2011年度 公開講演会 発表報告
開催日:2011年12月3日 場所:東洋大学白山キャンパス6201教室
2011年度 公開講演会 発表報告
開催日:2011年12月3日 場所:東洋大学白山キャンパス6201教室
現代日本人の死生観について
―死生学と生命倫理との関係から―
講演者:中根 弘之 氏(東洋大学文学部哲学科非常勤講師)
〔講演要旨〕
本講演は、現代日本の死生観の変化について、死生学と生命倫理の発展を交えて概括した講演である。死生学や生命倫理は、その性質上、我々の死生観と不可分に結び付いている。終末期のケアの在り方や、尊厳死、安楽死といった諸問題は、我々の持つ理想的な死のイメージを欠いて論じることができない。我々はかつて、葬送儀礼や供養祭儀に立ち会うことを通して、自らが所属する伝統的共同体の中で通用する死のイメージを自然に共有することができた。しかし、今日、我々は、そうした共同体での生活を離れ、死のイメージも個々人が自発的に作り出さなければならなくなっている。とりわけ、死生学や生命倫理は、患者自身の意思に従って医療従事者が適切な治療とケアを行うことを謳っており、″私らしい死″のイメージを持つことを患者1人1人に要求しているのである。
近年、こうした事態に対応するかのように、″私らしい死″の迎え方に焦点を当てた書籍も数多く出版され、死生観をめぐる議論は活発になったように思われる。しかし、こうした死に方の自由化にともなう諸変化は、本当に死生観を豊かにする、望ましい出来事であるのだろうか。講演者は、近年の葬送にまつわる動向として、直葬、永代供養墓、散骨、手元供養、等の諸事情を取り上げ、むしろ逆に死が軽んじられているのではないかということを問いかけた。つまり、死にゆく人が生ある人に対して「迷惑をかけない」ことを念じるあまり、死後の世界観そのものが極めて空虚になっているように思われたのである。
さまざまな技術、産業の発達によって、我々は死者と直に対面せずに済むようになった。現在、死は病院で訪れ、葬儀にまつわる労力も葬儀社が肩代わりしてくれる。そのような現状の中で、我々は、死にまつわる忌々しく、厭わしい側面を直視しない。それゆえ、従来、長い期間と小さくない労力をかけ、少しずつ死の痛みを和らげながら死後の世界に死者をおくり届けてきたにも関わらず、今日では、簡潔な儀礼によって容易に死後の世界に死者をおくってしまう。このように簡素化した葬送のあり方は、当然、死後の世界のイメージから深みや厚みを奪ってしまうことになるだろう。しかし、一方で映画「おくりびと」が大ヒットしたように、我々は、死者を丁重に死後の世界に″おくる″ことを大切に考えてもいる。今後、様々な形で死が論じられるにせよ、死者と誠実に向き合い、死を直視することによって、我々は真に血肉を持つ死生観を涵養しえるのではないか、と問いかけて本講演のまとめとした。