平成13年5月26日
平成13年5月26日
クシェーメーンドラの作品中の仏伝資料
岩井 昌悟 研究員
クシェーメーンドラは11世紀にカシュミールで活躍した詩人である。彼はヒンドゥー教徒(ヴィシュヌ派)であった。彼はいくつかの作品の末尾に自伝的記述を記しており、彼があるバーガヴァタ派の師の薫陶を受けてヴィシュヌ神を信仰するようになったことはそこに明記されている。
彼の最晩年の著作である、ヴィシュヌ神の10の化身(アヴァターラ)のそれぞれの所行を描いた『ダシャ・アヴァターラ・チャリタ』(AD1066年成立)の、第9章「ブッダ・アヴァターラ」は、ヴィシュヌ神の化身としてのブッダの物語である。
『アグニ・プラーナ』や『ヴィシュヌ・プラーナ』では、ヴィシュヌは、神々に敵対するアスラをだまして堕落させる教義を説く為に、ブッダに化身する。クシューメーンドラがヒンドゥー教徒であるので、彼の描くブッダも同様のものではないかという予想は、ここでははずれてしまう。確かに、ブッダが誕生時に歩く歩数が仏教徒の伝承の7歩ではなく、ヴィシュヌの属性として相応しい3歩になっている点等、多少、仏教徒の伝承との差異が見受けられるが、全体的には、マーヤー妃から生まれ、成長して出家し、菩提樹下で成道し、衆生を救済する、仏教徒が伝えるようなブッダの伝記である。
それでは、クシェーメーンドラは、現存する仏教徒の伝える諸々の仏伝文学の中の何れを見ていたのであろうか。クシェーメーンドラは、「ダシャ・アヴァタータ・チャリタ』より以前に、108章からなる膨大な仏教説話の集成『アヴァダーナ・カルパラター』(AD1052年成立)を著していて、その中の3つの章、第23章「父子合集」、第25章「出家」、第26章「降魔」と「ブッダ・アヴァターラ」と比較してみれば、前者が後者の素材になっていることが分かる。そして、『カルパタラー』のその3つの章は、それと非常に近似した伝承を根本説一切有部の律中に見出すことができ、また、実を言えば、『カルパタラー』全体の108章中、半数以上の説話が、根本説一切有部の律中の説話と深い関係を有している。
但し、仏教教団の出家者ではもちろんなく、ましてや、仏教徒でさえなかったクシューメーンドラが、仏教徒の律文献を直接参照するとは考え難いので、彼の知っていた仏教徒の伝える仏伝は、根本説一切有部の律から派生した文献であったに違いない。
クシューメーンドラはヒンドゥー教徒でありながら、『カルパラター』では仏教徒の伝承を忠実に、また、晩年の「ブッダ・アヴァターラ」では、ブッダをヴィシュヌの化身と見なしつつも、反仏教的ではない仏伝を著した。現代に生きる我々は、古典期の人間を教条主義、セクト主義にとらえがちであるが、その反証の一例を、11世紀のカシュミールに生きたクシェーメーンドラに見ることができるのではないだろうか。
安然撰『教時問答』における随自意・随他意について
土倉 宏 研究員
安然(9世紀後半の台密論師)の主著『教時問答』では、台密教判思想の代表としての四一教判が説かれる。一仏義・一時義・一処義・一教義を展開する四一教判は、そのまま一大円教論の展開でもあり、安然の融会的教判思想を示すものとして重要な概念といえる。
しかし、『教時問答』巻3、巻4において、14箇所(私自身の数え方によるもの)に亘って展開される随自意・随他意を精査していくと、安然の教判思想が決して単純なものではなく、特に一大円教論については、円仁の一大円教論との微妙な違いのもとに、安然自身の一大円教論が展開されていることが分かるのである。随自意・随他意について簡潔に説明すれば、仏の自意なる教えを示す随自意は価値的に上位に位置し、仏が衆生の機に応じて説く教えを示す随他意は価値的に下位に位置する、ということになる。また随自意・随他意は3語として随自意語・随自他意語・随他意語のように展開する場合もある。
今回の発表では、14箇所の随自意・随他意のうち、4箇所の随自意・随他意を取り上げた。4箇所とは便宜上〈第1の随自意・随他意〉〈第2の随自意・随他意〉〈第4の随自意・随他意〉〈第7の随自意・随他意〉と私自身が命名したものである。発表にあたって冒頭に、安然の教判思想の前提となった、『大日経』の五種三味道、『大日経義釈』の五種真言、五種三味道、大空三味、さらに円仁撰『金剛頂経疏』の五種三摩耶経、一大円教論を引用して説明し、次に円仁の一大円教論と安然の一大円教論との微妙な違いを、狭義一大円教と広義一大円教という私自身の考え方によって考察することを提示した。
以上のような説明を経て、それぞれの随自意・随他意の検討に入っていった。結論として、〈第1の随自意・随他意〉〈第2の随自意・随他意〉では、随自意として広義一大円教、随他意としての狭義一大円教が(安然の意図として)示されていることを(私の判断のもとに)明らかにした。〈第4の随自意・随他意〉では、随自意語として狭義一大円教、随自他意語として唯理秘密教、随他意語として諸三乗教が(安然の意図として)示されていることを(私の判断のもとに)明らかにした。〈第7の随自意・随他意〉では、随自意語として広義一大円教・狭義一大円教、随自他意語として唯理秘密教、随他意語として諸三乗教が(安然の意図として)示されていることを(私の判断のもとに)明らかにした。
最後に、今回取り上げた4箇所の随自意・随他意で、安然は広義一大円教に力点を置いた教判論を展開している、と纏め発表の締め括りとした。