日本の老年期における死と孤独
日本の老年期における死と孤独
本研究は、現代日本の老年期における死と孤独について、日常忌避される傾向にある老・死・孤独をとらえ直すべく、文学、哲学、仏教、道教、社会学、生命倫理、ヨーガ実践の領域においてそれぞれテーマを掲げて研究を進めていき、その成果を公開の研究会での発表や公開講演会、シンポジウムにおいて参会者を含めて相互に検討し、各分野の連関を探求することを目的とする。また、死と孤独についての理解が時代とともにどのように変遷していくかを探求することも重要であるが、そのために古記録からの研究も欠かせない。この方面の研究は以下の研究組織に示す通り、榎本客員研究員が担当する。
そして研究発表会やシンポジウムでの討議において、研究者と、参会者の方々とのコラボレーションとして意見を交え、幅広い年齢層の参会者と、研究者が共に老いの可能性について検討し合う双方向の場として、研究を進めていき、その討議の検討を踏まえて、研究を深化させていく。
研究組織は以下の通りである。
研究代表者 役割分担
高城功夫 研究員 研究総括、古代・中世文学にみる老いと死と孤独
研究分担者 役割分担
谷地快一 研究員 俳諧を中心とした近世文学における老・死・孤独
神田重幸 客員研究員 近代文学における老いと死と孤独のあり方
山崎甲一 研究員 近・現代文学における老年期像および死生観・孤独観
川崎信定 客員研究員 仏教における他界観と老年期の問題
渡辺章悟 研究員 生前の功徳と老年期における不安
相楽 勉 研究員 老年期の死と孤独に関する比較思想的研究
大鹿勝之 客員研究員 終末期の問題と老・死・孤独
菊地章太 研究員 道教における死生観と日本の習俗への影響
井上治代 研究員 死者祭祀の変遷にみる老・死・孤独のあり方
番場裕之 客員研究員 ヨーガ思想からみた老・死、日本のヨーガ受容と老・死
榎本榮一 客員研究員 古記録にみる死と老年観の変遷
平成23年度の研究経過は以下の通りである。
本研究の継続申請採択を受け、平成23年5月26日に打合会を開催、各研究者の研究計画を確認し、公開講演会・研究発表会の開催について協議した。研究者の研究調査については、渡辺研究員は、平成23年8月12日〜8月15日に高野山と奈良において、盆供養を通じた伝統宗教のあり方を調査した。また研究代表者の高城が9月11日〜9月14日、香川県の諸寺や金刀比羅宮に、遍路札所、弘法大師信仰、金比羅信仰の調査を行い、榎本客員研究員が11月14日〜11月16日、京都において『小右記』にみられる邸宅や寺社の位置関係に関する調査、山崎研究員が平成24年1月13日〜1月15日、長崎市内において遠藤周作の死生観に関する遠藤周作文学館の調査および『沈黙』や『女の一生』等作品の舞台の踏査、相楽研究員が2月10日〜2月13日、「瀬戸内国際芸術祭」に取り組む活動が過疎地の高齢者とコミュニティーにもたらす影響の調査を行った。そして、井上研究員が2月27日〜2月29日、韓国・ソウルにおいて韓国の死者儀礼に関する調査を行っている。
研究発表としては、平成23年10月22日の研究発表会において番場客員研究員が「呼吸について―高齢者へ与える影響について―」と題する、呼吸法の実践を交えた発表を行い、参会者から大きな反響があった。
そして、榎本客員研究員が12月3日の研究発表会において、「『小右記』にみられる追善供養」と題する発表を行った。この発表は、平安時代の追善供養を考えるにあたり示唆に富んだものであった。
公開講演会は、7月9日に僧侶でイラストレーターの中川学氏、音楽家で音楽療法を実践するロビン・ロイド氏を講演者に招いて「老年期と向き合う」という標題のもと公開講演会・討論会を開催した。中川氏とロイド氏は共著で『HAPPY BIRTHDAY Mr. B !』『1年に1度のアイスクリーム』を刊行し、中川氏がイラスト、ロイド氏が詩を担当しているが、今回の講演会では、中川氏のイラストのスライドを交えた講演、ロイド氏の音楽と講演、そして楽しい雰囲気の中での討論と、普段の研究発表とは異なった、貴重な時間となった。 そして、3年間の研究成果をまとめた研究成果報告書を刊行した。以下に、平成24年2月中旬までに行われた研究調査ならびに研究発表会、公開講演会・討論会の概要を示す。
