日本宗教文化の総合的研究
日本宗教文化の総合的研究
研究調査活動
研究課題「日本近世文学文化と宗教」に関する調査・研究
中山 尚夫 研究所員
期間 平成14年8月19日~8月21日
調査地 伊勢市及び伊勢神宮とその周辺
右記研究課題のもと、井原西鶴の文学『東海道中膝栗毛』等に頻出する、江戸時代庶民たちの伊勢参宮の実態を調査・研究するため、伊勢市及び伊勢神宮とその周辺に出張した。
伊勢神宮門前の「お蔭横町」に設置された「お蔭参り」の模様を再現した施設や、江戸時代の伊勢参宮者達が宿泊した古市の旅籠を見学・宿泊して当時の賑わいぶりを実感、十返舎一九自筆の扇面も見ることができ、有意義な調査であった。又、当時の人々が更に足を延ばして礼拝した浅熊山や二見浦も見学、彼らの信仰の盛んさを知ったばかりでなく、日本人の信仰の歴史を垣間見ることができた。
研究課題「北陸地方の宗教と文学」に基づく調査
竹内 清己 研究所員
期間 平成14年8月27日〜8月30日
調査地 佐渡・新潟・寺泊
新潟市内から新潟港、佐渡汽船にて両津港へ。さっそく妙法寺と若宮神社と北一輝の碑を調べる。本間家能舞台に、佐渡能の実態に触れた。能といえば、流罪となった世阿弥の跡をたずねることとなった。佐渡歴史伝説館は、世阿弥のみならず、承久の変で流された順徳上皇、日蓮などの映像、人形での紹介に出合った。上皇の真野御陵、皇子皇女の墓を調べた。さらに寺泊、出雲崎に良寛由縁の寺社を訪ねた。
寺泊の密蔵院に良寛、白山媛神社に北前船の由縁と出合う。最後の出雲崎で、良寛の生れ育ちの由縁の場をゆっくり味わい、川端康成「美しい日本の私」の良寛記述との連関を感じとった。
研究課題「万葉挽歌と古代の喪葬習俗」の研究のための実地調査
菊地 義裕 研究所員
期間 平成14年9月13日〜9月15日
調査地 奈良県明日香村及び生駒郡三郷町、大阪府柏原市地域
「日本宗教文化の総合的研究」の一環として、奈良県明日香村・三郷町周辺地域の実地踏査及び橿原考古学博物館、奈良国立文化財研究所飛鳥資料館、飛鳥藤原宮跡発掘調査部での関連資料の見学・収集を目的に、右記の期間出張した。実地踏査では、万葉挽歌に詠まれた両地域の故地を歌に表現された古代の風土を念頭にたどるとともに、明日香村南部の檜隈地域に集中する終末期古墳をその構造や位置に注目してめぐった。また、博物館・資料館では、特に古墳や墓所関係の資料および宮都・寺院関連の資料に注目して見学し、あわせて近時公刊の関連資料の収集につとめた。
これまで上代文学の万葉挽歌と古代の喪葬をめぐっては、葬儀への奉仕者に注目して分析を進めているが、今回の踏査・見学では、その点にかかわって、高松塚古墳の石椰の中に描かれた壁画の女子像・男子像に改めて注目すべきことを実感した。また、万葉挽歌の盛時である藤原宮の時代に採用され、普及した火葬についても、仏教思想の浸透といった問題に加えて、広く薄葬思想の受容にも目を向けて、火葬採用前後の喪葬習俗の動向やそれを背景とする万葉挽歌の表現についての分析を進めなければならないと感じた。
研究課題「日本近世期新儒教徒の宗教思想」に基づく研究調査
土佐の陽明学資料調査
吉田 公平 研究所員
期間 平成14年11月7日〜11月10日
調査地 高知市立図書館・高知大学 他
高知市民図書館にて、幕末明治期の陽明学者である奥宮慥斎・暁峰兄弟、奥宮健之を代表者とする、奥宮文庫の調査を行った。明治期の自由民権運動の背景をなし、漢学の世界について光をあてられることがないのを遺憾とするが、所謂陽明学者と呼称される人々を中心にして、より多様な運動体であったことを明らかにする見通しがみえた。高知市立自由民権記念館において、在地の研究者による研究状況・研究成果を知ることができたことは大きな収穫であった。特に中江兆民などについて。
中村市立図書館に赴いて、中村支藩ゆかりの漢学関係について調査をしたが、たびかさなる水害のために基本資料が流失したことが判明した。しかし、幸徳秋水の顕彰会が、ほそぼそながら活動しており、今後、近代自由民権運動と、漢学・陽明学とを研究する端緒が見出せたことは収穫であった。土佐学の展望を現地の人々と模索したい。
研究課題「近世俳諧師と宗教」に基づく研究調査
谷地 快一 研究所員
期間 平成14年12月24〜25日
調査地 岐阜県関市(広瀬惟然、弁慶庵 他)
24日は昼過ぎに関市着。昼食後に弁慶庵訪問。庵主の沢木美子氏と対談し、関市に残る惟然関係資料の所在や風羅念仏保存に関する関市の取り組みの実態について話を伺う。沢木氏の話によれば、急な訪問ゆえ、保存会による風羅念仏は見られないが、明日であれば風羅念仏のテープを聞かせてもらえるという。それを約束して、弁慶庵に展示されている美濃の狂俳関係資料や惟然の複製資料を拝見、撮影し、弁慶庵内の句碑、供養碑の調査をして初日終了。
25日は午前中に約束の風羅念仏(テープ)を聞かせてもらい、惟然一変する思いがした。後日コピーを送っていただく約束をして、弁慶庵を出る。昼食後、惟然墓所香積寺、関所跡、陽徳寺、貴船社等の遺跡を見学して帰途。惟然に影響を与えたかと言われる、円空入定の地への訪間は叶わなかった。
研究課題「草木成佛について」に基づく研究調査
伊藤 宏見 研究所員
期間 平成15年1月18〜1月19日
調査地 書写山円教寺・摩耶山
1月18日、曇、のち小雨。姫路駅より、旧武家屋敷の好古園にて中食、市役所員の原田治氏の案内にて山上へは夢前川を越え、ロープウェイ、山上駅より奥の院までの約2キロの道、西国の札所摩尼殿観音堂(舞台造り)、ここに室町期の大地蔵の石瞳を発見、そこから更に伽藍へと巡る。食堂(2階造り)、大講堂(2階造り)、常行堂など、まことに偉観を呈しており、草木成佛の思想家、道達のおもかげを偲ぶ。それより開山堂(性空上人)、崖上に和泉式部の歌塚があり、石造の異形室篋印塔である。■の種子は、鎌倉時代のものと推定する。各所を拝し、日暮近くになって下山、山上の中に幽邃な谷多く、花山院をはじめ、多くの歴史上の人物の登山の跡をたどることができた。山上では文献調査は無理と判った。次回は姫路市博館を目あてとする所存。
19日、小雨、日中やや烈しく降る。三ノ宮駅より、車にて、摩耶山ケーブル駅、ロープウェイにつながり、天上寺へ一路下る。浄嚴師、副住持の案内にて、寺伝と現況を聞く。釈尊の母摩耶夫人の浄土切利天に因んで、天上寺という。インド僧、法道仙人の開山。歴代天皇の勅願寺。江戸時代に蕪村等、俳人の奉納俳句が多いが燒失し、旧観を失うが、密教の伽藍の復興につとめている。