平成13年12月15日
平成13年12月15日
不二一元論学派における解脱観についての一考察
佐竹 正行 研究員
本発表では、不二一元論学派の解脱観、中でもJīvanmuktiがどのように受け入れられているのか、根拠づけられているのかを、Jīvanmuktiについて不二一元論学派の中で最初期に言及していると考えられるサルヴァジュニャートマンの見解などで見てみた。
1. Jīvanmuktiについて
Jīvanmuktiに類する語や概念が、いつ頃からインド哲学において使用されたのかは不明だが、生きている間に悟りを開き、死後新たに生まれ変わることなく輪廻を離れるという解脱の形は、多くのインド哲学諸派で言及されていることを示した。そして、業と輪廻を前提とする解脱が最初期のウパニシャッドであることから、これに類する考え方も、ウパニシャッドにおいて提出されているのではないかと考えた。そこでは、解脱にさいし、正しい知識を授ける師が必要なこととその師が解脱していなければならない考えられるために、Jīvanmukti 的な概念が主張されていると考えられる。
2.不二一元論学派におけるJīvanmuktiについて
『ヴェーダーンタサーラ』により不二一元論学派における Jīvanmuktiの概念を見てみた。そこでは、ブラフマンを認識し、無明を除去し、そしてその結果である業を取り去っているものの、現在結果が開花している業が消滅するまでは享受している状態、それがJīvanmuktiであるとしている。
3.初期のヴェーダーンタ学派における解脱観
『ブラフマスートラ』における解脱観に言及し、そこではJīvanmukti 語は使用されていないものの、それに類する考え方が既に存在していたと考えられることを示した。そして、最も早くJīvanmukti の語を使用しているマンダナミシュラのJīvanmukti に関する言及も、併せて示した。
4.シャンカラにおける解脱観
シャンカラが、『ブラフマスートラ』などで示されているヴェーダーンタの伝統的な解脱観やJīvanmukti 的な考え方を否定し、ブラフマンの認識、即解脱の生死に関係のない新たな解脱観を主張していることを示した。
5.サルヴァジュニャートマンの解脱観について
サルヴァジュニャートマンは、シャンカラの解脱観を受け継ぎながらも、Jīvanmukti も、仮定的にとはしながらも認められるとし、2種類の解脱観を共存させている。この両者の共存する矛盾を、彼の他の思想傾向に見られる、共存の矛盾を段階的なものとすることで取り除く形と同じように、段階的に捉えることで認めさせている。
不二一元論学派では、サルヴァジュニャートマンの考え方により、その Jīvanmukti 内容とともに、本来の考え方とは矛盾する Jīvanmuktiを取り入れて、主張していると考えられる。
シャンカラによる祭式否定の意味
―『バガヴァッドギーター註』を中心として―
高木 健翁 研究員
不二一元論学派の大成者シャンカラ(8c)は、輪廻から解脱するた めには、アートマンの知識のみが必要であると説く。しかし、インド には祭式によってこの世の、あるいは来世の繁栄を獲得するという宗 教観も同時に存在する。そして、ある者たちは、解脱のためにはアー トマンの知識だけでは なく 、 祭式も同時に必 要であると説く 。
しかし、シャンカラ は知識と祭式とは両立 せず、祭式は解脱の手 段とはならないと説く 。
しかし 、彼は祭式そ のものを否定したので はない。ヴェーダは未 だ知識を得ていない人に対して祭式を命じていると 、彼は考えた。さらに、知識を得た人で あっても、未だ知識を得ていない人々に手本を示すため、あるいは世 界を維持するために祭式を行うと考えた 。
シャンカラ以前、ヴェーダーンタ学派の学匠たちの多くは、ミーマー ンサー学派とヴェーダーンタ学派を兼学していた。彼らは、解脱のた めには知識と同時に祭式が必要であるという見解(知行併合論)をもっ ていた 。 これに対しシャンカラは、解脱における祭式の必要性を退け ることで 、 ミーマーンサー学派に対しヴェーダーンタ学派の独自性と 独立性を主張したのである。
語義と用例について
岡本 嘉之 研究員
高校の国語の授業で、動詞がどのような名詞および助詞と連接するか、また、名詞がどのような助詞および動詞と結び付くかを調べるとともに、語義についても検討する作業を行った。(一例を本稿の最後に示す)
作業を通して、市販の国語および古語辞典に次のような問題点があるとの結論を得た。
1、名詞に結び付く助詞および動詞についての記述がほとんど見られない。動詞に結び付く名詞についての記述にしても、記載漏れが多い①。
2、語義の定義が不十分なものがかなり見受けられる。類義語との相違点を踏まえていない記述が多い。
3、多義語の場合、語義の関連を考えて記述していないものが多い②。
4、ある語義がいつ頃からいつ頃まで用いられたか、また、時代とともにどのように語義が変遷したか、という記述を欠くものが多い③。
注
①「降る」を「雨・雪などが空から落ちてくる」。(『日本国語大辞典』小学館)と定義する辞書が多いが、これでは「落ちる」とどのように相違するのか利用者が判断出来ない。
②これでは辞書を利用するものに個々の語義の暗記を強いることになる。なお、『ベネッセ全訳古語辞典』は重要な語義について整理してある。
③最大の国語辞典である『日本国語大辞典』についてもこのことが言える。『新潮現代語・古語辞典』は初出例を示す、と書いてあるが、必ずしもそうなってはいない。