平成14年7月6日
平成14年7月6日
聖域とGeomancy
― 巨石文化と初期木造教会の構造比較―
中里 巧 研究所員
1.聖域年表
lang dysseは農耕石器初期BC5500年。長さは90〜250㍍で、幅は7〜8㍍。農耕石器中期になるとrund dysse。直径は15㍍前後。青銅器時代になると、jagtstue。直径は5㍍前後で、出入り口が付く。鉄器時代はBC500年以降で、Høj。高さは約5㍍で、直径は約8㍍。
初期スターヴ教会は、AD850〜1100年頃。4㍍4方の大きさであり、きわめて小さい。中期スターヴ教会は、AD1100〜1200年頃。規模は2〜3倍に大きくなり、さらに西側祭壇半円部が外側にせり出す。後期スターヴ教会は、AD1200〜1300年頃で、会衆と司祭あるいは俗と聖が明確に区別されるようになる。教会は、さらに大規模となる。
2.ドルメンの特徴
lang dysseは、中央に2基の石室がつくられているばあいが多い。石室が小振りであることから、豪族の長を埋葬したか、中央石室を祭壇として、儀式を行っていたと思われる。lang dysseの異様な長さは、農耕民として定着する以前の、狩猟採集民としての移動生活を懐古するものと思われる。のちの巡礼や歩行修行と原型と思われる。以後のドルメンが円形となるのは、完全に定着したことのあらわれと考えられる。
3.スターヴ教会の構造変容
ドルメンの発展と変容が、スターヴ教会においても、反復されていることに注意すべきである。初期スターヴ教会の祭壇はおおいのばあい石の祭壇であり、必ずしも地域とは関係ない。ボルグントスターヴ教会などの石の祭壇には、中央が直径1㌢の穴があり、動物血痕の痕跡がある。ボルグント教会に限らず、現存するスターヴ教会のおよそ半分は、新石器時代の聖域上に建設されたと考えられる。
スターヴ教会は初期から一貫して、祭壇部は円形であり、rund dysseを思わせる。後期スターヴ教会では、回廊が周囲を取り巻いており、さながら巡礼行を彿彿させる。聖と俗が分離することによって、精神的には聖域が遠くなるわけであるが、この遠さは、lang dysseの異様な長さと類似した関係を持っている。なぜなら、信徒は、西の出入り口から東の祭壇にむかって、会衆部をすすみ、さらに聖所にあたる部分を超えて、ミサに望んだと考えられるからである。スターヴ教会のばあい、後期になって逆に、新石器時代の初期の聖域形態を懐古しているわけである。
4.geomancyの発想と技法
なぜ、そこに聖域があるのか。これが、実際にフイールドワークをして、5年に渡って30基中17基現地調査してきた結果としての素朴な疑間である。
2年前から、実験考古学的にダウジングを試みて、L字ロッドがほとんどの教会の祭壇部でクロス反応することを突き止めた。中里のみでなく、現地の協力者も実験してみたが、同じ結果であった。
古代人は、例えばヒーリング現象といつたように、何か生理的・物理的に身体に影響を及ぼす土地や場所を、聖域と確定したのではないか、その古代入技法がダウジングであり、geomancyではないか、という仮説を立てて、現在検証方法もふくめて、検討しているところである。
癒しの伝承をもつスターヴ教会は、ほぼ4分の1であり、水と何らかの関係がつねに見られることなども興味深い。
安然撰『菩提心義抄』における5教思想に関する1考察
土倉 宏 研究員
日本台密思想の大成者・安然(9世紀末)には2つの主著がある。
1つは『教時問答』であり、今1つは『菩提心義抄』である。よくいわれることは、前者には融会的(異なるものを1つに融じ、会していく)思想が、後者には廃立的(異なりを明確にし勝劣を決していく)思想がそれぞれ顕著であるということである。以上のことは基本的な前提といえるのであるが、両主著を精査してみると、ことはもう少し複雑である。『教時問答』における融会的思想は、決して廃立的な面を除外したものではなく、『菩提心義抄』における廃韻立的思想もまた、融会的な面を無視した所に成立するものではない。
今回の発表では、廃立的思想が濃厚といわれる『菩提心義抄』を取り上げ、その複雑な構造の一端を考察してみた。『菩提心義抄』の廃立的思想は5教思想というものによく表われている。5教思想とは蔵・通・別・円・密の5つの教えを挙げ、その勝劣を強調していくものである。5教思想で特に問題となることは、「円」が何を意味し、「密」が何を意味しているかということである。
『菩提心義抄』の5教思想はさまざまに展開されているが、そのうち、後代の学者によって最もよく取り上げられる箇所は、第5巻・末(日蔵43・632下〜633上)の5教思想である。ここにおける「円」は法華・華厳・維摩・般若等であり、「密」は大日等である。これとほぼ同様なのが、第1巻・末(日蔵43・459下〜460上)の箇所で、ここにおける「円」は法華・無量義・華厳であり、「密」は大日等である。
しかし、第1巻・本(日蔵43・426上〜427上)では「円」が無量義、「密」が法華・大日等を意味している。第2巻・本(日蔵43・468下〜469下)では、「円」が華厳・般若・起信論であり、「密」が大日である(法華は「円」にも「密」にも明確に位置付けられていない)。
また、第2巻・末(日蔵43・499上〜502上)と第3巻・末(日蔵43・538下)では、「円」が法華(あるいは法華・華厳)で、「密」が大日等である。この2箇所において共通しているのは、ともに与奪の2論を用い、与論においては円密一致、奪論において密勝を唱えていることである。与論に重きを置けば、法華と大日等とは同等で、大日等の勝を強調せずという立場となって、台密独特の融会的思想に傾くのである。
以上、菩提心義抄』の5教思想は極めて複雑な構造になっているといえるのである。