平成17年10月8日 東洋大学白山校舎スカイホール
平成17年10月8日 東洋大学白山校舎スカイホール
『中華若木詩抄』の配列について
瀧澤 安隆 奨励研究員
〔発表要旨〕室町末期、月舟寿桂門下の如月寿印によって編まれた『中華若木詩抄』という抄物がある。この抄の特徴は、中国と日本の詩人を交互にならべてあることと、これらの詩を選んだ編者が自らそれらの詩に抄(注解)を行っている点である。この抄があることによって、当時の禅林内における詩作について、いろいろ考える手がかりを本抄は与えてくれる最適な資料なのである。
この抄には序・跋がないために、はっきりした編纂意図はわからないのであるが、編者と抄者が同一であることによって推測は可能なのである。先学の研究によって実用本位の啓蒙書であるという性格は導き出されたのであるが、今回の発表ではそれらを踏まえた上で、その実用が実践と結びつくためにどのように教えるのが妥当かという、教育的な面がこの抄の配列に注目することによって鮮明となることを述べさせていただいた。従来は、語学的な面や表現論的な点でのみ扱われてきた本抄であるが、本来この抄が編まれたであろう目的である、禅僧の必須教養たる詩作を身につけるという教育面を見なくては、本抄の性格を誤るおそれがあるのである。本抄は、禅僧の詩作について考える絶好の資料であり、さらに大きく禅林全体の詩作という大きな問題を考える第一歩として、本抄を分析したのである。
本抄は類纂ではないため、その配列には何らかの意図が反映されていたはずである。本抄の場合、編者と抄者が同一であるという、稀有な好条件であるために、その抄を読むことでその意図を見出せるとともに、禅林では何が求められていたのかということもわかるのである。いまその全体の配列をみると、詩だけをみるとその配列は、無造作で脈絡がないようにしかみえいのであるが、抄によってそこには如月なりの教育的な配慮がなされての配列であることを指摘させていただいた。その配慮に潜まれた思いにも思いめぐらせることで、伝記が不明な如月その人についても考えてみたのが、今回の発表ということとなる。
静遍『続選択文義要鈔』概説
熊田 順正 奨励研究員
〔発表要旨〕静遍(1166ー1224)『続選択文義要鈔』は法然『選択集』の続編としての意味合いを含むが、同時に真言系浄土教の典籍としても捉えることができる。真宗高田門徒の顕智写本(下巻)が現存し、他に顕智要文集等に断章が引用されている。本発表においては、『続選択文義要鈔』の教理の綱要について論じた。
『続選択文義要鈔』の教理に関するしっかりとまとまった研究は、石田充之氏以後殆ど研究されていないという状況である。また東国初期真宗の思想動向を探る1資料として検討されたことはこれまで皆無といっていい。
また筆者の研究テーマは「親鸞と東国初期真宗の研究」であるが、『続選択文義要鈔』の研究は、高田門徒研究から別開したものである。
本発表において、第1章では静遍の略歴について述べ、第2章で、『続選択文義要鈔』全体の構成と概略について説明した。第3章では、『続選択』全体を貫く基礎としての理智事3点説について解説した。第4章は静遍の念仏論について検討した。浄土宗は来世往生を規模とし、原則として末法の悪世における現身往生を語らない。しかし静遍は、「口称念風心蓮即開」とある如く、口称の念風によって、自心の未敷蓮華を開敷させ、現世において自証成仏することを説く。浄土宗の立場では第18願は来世往生を説くと規定するが、静遍は本願念仏往生と自証成仏とは同意であると解釈する。よって口称念仏を選択することは法然と同じだが、その中身は明らかに法然と異なるものである。第5章では頓教一乗を中心とした判教論についての章立てをしたが本発表では省略した。
そして以下のごとく結んだ。法然『選択集』を基準として思想的な位置づけを考えれば、積極的に法然の念仏を擁護しようとする護教的立場でもなく、明恵のごとく法然の念仏を摧破するという立場でもない。その内容を考察してみれば、題目に「続」とあるがごとく、法然の念仏に、新たな意味を付加していこうとする立場といえる。就中、本願念仏往生と真言宗の心蓮自証成仏とを同一であると解釈するがごとく、密教的意義を付加するところに本書の特色があるといえる。