分担課題
「生前の功徳と老年期における不安」に基づく研究調査
(金剛峯寺「萬燈供養会」と春日大社の中元萬灯籠を調査し、両者の法儀の形式を比較研究することにより、
盆供養を通じた伝統宗教のあり方を検討する。)
渡辺 章悟 研究員
期間 平成23年8月12日〜8月15日
調査地 和歌山県高野山金剛峯寺、霊宝館、奈良県春日大社
初日の8月12日(金)朝に自宅を出発、東京、新大阪経由で高野山に到着。金剛峯寺を拝観し、奥の院に最も近い宿坊、清浄心院に宿泊。
13日(土)午前中には、友人が館長をしていた霊宝館にて重文の仏像や高野山に由来する歴史的文物を拝観。午後には奥の院の中ノ沢まで歩き、その全体像を把握。上杉、武田、北条、織田、豊臣、明智、石田、前田、徳川といった戦国大名[家]の墓碑や法然上人など歴史に名高い仏教者の墓地などを見て歩き、その構造上の特徴を調査した。就中、哲学館の出身者である河口慧海の墓を発見したのは大いなる収穫であった。夜になって、萬燈会供養に参加、真言と読経による壮麗な法儀は大変興味深かった。
14日(日)の午前中に酷暑の奈良に到着。この日の午後から夜にかけて、春日大社の萬燈供養会に参加した。周囲の春日野公園一帯が会場となり、そこでは高野山と異なり、「蝋燭まつり」と称してのお祭りのようであった。ただ、春日大社の万灯籠は、約800年昔から行われて来た伝統的な行事であり、境内にある3000基の灯籠は、藤原氏の時代から現代に至るまで続くもので、夕方には本殿の前で舞楽の奉納が行われた。
なお、お隣の東大寺では、この日の夜間に大仏殿を解放し、無料参拝できるとあって、たくさんの拝観者がいたが、夜の照明に灯された大仏とその脇侍である虚空蔵菩薩と如意輪観音を初めて間近で見る幸運に恵まれた。東大寺の萬燈会供養(15日夜)は大仏殿内で、僧侶が『華厳経』を読誦して法要を営むもので、是非参加したがったが、残念ながら今回は日程の都合で、参加することはできなかった。
翌日15日(月)は興福寺の教え子に連絡を取って、興福寺を参観し、夕方に帰着。
研究調査活動分担課題
「古代・中世文学にみる老いと死と孤独」に基づく調査
高城 功夫 研究員
(遍路札所、弘法大師信仰、および金昆羅信仰に関する調査)
期間 平成23年9月11日〜9月14日
調査地 一宮寺・屋島寺(香川県高松市)、金刀比羅宮・旧金昆羅大芝居・琴平町立歴史民俗資料館香(川県仲多度郡琴平町)、金倉寺(香川県善通寺市)、道隆寺(香川県仲多度郡多度津町)、郷照寺(香川県綾歌郡宇多津町)、神恵院・観音寺(香川県観音寺市)、本山寺(香川県三豊市)
プロジェクトの調査で、香川県の調査をした。まず、高松市内の一宮寺の調査で、田村神社の隣接したところに鎮座していた。最初大宝院と称し、法相宗に属していたのが後真言宗に改宗し、大師作という聖観音が本尊である。次に人14番札所屋島寺の調査をした。屋島といっても陸続きであって、岬になる。唐僧鑑真和上が難波への途次屋島に立ち寄り草建したと伝える。のち弘法大師ガ11面観音を自刻し、本尊としたと伝える。そののち山岳仏教の霊場として隆盛したが、源平の戦乱で衰退したなどの歴史のある所である。次に金毘羅官奥社まで参拝し、琴平信仰を調査した。旧金昆羅大芝居の金丸座の外環を見学し、琴平町立歴史民俗資料館の36歌仙篇額を見学した。次に76番札所金倉寺の調査をした。金倉寺は、智証大師の事蹟が目立った。本尊薬師如来は、智証大師の刻像と伝える。次に77番道隆寺を調査。和気道隆によって桑の大樹の薬師仏を安置、体内仏も弘法大師ゆかりの少仏。次に78番郷照寺で阿爾陀如来が本尊、行基による開創、のち一遍上人によって再興されたため時宗に改めている。次の68番神恵院と69番観音寺は同一境内にある。それぞれ阿爾陀如来と聖観音を祀っており、70番の本山寺は五重の塔が目立つ寺で、馬頭観音を本尊としている寺である。
分担課題
「古記録にみる死と老年観の変遷」に基づく調査
(平安時代中期、藤原実資の日記小『右記』にみられる邸宅の位置や、禅林寺・革堂等の寺社の位置関係等を実地調査する。)
榎本 榮一 客員研究員
期間 平成23年11月14日〜11月16日
