日本の老年期における死と孤独
日本の老年期における死と孤独
本研究は 、 現代日本の老年期における死と孤独について 、 日常忌避 される傾向にある老・死・孤独をとらえ直すべく、文学、哲学、仏 教 、 道教 、 社会学 、 生命倫理 、 ヨーガ実践の領域においてそれぞれ テーマを掲げて研究を進めていき、その成果を公開の研究会での発表 や公開講演会 、 シンポジウムにおいて参会者を含めて相互に検討し 、 各分野の連関を探求することを目的とする。また、死と孤独について の理解が時代とともにどのように変遷していくかを探求することも重 要であるが、そのために古記録からの研究も欠かせない。この方面の 研究は以下の研究組織に示す通り 、 榎本客員研究員が担当する。
そして研究発表会やシンポジウムでの討議において、研究者と、参会者の方々とのコラボレーションとして意見を交え、幅広い年齢層の 参会者と 、 研究者が共に老いの可能性について検討し合う双方向の場 として 、 研究を進めていき 、 その討議の検討を踏まえて 、 研究を深化させていく。
研究組織は以下の通りである。
研究代表者 役割分担
高城功夫 研究員 研究総括 、 古代・中世文学にみる老いと死 と孤独
研究分担者 役割分担
谷地快一 研究員 俳諧を中心とした近世文学における老・ 死・孤独
神田重幸 客員研究員 近代文学における老いと死と孤独のあり方
山崎甲一 研究員 近・現代文学における老年期像および死生 観・孤独観
川崎信定 客員研究員 仏教における他界観と老年期の問題
渡辺章悟 研究員 生前の功徳と老年期における不安
相楽 勉 研究員 老年期の死と孤独に関する比較思想的研究
大鹿勝之 客員研究員 終末期の問題と老・死・孤独
菊地章太 研究員 道教における死生観と日本の習俗への影響
井上治代 研究員 死者祭祀の変遷にみる老・死・孤独のあり方
番場裕之 客員研究員 ヨーガ思想からみた老・死、日本のヨーガ受容と老・死
榎本榮一 客員研究員 古記録にみる死と老年観の変遷
平成23年度の研究経過は以下の通りである。
本研究の継続申請採択を受け 、 平成23年5月26日に打合会を開催 、 各研究者の研究計画を確認し 、 公開講演会・研究発表会の開 催について協議した。研究者の研究調査については、渡辺研究員は、 平成23年8月12日〜8月15日に高野山と奈良において、盆供養を通じた伝統宗教のあり方を調査した 。 また研究代表者の高城が9月11日〜9月14日 、 香川県の諸寺や金刀比羅宮に 、遍路札所、弘 法大師信仰 、 金比羅信仰の調査を行い 、 榎本客員研究員が11月14日〜11月16日 、 京都において『小右記』にみられる邸宅や寺社の 位置関係に関する調査 、 山崎研究員が平成24年1月13日〜1月15日 、 長崎市内において遠藤周作の死生観に関する遠藤周作文学館 の調査および『沈黙』や『女の一生』等作品の舞台の踏査、相楽研究 員が2月10日〜2月13日 、 「瀬戸内国際芸術祭」に取り組む活動が 過疎地の高齢者とコミュニティーにもたらす影響の調査を行った。そ して 、 井上研究員が2月27日〜2月29日、韓国・ソウルにお いて韓国の死者儀礼に関する調査を行っている。
研究発表としては 、 平成23年10月22日の研究発表会におい て番場客員研究員が「呼吸について―高齢者へ与える影響について―」と題する 、 呼吸法の実践を交えた発表を行い 、 参会者から大きな 反響があった。
そして 、 榎本客員研究員が12月3日の研究発表会において 、 「『小右記』にみられる追善供養」と題する発表を行った。この発表は、平 安時代の追善供養を考えるにあたり示唆に富んだものであった。 公開講演会は、7月9日に僧侶でイラストレーターの中川学氏 、 音 楽家で音楽療法を実践するロビン・ロイド氏を講演者に招いて「老年 期と向き合う」という標題のもと公開講演会・討論会を開催した。中 川氏とロイド氏は共著で『HAPPY BIRTHDAY Mr.B!』『1年に1度のアイスクリーム』を刊行し 、 中川氏がイラスト 、 ロイド氏が詩を 担当しているが 、 今回の講演会では 、 中川氏のイラストのスライドを 交えた講演 、 ロイド氏の音楽と講演、そして楽しい雰囲気の中での討 論と 、 普段の研究発表とは異なった、貴重な時間となった。
そして 、 3年間の研究成果をまとめた研究成果報告書を刊行した。
