平成16年7月10日 東洋大学白山校舎1205教室
平成16年7月10日 東洋大学白山校舎1205教室
フランスの挿絵入り新聞『イリュストラシオン』から見た幕末維新
朝比奈 美知子 研究員
〔発表要旨〕本発表は、フランスで1843年に創刊された週刊新聞『イリュストラシオン』に掲載された日本関係記事から日本の幕末維新の諸相を探ろうとするものである。この分野に関しては、横浜開港資料館から『「イリュストラシオン」日本関係記事集』(全3巻)という題名で、フランス原本に掲載された日本記事の複写資料が編まれている。筆者は、この資料集を底本とした翻訳を試みた(『フランスから見た幕末維新』東信堂、2004年4月)。記事の分量が膨大であることから、訳出するのは、創刊から1900年までに刊行された記事とした。本発表は、その仕事に依拠するものである。
『イリュストラシオン』紙は、その題名が示すとおり、記事の内容を補足する挿絵が豊富に掲載されていることを特徴とし、創刊当時から良質の情報紙として注目を集め、1944年まで約100年にわたって刊行されつづけた。また同紙は「総合新聞」という副題を持ち、政治・外交・軍事問題から文化・娯楽にいたるまで収録記事の守備範囲の広さにより知られている。19世紀、とくに後半期は、産業革命を経て社会が拡大し、対外的にも、フランスをはじめヨーロッパの列強が帝国主義政策を世界各地へと進めた時代である。それによってもたらされる世界各地の情報は、『イリュストラシオン』紙においても大きな関心事であり、日本のみならず世界中の国についての記事が登場する。
日本に関する記事が同紙にはじめて掲載されたのは1847年。以来日本には、とくにフランスから見て重要な事件が起こった時期を中心に、かなり多くの紙面が割かれてきた。訳出を試みた時代、すなわち19世紀の後半期は、日本が西洋の影響を受けながら従来の鎖国状態に終止符を打ち、近代国家へと急速に変貌していった時代である。
今回の発表では、主として幕末期の記事にあらわれた日本の姿を検討した。幕末期の日本を見る『イリュストラシオン』記者の視線できわだっているのは、まず、カトリック教国としての立場が強調されていることである。複数の記事が一致して、フランスは英米に比べれば植民地経営の才能は劣るものの、カトリックの擁護と伝播を担うことで、フランスのアイデンティティを確立するのだという並々ならぬ自負を表明している。一方、日本の当時の状況のなかでフランス人が着目するのは、なんといっても鎖国である。これは「進歩」と「文明化」を信奉する近代フランスにとっては認めがたい旧弊であるという。フランス人記者は、それを徳川の専制政治と密接に結びつけ、この体制が、日本人の民衆が本来持っている活力を殺ぎ、国の発展を妨げているのであり、「革命」が必要なのだとする。ちなみに、大政奉還をはじめとする1連の変革は、同紙では一貫して「革命」と呼ばれている。1連の記事の日本分析の姿勢は、革命によって浮上した良識あるブルジョア階級を主たる読者とした『イリュストラシオン』という新聞の性格をも浮き彫りにしていると言えるだろう。
時間の制約から、発表は幕末期の日本像に限ったが、最後に比較の対象として、日清戦争周辺期の記事の例を引き、日本を見るフランス人の視線にかなりの変化が生じていることを示唆した。
新井奥邃(1846―1922)
―朱子学者からキリスト者へ―
吉田 公平 研究員
〔発表要旨〕仙台藩の養賢堂で朱子学を修めた新井奥邃は 、 幕末維 新の政変期に函館でキリスト教に開眼し 、 森有礼の仲介で渡米しハリ スの下で献身すること27年 。 帰国後に 、 同調者に示した特異なキ リスト教理解のために 、 識者の間では高く評価されていた 。 近年 、 主 著の『奥邃広録』が影印され新たに新『新井奥邃全集』全10巻が刊行さ れて(既刊8册) 、 本格的な研究の基礎が整いつつある。
新井奥邃の著作は 、 朱子学の概念を駆使してキリスト教神学を開示 したものであるという読後感がいかにも濃厚なのである。これまで専 らキリスト教神学(或いは社会思想史)の立場から読み解かれること が多かったような印象が強い。其の折りに新井奥邃が説明概念に用い ている漢語漢文が朱子学 、 広くは新儒教の用語であることをどの程度 に理解されているのであろうか。新井奥邃の世代は新儒教が思想形成 の最大の滋養源であったこと 、 新井奥邃が帰国した日本の思想界の状 況は洋学が制度世界では首座を占めつつあったとはいえ 、 この時代に 活躍した哲学宗教界の担い手たちにとっては 、 漢語漢文の世界が洋学 よりは自由であったこと 、 ましてや一般の読書界では新儒教の用語が 世俗化して用いられていた時代である。
謙和社では請われて新井奥邃が『大学』の講義をしたことがあると いう 。 朱子の主著である『四書章句集注』の世界は新井奥新井奥邊は月並みなキリスト者ではなかった。それだけに多分野の人 には自家 薬籠中のものであった。『中庸章句』の序文は百も承知。若い時に吸 収した思索の資源は自由自在に活用された。とりわけ新井奥邃の自我・良心」論がこの朱子の 「人心・道心」論の変奏で ある 。 新井奥邃には新儒教 を資源にした言説ばかりで はなく 、 『老子』『荘子』を 論評するという形でキリス ト教理解を開陳していると ころもある 。 そればかりで はない 。 仏教・神道にも言 及している 。 新井奥邃には 次の発言がある。
何教にせよ 、 何学にせよ 、 其中に真の人道の含まる々あれば、其含まる々限りは即ち基督教にし て 、 これに背ける者は総て邪教なり。仮令基督教の標札を掲ぐと雖も、 是れ邪教なり 。 基督教の標札を掲ぐれば掲ぐ程、愈々益々邪教なり。 (信感三)
新井奥邃は月並みなキリスト者ではなかった。それだけに多分野の人が読解作業に参加することが新井奥邃理解には欠かせない。これほど に興味の尽きない巨人である。