調査地 京都市
14日、藤原実資の邸宅、小野宮邸跡として、鳥丸丸太町を下った京都商工会議所に行くが確認できず。上京区役所に行きその場所を確かめる。実資が娘千古と行ったことのある革堂・行願寺のあった辺とされる一条油小路を上った処を調査する。一条戻り橋を経て、安倍晴明の邸跡とされる晴明神社に行く。晴明神社の西に藤原行成の建てた世尊寺の跡を調査したが確認できず。次いで夕闇の中、加茂の斎王の居所斎院の跡とされる裸谷七野神社の境内で、その石碑をみる。
15日、『小右記』に下・上賀茂神社で読経供養。諷誦を修することなどが度々みられる、上賀茂神社および下鴨神社に行く。上賀茂神社は小野官とはかなりの距離があることが確認できた。次いで実資が座主深覚と親交もあり、妻を改葬し追善供養を行った禅林寺(永観堂)に行く。禅林寺の南の一角に建った南禅寺にも行き、寺域の広大であつたことを調査した。また祇園感神院である八坂神社に行く。
16日、小野宮があった処とされる商工会議所の西、松竹町を調査するが、標柱などをみつけることはできず。京都御所の一般公開に参加。平安京内裏を縮小した紫震殿・清涼殿ではあるが、古記録を理解するのに大いに参考になった。六角堂を経て、京都文化博物館に行くが、平安京に関する展示はなかった。また六道の辻を調査する。
分担課題
「近・現代文学における老年期像および死生観・孤独観」に基づく調査
(遠藤周作の死生観の研究のため、遠藤周作文学館の調査のほか、長崎市内における『沈黙』『女の一生』等の作品の舞台を踏査する)
山崎 甲一 研究員
期間 平成24年1月13日〜1月15日
調査地 長崎市内(遠藤周作文学館ほか)
以下の日程で、遠藤周作の老年期像及び死生観を確認するため長崎市内他の、「沈黙」「女の一生」(1部・2部)の作品舞台、「切支丹の里」等の随筆舞台を踏査した。
(1月13日)羽田12時発 長崎空港14時15分着。・〔島原城内資料館〕で島原の乱にまつわる資料、特にかくれキリシタン関係の歴史的遺物を見学する。〔雲仙の地獄谷〕でキリシタン殉教の碑と雲仙・邪見・お糸地獄を巡る。
(1月14日)・〔遠藤周作文学館〕にて遠藤文学の老年期とキリスト教との関係資料を調査する。〔外海地区〕キリシタンの里を歩く。・〔外海歴史民俗資料館〕で外海の歴史、特にカクレキリシタンと民俗資料を見学。〔ド・口神父記念館〕〔出津教会堂〕神父の福音伝道と住民の福祉に貢献した遺品を見る。〔黒崎教会堂〕かくれ切支丹黒崎村の信徒の信仰を学ぶ。
(1月15日)〔大浦天主堂〕〔浦上天主堂〕で信徒発見の歴史を学ぶ。浦上で日曜ミサを見学する。〔長崎歴史文化博物館〕で海外交流史・長崎奉行所。キリシタン関連の資料を学ぶ。予定の踏査が早めに終了し、長崎空港15時5分発羽田16時30分着で帰京した。
「瀬戸内国際芸術祭」に取り組む ART SETOUCHIの活動が過疎地の高齢者とコミュニティーにもたらす影響についての、現地の関係者、住民への聞き取り調査
相楽 勉 研究員
期間 平成24年2月10日〜2月13日
調査地 香川県高松市庵治町(大島)と直島町
10日は定刻通り出発し直島に夕刻に到着。
11日は主として直島の中心部本村地区を調査。まず町役場で直島の現状についての情報を得たうえで、「家プロジェクト」といわれる現代アート企画と地元の人々のかかわりを見て回る。過疎地区ではあるが、一昨年の瀬戸内国際芸術祭をきつかけに人も来るようになったという話を聞く。高齢世代が恒久設置作品の管理運営にかかわっていた。午後遅く、本村港より高松にわたった。
12日は大島を訪問。現在は月に2日間だけアートセトウチの展示を行っているが、この展示もハンセン氏病療養施設の入所者の方々との共同制作である。今回は「大島の身体展」と題された展示がなされていた。この近辺とカフェ「シヨル」で入所者(元患者)の方々3人に話を聞いた。過酷な隔離生活を余儀なくされた高齢者たちであるが、生活に楽しみを見出す前向きな姿勢に強い印象を受けた。
13日午前は男木島の現状を調査し、午後予定の便で帰着した。
研究発表会
平成22年10月22日東洋大学白山校舎第3会議室
呼吸について
―高齢者へ与える影響について―
番場 裕之 客員研究員
