平成12年5月20日
平成12年5月20日
大地母神の比較宗教学試論―北欧精神史の理念と方法―
中里 巧 研究所員
本発表では、精神史の理念と方法や、北欧における青銅神・沼地民俗・癒し信仰など大地母神神話素を概説して、日本という有意味性体系へ如何にアクセスしうるか、また、大地母神の比較宗教学が如何に構想可能か、をスライドとビデオを用いながら提示してみた。 ここ数年、無文字資料を含めた日常性の研究について、フイールドワークを行いつつ研究を進めてきているが、無文字資料であれ、文字資料であれ、それぞれに様々な文化・価値観を背景としたアイデンティティがある。こうしたアイデンティティを有意味性体系と呼ぶ。この言葉は解釈学的人類学者ギアツによるものだが、なぜこのような言葉を使うかというと、各個人あるいは小集団のアイデンティティを示すとき、文化や価値観といった言葉では、その適用範囲が広いためふさわしくないからである。
こうした有意味性体系について北欧地域におけるフィールドワークから説明してみると、例えば、デンマーク郊外にある考古学センターの中に沼地があり、この沼地から多くの壺や神々の像が発掘されている。ここでは沼地は窪地のことでもあるが、この沼地の底は霊界・冥界といった死後の巧世界が示されている。ここでの底は底なしであると捉えられていて、沼地、あるいは窪地が死と生の一体性を表している。
また、現在ノルウェーに29しか残されていない木造教会(スターヴ教会)のうち、ノルウェー北西部にある、1300年代に建てられ、癒しの教会として数100年位置づけられていたロルダール教会をあげてみると、まずその教会の内廊には多くの節の穴が見受けられる。それは中にはいることができない癩病者が覗いたものである。そして教会の壁には十字架等が無数に彫られている。これをカーヴィングというが、この教会の祭壇の内廊部分にはおびただしい数の十字型のカーヴィングがみられ、これは癩病に代表される不治の病にかかつた人々が癒しを願った痕跡と見て間違いがない。ここで注目すべき点は、こうした癒しの伝承が残っているスターヴ教会のほとんどが、湖や小さな池に接している、ということである。そこで、先述の沼地信仰における生と死の一体性にみられるような大地母神信仰の流れが、キリスト教の文化体系を受け入れた後でも、人々の意識の深層あるいは古層に変容しつつも保管されてきたのではないか、と考えられる。
こうした沼地信仰と、日本における大地母神信仰に相当するものとの連関性を考えてみると、孟蘭盆会が1つの事例として考えられる。孟蘭盆会に見られるように、日本では、死んだ子供の霊が親の前に姿を現すと、親は悪霊として退けることなく喜んで迎え入れることだろう。その証拠に死んだ娘の霊と父親との出会いを題材とした小説がベストセラーとなり、映画化されている。すなわち、家族の絆が生死を越えて存続するという考えは、現代日本の有意味性体系においても存続している、といえるのである。こうした生死を越えた家族の絆が北欧地域における大地母神信仰と、形態としていかに関わるかはこれからの課題であるが、有意味性体系の構造としては、こうした形での比較可能性が考えられる。
老苦をうたう―山上憶良の場合―
大久保 廣行 研究所員
老病死や貧といった人間苦を文学のテーマとして取り上げたのは、山上憶良が最初である。ここでは老苦について「哀世間難住歌」(5804・805)を手がかりに考えてみたい。
これは神亀5年(728)7月21日、筑前国嘉摩郡において、「反惑情歌」(800・801)および「思子等歌」(802・803)と共に「撰定」した第3作である。
題詞は「世間の無常を悲しむ歌」であることを意味しており、「世間」と共に歌中に多用された「世の中」は、先立つ旅人の、「報凶問歌」(793)の「世間虚仮」あるいは「世間空」の認識に基づいている。
序文は、「百年の賞楽」に比して「八大の辛苦」の排い難きことが古今の嘆きとなってきたとし、今一章の歌を作ることで「二毛の嘆」を撥おうという。つまり「世間難住→八大辛苦→二毛」と具体化し、この歌が老苦の哀嘆を主題としたものであることを予告する。
長歌は57句から成る長大なもので、冒頭の「世の中のすべなきものは」として示した2つの内容(導入部8句)は、展開部(46句)に受け継がれて具体的に深まりを増し、終結部(3句)で統合されるという整然たる構成法をとる。とりわけ展開部の2つの対比は顕著で、瞬時に流れ去るものとして、華やかな娘盛りの時代、勇壮な男盛りの時代、彼らの交歓の日々を描き、それを追うようにして襲い来るものとして、女性の自髪化と顔面の皺の現出、男盛りの喪失、人から忌み嫌われる老残の急迫を挙げる。両者は明と暗のくっきりとした対照をなし、叙述は交互に進行する。
反歌も長歌の終結部と同じ構造にあり、題詞を承けて、「世の事なれば留みかねつも」と哀嘆する。
まさに生の果ての老いのあり方に焦点を当てたのが当該の一首で、「老醜無慙」ともいうべき限界状況をリアルに描き上げている。憶良は老を嘆く中心主題を仏典類に求め、結構・表現等を中国詩に倣って作歌したのであった。
長歌展開部の娘子部分に見られる3つの異文は作歌時の初案と考えられ、これに思い切った整理の手を加えて、「老よし男」部の集中性と衝撃性を図ったのが「撰定」の意味するところであろう。
嘉摩3部作で示した惑苦・愛苦・老苦のテーマは、世間苦3部作として一括しうるが、第1・3作が壮者と家族との関係を扱っているのに対して、第3作は家族は全く捨象され、老者の世人からの疎外という構図で、あとには孤独と死しかない、救われ難い現世の最終の苦を描いて見せた。しかし、その辛苦から逃避することなく、無常の襲来をすべなきものとして正面から受け止め、それを追究する文学的営為の中に、憶良は自己救済を見出していたのである。