以下に 、 平成24年2月中旬までに行われた研究調査ならびに研 究発表会 、 公開講演会・討論会の概要を示す 。
分担課題「生前の功徳と老年期における不安」に基づく研究調査 渡辺 章悟 研究員
(金剛峯寺「萬燈供養会」と春日大社の中元萬灯籠を調査し 、 両者 の法儀の形式を比較研究することにより 、 盆供養を通じた伝統宗教の あり方を検討する 。 )
期 間 平 成23年8月12日 〜8月15日
調 査 地 和 歌 山 県 高 野 山 金 剛 峯 寺 、 霊 宝 館 、 奈 良 県 春 日 大 社
初 日 の8月12日 (金 ) 朝 に 自 宅 を 出 発 、 東 京 、 新 大 阪 経 由 で 高 野 山 に 到 着 。 金 剛 峯 寺 を 拝 観 し 、 奥 の 院 に 最 も 近 い 宿 坊 、 清 浄 心 院 に宿泊。
13日 (土 ) 午 前 中 に は 、 友 人 が 館 長 を し て い た 霊 宝 館 に て 重 文 の 仏 像 や 高 野 山 に 由 来 す る 歴 史 的 文 物 を 拝 観 。 午 後 に は 奥 の 院 の 中 ノ 沢 ま で 歩 き 、 そ の 全 体 像 を 把 握 。 上 杉 、 武 田 、 北 条 、 織 田 、 豊 臣 、 明 智 、 石 田 、 前 田 、 徳 川 と い っ た 戦 国 大 名 [家 ] の 墓 碑 や 法 然 上 人 な ど 歴 史 に 名 高 い 仏 教 者 の 墓 地 な ど を 見 て 歩 き 、 そ の 構 造 上 の 特 徴 を 調 査 し た 。 就 中 、 哲 学 館 の 出 身 者 で あ る 河 口 慧 海 の 墓 を 発 見 し た の は 大 い な る 収 穫 で あ っ た 。 夜 に な っ て 、 萬 燈 会 供 養 に 参 加 、 真 言 と 読 経 に よ る 壮 麗 な 法 儀 は 大 変 興 味 深 か っ た 。
14日 (日 ) の 午 前 中 に 酷 暑 の 奈 良 に 到 着 。 こ の 日 の 午 後 か ら 夜 に か け て 、 春 日 大 社 の 萬 燈 供 養 会 に 参 加 し た 。 周 囲 の 春 日 野 公 園 一帯 が 会 場 と な り 、 そ こ で は 高 野 山 と 異 な り 、 「蝋 燭 ま つ り 」 と 称 し て の お 祭 り の よ う で あ っ た 。 た だ 、 春 日 大 社 の 万 灯 籠 は 、 約800年 昔 か ら 行 わ れ て 来 た 伝 統 的 な 行 事 で あ り 、 境 内 に あ る3000基 の 灯 籠 は 、 藤 原 氏 の 時 代 か ら 現 代 に 至 る ま で 続 く も の で 、 夕 方 に は 本 殿 の 前 で 舞 楽 の 奉 納 が 行 わ れ た 。
な お 、 お 隣 の 東 大 寺 で は 、 こ の 日 の 夜 間 に 大 仏 殿 を 解 放 し 、 無 料 参 拝 で き る と あ っ て 、 た く さ ん の 拝 観 者 が い た が 、 夜 の 照 明 に 灯 さ れ た 大 仏 と そ の 脇 侍 で あ る 虚 空 蔵 菩 薩 と 如 意 輪 観 音 を 初 め て 間 近 で 見 る 幸 運 に 恵 ま れ た 。 東 大 寺 の 萬 燈 会 供 養 (15日 夜 ) は 大 仏 殿 内 で 、 僧 侶 が 『華厳 経 』 を 読 誦 し て 法 要 を 営 む も の で 、 是 非 参 加 し た が っ た が 、 残 念 な が ら 今 回 は 日 程 の 都 合 で 、 参 加 す る こ と は で き な か っ た 。
翌 日15日 (月) は 興 福 寺 の 教 え 子 に 連 絡 を 取 っ て 、 興 福 寺 を 参 観 し 、 夕 方 に 帰 着 。
研 究 調 査 活 動
分 担 課 題 「古 代・中 世 文 学 に み る 老 い と 死 と 孤 独 」 に 基 づ く 調 査 高城 功夫 研究員
(遍 路 札 所 、 弘 法 大 師 信 仰 、 お よ び 金 昆 羅 信 仰 に 関 す る 調 査 )
期 間 平 成23年9月11日 〜9月14日