発表要旨〕「呼吸」は、道教の養生法が背景となっており、それが表すように、吐くことが主で、吸うことが従であるという意味である。これは、『荘子』の「吹陶呼吸、吐故納新」に根拠した、中国的呼吸観によるものである。我々の呼吸観もこの影響を強く受けている。
しかし、生理には、呼と吸を逆にした入出息と捉えるのがもっとも自然な捉え方である。インド的呼吸観に照らし合わせると、入出息とする用例が多々見受けられる一方で、仏教文献にも出入息とする用例も見いだせる。
中国的呼吸観における呼吸の統御が、不老長寿のための養生法であったのに対して、インド的呼吸観では、解脱に向かうヨーガ行法の1つとして取り扱われている。これは、呼吸の統御に関するもっとも特徴的な相違となっている。
Yoga- sūtra では、入息svasā、出息praśvāsa と説き、入息―出息の順で表される。『大安般守意経』をはじ額め多くの文献で、安―āna が入息を、般―apāna が出息を意味する入息―出息で表されている。これは、出生後はじめて息が入息であり、死に臨んで最後に行うのが出息であるという、生命活動と呼吸との関わりから捉え方られたものである。他方、『修行道地経』では、出息―入息で説かれ、 Viśuddhi -maggaによると、経、律の解釈によって、異なった両説を引用している。しかし、生理的呼吸のように、呼吸を直観的に捉えるならば、出息―入息に対する入息―出息の優位性は疑うべくもない。
また、『抱朴子』なとでは、鼻孔から入息し、口から出息すると記されている。『天台小止観』でも、「次当開日、吐去胸中械気。」と説かれ、貝原益軒の『養生訓』でもこれらと同様に記されている。このように、わが国日本でも、道教思想を直接間接に導入し、鼻孔入息、口腔出息という中国的呼吸観が強く根付いたと考えられる。
しかし、臨時の場合以外、生理的呼吸は鼻孔呼吸である。 Viśuddhi -magga Aitareya-Upa.や Bhagavad-gītāなど多数の文献で鼻孔呼吸が説かれ、インド的呼吸観と鼻孔とのつながりが深いことがうかがえる。
呼吸は生きている証である。老若男女によらず、深い鼻孔入息によって充実を感じ、ゆっくりとした鼻孔出息によって弛緩と安堵を覚える。インドの伝統が伝えるように、入息はいのちそのものであり、息が続くことに安堵と喜びを感じるものといえるであろう。
研究発表会
平成23年12月2日東洋大学白山校舎6201教室
『小右記』にみられる追善供養
榎本 榮一 客員研究員
〔発表要旨〕『小右記』は平安時代中期の貴族である藤原(小野宮)実質の日記である。『小右記』が記録する追善供養には様々なものがある。その中では実資の近親に関するものが多い。この時代先考先批(両親)に対して、亡くなった後にも「孝養」として追善供養が行われていた。実資は祖父であり養父でもある実頼に対しても忌日法要を行っている。忌日法要を例年行っていたのは、実頼の他、両親と2人の妻がみられる。
追善供養の内容は、斎食(ただし、僧を以て代わりに斎食させることもある)、諷誦、法華経・般若心経等の経供養および読誦・講説、行香などである。その追善供養が行われた場所は、実頼と実父斉敏は実頼の父である忠平が建立した法性寺の東北院で行われた。母である藤原尹文の女の場合は道澄寺で行われた。また最初の正室である源惟正の女は、周忌法事は比叡山の東塔常行堂で行われたが、周忌日および周忌以後の忌日の法事は天安寺で行われた。2番目の正室である婉子女王は、禅林寺に改葬され周忌法事および忌日法事も禅林寺で行われた。また周忌法事には婉子女王の母方の伯父と兄弟が参列している。これら母の道澄寺、正室2人の天安寺・禅林寺はそれぞれの実家と何等かの関係する寺であろう。
姉の室町尼君は、逆修をしていて没後の追善供養は必要ないと遺言していたからか、7日毎の日に当たらない日に法事が行われた。ただ忌日の法事を行った記事はみられない。
生前に受戒し法名を薬延とした娘は七歳に充たないで没したため一人前の人としての葬送は行われず、亡骸は東山の麓鳥辺野に棄てられたが7日毎の法事は行われた。ただ周忌・忌日の法事についての記事はみられないが、この子のための追善の記事が年を経ても時々みられる。また7日毎の法事の内初7日と37日に珍皇寺で諷誦を修したことがみられる。この珍皇寺は平安京の庶民がこの寺で誦経してから亡骸を鳥辺野に葬ったとされる所であり、また精霊迎の寺ともされる所である。
