters in Indian Buddhist Monasticisms 『家族という一大事―インド仏教の僧院生活の中で―』を参照されたい。