調査 地 一宮 寺 ・屋 島 寺 (香 川 県 高 松 市 )、 金 刀 比 羅 宮 ・旧 金 昆 羅 大 芝 居 ・琴 平 町 立 歴 史 民 俗 資 料 館 (香川 県 仲 多 度 郡 琴 平 町 )、 金 倉 寺 (香 川 県 善 通 寺 市 )、 道 隆 寺 (香 川 県 仲 多 度 郡 多 度 津 町 )、 郷 照 寺 (香 川 県 綾 歌 郡 宇 多 津 町 )、 神 恵 院 ・観 音 寺 (香 川 県 観 音 寺 市 )、 本 山 寺 (香 川 県 三 豊 市 )
プ ロ ジ ェ ク ト の 調 査 で 、 香 川 県 の 調 査 を し た 。 ま ず 、 高 松 市 内 の 一 宮 寺 の 調 査 で 、 田 村 神 社 の 隣 接 し た と こ ろ に 鎮 座 し て い た 。 最 初 大 宝院と称し、法相宗に属していたのが後真言宗に改宗し、大師作という 聖観音が本尊である。次に84番札所屋島寺の調査をした。屋島と いっても陸続きであって、岬になる。唐僧鑑真和上が難波への途次屋 島に立ち寄り草建したと伝える 。 のち弘法大師が11面観音を自刻 し 、 本尊としたと伝える 。 そののち山岳仏教の霊場として隆盛した が 、 源平の戦乱で衰退したなどの歴史のある所である。次に金毘羅官 奥社まで参拝し 、 琴平信仰を調査した 。 旧金昆羅大芝居の金丸座の外 環を見学し 、 琴平町立歴史民俗資料館の36歌仙篇額を見学した 。 次に76番札所金倉寺の調査をした 。金倉寺は、智証大師の事蹟が 目立った。本尊薬師如来は、智証大師の刻像と伝える。次に77番 道隆寺を調査。和気道隆によって桑の大樹の薬師仏を安置、体内仏も 弘法大師ゆかりの少仏 。次に78番郷照寺で阿爾陀如来が本尊、行 基による開創 、 のち一遍上人によって再興されたため時宗に改めてい る 。次の68番神恵院と69番観音寺は同一境内にある。それぞ れ阿爾陀如来と聖観音を祀っており、70番の本山寺は五重の塔が目 立つ寺で 、 馬頭観音を本尊としている寺である 。
分担課題「古記録にみる死と老年観の変遷」に基づく調査 榎本 榮一 客員研究員
(平安時代中期 、 藤原実資の日記『小右記』にみられる邸宅の位置 や 、 禅林寺・革堂等の寺社の位置関係等を実地調査する。)
期間 平成23年11月14日〜11月16日
調査地 京都市
14日 、 藤原実資の邸宅 、 小野宮邸跡として 、 鳥丸丸太町を下った 京都商工会議所に行くが確認できず。上京区役所に行きその場所を確 かめる 。 実資が娘千古と行ったことのある革堂・行願寺のあった辺と される一条油小路を上った処を調査する。一条戻り橋を経て、安倍晴明の邸跡とされる晴明神社に行く 。晴明神社の西に藤原行成の建てた 世尊寺の跡を調査したが確認できず。次いで夕闇の中、加茂の斎王の 居所斎院の跡とされる裸谷七野神社の境内で 、 その石碑をみる 。
15日 、 『小右記』に下・上賀茂神社で読経供養。諷誦を修するこ となどが度々みられる、上賀茂神社および下鴨神社に行く。上賀茂神 社は小野官とはかなりの距離があることが確認できた。次いで実資が 座主深覚と親交もあり 、 妻を改葬し追善供養を行った禅林寺(永観 堂)に行く 。 禅林寺の南の一角に建った南禅寺にも行き 、 寺域の広大 であったことを調査した 。また祇園感神院である八坂神社に行く 。
16日 、 小野宮があった処とされる商工会議所の西 、 松竹町を調査 するが 、 標柱などをみつけることはできず。京都御所の一般公開に参 加 。 平安京内裏を縮小した紫震殿・清涼殿ではあるが 、 古記録を理解 するのに大いに参考になった。六角堂を経て、京都文化博物館に行く が 、 平安京に関する展示はなかった。また六道の辻を調査する。
分 担 課 題 「近・現 代 文 学 に お け る 老 年 期 像 お よ び 死 生 観 ・孤 独 観 」 に 基 づ く 調 査 山 崎 甲 一 研 究 員
(遠 藤 周 作 の 死 生 観 の 研 究 の た め 、 遠 藤 周 作 文 学 館 の 調 査 の ほ か 、 長 崎 市 内 に お け る 『沈黙 』 『女 の 一生 』 等 の 作 品 の 舞 台 を 踏 査 す る )
期 間 平 成24年1月13日 〜1月15日
調 査 地 長 崎 市 内 (遠 藤 周 作 文 学 館 ほ か )
以 下 の 日 程 で 、 遠 藤 周 作 の 老 年 期 像 及 び 死 生 観 を 確 認 す る た め 長 崎 市 内 他 の 、 「沈 黙 」 「女 の 一生 」 (一部 ・二 部 ) の 作 品 舞 台 、 切「 支 丹 の 里 」 等 の 随 筆 舞 台 を 踏 査 し た 。