追善供養の定例化した日としては、初7日から77日と1年の周忌およびそれ以後の忌日が認められる。この時代すで100箇日が成立していたともされるが、『小右記』では確認できない。
追善供養で最も多く用いられる経典は法華経である。その法華経8巻を4日ないし5日間で講説しまた論義を行う法会が法華八講である。法華八講には忌日始修とするものと忌日結願とするものがある。年中行事化したものとして藤原忠平のための法性寺、藤原兼家のための法興院、円融天皇のための円融寺、東三条院藤原詮子のための慈徳寺、一条天皇のための円教寺などの法華八講がみられる。円融天皇および一条天皇の場合は国忌として行われた。ただこの頃になると法華八講を病気平癒など追善供養とは別の目的で行われるようにもなり、また政治権力を示す場ともなりつつあった。
公開講演会・討論会「老年期と向き合う」
平成23年7月9日東洋大学白山校舎6201教室
絵本「Happy Birthday Mr. B!」生老病死を描く
中川 学 氏(僧侶・イラストレーター)
〔講演要旨〕音楽療法士として老人ホームで活動を続けているロビン・ロイドさんが、実際にふれあったお年寄りとのエピソードを詩にし、それにイラストレーターであり僧侶でもある僕が絵をつけたものが「Happy Birthday Mr. B!」という絵本です。
家のお寺で行っている演奏会でロビンさんに演奏をお願いしたのが縁で、ロビンさんに、老人ホームを回ったときに書きとめた詩にイラストを付けてもらえないかと頼まれました。
その詩を読ませていただいたところ、老人の孤独が表現されているような、考えさせられる詩もあったので、世の中の表層部分の、若くて元気で綺麗できらきらした部分ばかりを描いてきている僕が、死に至るまでの方たちの心情を綴った詩に何も描くことができないと、最初はお断りしようと思ったのです。
しかし、お断りしようと決めた日の夜、お風呂の中で考えまして、読ませていただいた詩には老いも出てきますが、それはやはり死に繋がっていて、病も出てくるし、全体的に生きるということが書かれている。生老病死というテーマは、やはりお坊さんの僕が描かなきゃいけないのではないか、と思って引き受けることにしたのです。
この絵本を出して1番うれしかったことは、施設で働いている人達がとても喜んでくれたことです。嘘はやはり描けないと、描く前にロビンさんに音楽療法の現場に連れて行ってもらって見学させてもらったり、スケッチさせてもらったりしたのですが、こんなのはきれいごとではないかとか、現場はこんなものではないとか、そういう言葉が来るかと思ったのですけれども、そういうことをおっしゃる人はいなくて、ほんとによく描いてくれたねと言われたので、とても安心しました。
1番描きたかったのは、歳をとっていくということのかわいらしさということですが、歳をとった人にはかわいらしさといったものが絶対あると思っています。人間は、よく言われるように、生まれて、子供から大きくなって、また老年になって子供に戻っていくというということがあると思うのです。僕たちは仏様の世界から来て、この世でいろいろやって、また仏様の世界に帰って行くという、そういうことが――今はなかなか信じられないですけれども――あると思っていますし、そうすると、歳をとるということは、結局仏様の世界に近づいていくということのはずで、一概に汚らしいとか、見苦しいということではないと思うのです。
では、なぜそういうふうに見えてしまうかというと、それは、ご高齢の方たちが汚いとかそういうのではなくて、結局それを見ている僕たちの眼が曇っていて、本当の美しさやかわいらしさが見えていないのではないかと思うのです。なぜ眼が曇っているかというと、この世の価値観、美しいものが正しいとか、ずっと元気が正しいとか、そういう美しいか醜いか、悪いか正しいかみたいな、その二元論的な感性でしか、僕たちは物事をみることができないからでしょう。そういうものを離れて、仏様の日ですべてを見られたら、そういう人達もいとおしく見えるのではないか、ということを、僕はこの絵本を描きながら思いました。
この世で生きていくことが大変しんどいこともありますし、これから僕も僕の大切な人達もどんどん老いていくのだと思います。嫌な思いをたくさんすると思うのですが、それは仏様からの日々の試練であり、どんどん仏様が問題を吹っかけてきているように思うのですね。それに対して、僕たちは、いや、そんなことないですよ、これぐらい大文夫ですよと言って、どこまでいけるか修行をしているような気がします。
高齢者に対する音楽のカ
ロビン・ロイド氏(音楽家)
〔講演要旨〕音楽セラピー(音楽療法)とは、音楽を聴いたり演奏したりして心身の健康の回復や向上をはかる行為です。まず、一般の音楽の演奏会と音楽セラピーの違いについてお話ししましょう。
一般の演奏会、コンサートの場合は演奏する人がプログラムをつくり、お客さんは聴きたい音楽のためにコンサートに足を運び、満足して帰っていきます。それに対し私が施設に行くときは、あらかじめプログラムを一応頭に描いて行きますが、実際は施設にいる人たちの要望に合わせプログラムをつくっていきます。
わかりやすい例を出します。今日は高齢者が多いですね、じゃあ、「ふるさと」を歌いましょうと言う。それでいけると思われますが、そうではないのです。中には演歌が好きな人、「赤とんぼ」を歌ってはしい、美空ひばりの歌を歌つてほしい人がいます。昨日のボランティアの人も「ふるさと」を歌っていた、おとといも「ふるさと」、もういい、私は美空ひばり歌いたい、そう言う人がいます。相手の人が歌いたい、聴きたい音楽を探す。それが音楽療法家の仕事です。
次は音楽の力の話をします。うつ病になった、まだ17歳の高校生。もう自殺の手前。話も聞かない。カウンセリング、心理学の専門家がどんなに話しかけても通じない。では、音楽。なんとか音楽でこの人に、自分の世界がポンッと広がるようしたい。それで、17歳の女の子が歌いたい曲を調べるのです。今の高校生の流行の曲。 SMAPじゃもうちょっと古い。嵐。それで私は嵐の曲を探しに行く。次の日にギターを持っていって、変な日本語でいけるところまで覚えたての嵐の曲を歌う。そうするとその女の子は突然に踊りたくなる。私も一緒に歌う。それで、楽になっていく。それで、ひょっとしたら元気になるかもしれない。だめかもしれないけれども、これは音楽の力ですね。音楽療法とは大体こんなものです。聴きたい曲や歌いたい曲を探しあてるのが難しいところです。
最後に、世界各地で集めてきた民族楽器の紹介をします。一般の音楽療法はピアノで行いますね。療法士がピアノや鍵盤の電子楽器を弾きながら歌うのですね。私が出会う人には身体障害の人が結構多くて、子供や、大きい音に敏感で、電子音が苦手の人が結構います。ピアノでやると音が大きすぎる。ピアノが脅威になってしまうのです。ピアノを弾くと、ピアノから離れたところに座っている人とは全然コミュニケーションがとれないということになってしまう。だから、私は小さい楽器ばかりでやっています。
本日お手にとっていただいた楽器には、波の音がするもの、蛙の鳴き声がするもの、雨の音がするもの、いろいろあります。施設の外に出たら危険だというので、想像の中で、夏の田んぼを見る氏ように、楽器の背中を棒でなぞるようにして「ケケケケケ」と蛙の鳴き声をたてる。今日は梅雨明けといっても雨がまだ降っている可能性があるから、ザアッと雨の音を、ということで音を出す。暑いから海へ行きましようということで波の音がする楽器で音を出す。こうなると、何か外にいるような感じがするのではないでしょうか。
楽器を持っていない人がちょっと何かやりたいというときに、楽器を渡して、運動不足だったら、日本のラジオ体操みたいに「それでは!いきます、イチ、ニイ」ではなくて、楽器の音と音楽を聴きながら、田んぼの中に雨が降ってきたように、海の近くで涼しくなったように、好きなようにやってください、と言っています。
***
両氏の講演の後、参会者との討論に入り、ロイド氏には訪問先に30人いた場合の曲の選び方について、中川氏には世界各地での生老病死のとらえ方についての質問など、楽しい雰囲気の中で活発な質疑応答がなされた。