①研究の背景
Philosophy の訳語「哲学」が「希哲学」から来ているといわれ、西周が津田真道(まみち)(一八二九─一九〇三)の「性理論」に付した跋文に、「ヒロソヒ」に「希哲学」という訳語を当てていて、西の著作『百学連環』では、「ヒロソヒーの意たるは、周茂叔の既に言ひし如く、聖希天、賢希聖、士希賢、との意なるか故に、ヒロソヒーの直訳を希賢学となすも亦可なるへし」と述べていることから判断して、希哲学は希賢学をもとに考案されたものと推測される(北野裕通「「哲学」との出会い─西周─」、藤田正勝編『日本近代思想を学ぶ人のために』、世界思想社、一九九七年、一九頁)、といわれている。このように、哲学という訳語からして、儒学を踏まえた思想的土壌において理解されたものであり、明治期において西洋思想は、日本の精神土壌の上に受容されたといえる。そして、西洋思想受容の後に、日本精神運動に見られるような西洋思想に対しての日本の独自性の強調、西洋思想を踏まえた上での日本の哲学の展開がみられることになる。
ペドロ・ゴメス(Pedoro Gomez, 1535-1600)はイエズス会のコレジオで用いられる教科書『講義要綱』を起草し、一五九三年に完成、天草のコレジオで読まれ、一五九五年に日本語訳が完成している。『講義要綱』は三部構成で、第一部が天体論、第二部が魂論、第三部がキリスト教の教理となっているが、魂論は、トマス・アクィナスの『アリストテレス『魂について』註解』が基礎になっている。
アリストテレス『魂について』(Peri Psyches)第三巻第五章において、素材に相当する知性、受動知性と、作用し生み出す原因に相当する能動知性が論じられるが、能動知性と受動知性についての解釈において、アヴェロエス(Averroes, Ibn Rushd 1126-98) は、能動知性とは別に、可能知性(intellectus possiblilis) を措定し、可能知性は非質料的な知性としてすべての人間の上に存在しているとするのに対し、トマスは、『知性の単一性について─アヴェロエス主義者たちに対する論駁』において、すべての人間に単一の知性があるとしたら、知性認識するものは単一であることになり、意志するものが単一であること、人々を互いに異なるものにする、すべてのものを自らの意志決定によって使用するものが単一であることが帰結すると、知性の単一性を否定する。上記の『アリストテレス『魂について』註解』においても、可能知性という分離実体を否定し、こうした考えは、上記『講義要項』の日本語訳に「又一切人間ニ押並テ阿爾摩ノ一体ナリト云事ハナシ。只一人ツゝニ一体ツゝ備ルト云道理ハ、一切人間ニ只一体ノアニマアルニ於ハ、人ハ互ニ其差別有ヘカラズ」(尾原悟編『イエズス会日本コレジヨの講義要項』I、教文館、一九九七年、一七〇頁)と述べられているように、人間の個としてのあり方が説かれている。
また、キリシタン時代のキリスト教受容の特色として、コンフラリア(信心講、組)という信徒の自主独立共同体が形成されたことがあげられる。このキリシタン信徒の共同体は、皮膚病患者や生活困窮者の救済にあたり、民間に祭壇を持つ家を管理する民間指導者が村を信仰共同体として維持するまでになり、その組織は、豊臣秀吉による宣教師追放令、江戸幕府のキリシタン禁教政策によっても、宣教師が不在のまま活動を続け、一八七三年の禁教令撤廃後も信仰形態が継続されていった。十六世紀から十七世紀にかけて、三十万ないし四十万の信徒を抱えるにいたったキリシタン宗団について、それが興隆であったと認めるのは無理ではない(河村信三『戦国宗教社会=思想史』、知泉書館、二〇一一年、四頁)といわれるが、このように大きな運動に発展したキリシタン信仰は、当然広く知られるものであり、キリスト教思想については研究・教育が途絶えてしまったとはいえ、禁教後もなんらかのかたちで浸透していったといえる。
以上、西洋哲学・キリシタン思想の受容において、日本独特の受容の形態か見られる。
②研究目的
上述の研究背景を踏まえ、本研究は西洋思想を包摂し、展開させていく動きはキリシタン時代の西洋思想受容にもみられるのではないかという観点から、明治期の西洋思想受容と日本思想の展開を、キリシタン時代の受容と展開と比較考察することにより、他文化を包摂していく日本思想のあり方を考究する。
③ 当該分野におけるこの研究計画の学術的な特色・独創的な点および予想される結果と意義
キリシタン時代の西洋思想受容は、禁教政策や鎖国政策で途絶えたかのように見えたが、その受容のあり方を詳細に検討することで、日本における西洋思想受容の特質を露わにするところに本研究の特色がある。
研究組織
研究代表者 役割分担
相楽 勉 研究員 研究総括、明治期以降の西洋哲学受容と日本哲学
研究分担者 役割分担
中里 巧 研究員 キリシタン思想の日本精神史における展開
大野 岳史 客員研究員 ペドロ・ゴメス『講義要綱』などの哲学教育
菊池 章太 研究員 室町時代のキリスト教受容とその後の変容
三重野清顕 研究員 日本精神史と西洋哲学
播本 崇史 客員研究員 西周と西洋哲学
大鹿 勝之 客員研究員 西洋哲学と日本精神
本研究において、研究代表者、研究分担者の役割および研究計画、研究状況は以下のとおりである。
相楽勉 研究代表者として研究の統括を行い、研究会や講演会の開催、研究者間の打ち合わせにより、各研究者の成果について相互の検討をはかる。また、研究計画の遂行や研究経費の執行を掌握する。研究分担においては、西周、井上円了、井上哲次郎、西田幾多郎などの西洋哲学受容について、十九世紀哲学の哲学思潮をどのように受け止め、西洋哲学を仏教や儒教などと対比させて「いかに生きるべきか」という根本問題にどのように答えようとしたのかを検討する。西田幾多郎については、初期の著作『善の研究』から、場所の論理、論文「場所的論理と宗教的世界観」にみられる矛盾的自己同一に至るまで、西洋哲学を踏まえながら西田哲学がどのように展開されていったのかを把握する。二〇二一年度は、西周、井上円了、井上哲次郎などの西洋哲学受容についての研究、西田幾多郎『善の研究』における西洋哲学受容の検討を行う。
中里巧 キリスト教受容期は、日本精神史において、バテレン時代以前(景教の受容)・バテレン時代・禁教時代・明治期解放令後・第二次世界大戦期・大戦後・現代(既存既成宗教の没落の時代)といったように、いくつかに小分されるが、キリスト教と呪術との関係、また、キリスト教と戦争の関係、すなわち、罪責意識等において、キリスト教受容期の人々は、キリスト教をどのように理解していたのか、既存既成宗教の全面的没落の時代の原因や特徴、展望などをキリシタン思想との関連で考察する。二〇二一年度は、長崎県生月島の調査を行い、キリスト教受容期の人々のキリスト教理解を考察する予定だったが、コロナ禍の影響により、文献研究を行った。
大野岳史 一年目は、ペドロ・ゴメス『講義要綱』における哲学・倫理学教育の背景を明らかにするために、十六世紀のスコラ学においてペドロ・ゴメスがどのように位置づけられるかを考究し、その特徴を明らかにする。二年目は、トマス・アクィナスにおいて、正義という徳の部分であり、また最重要部分でもある敬神(religio)について、十六世紀のトマス主義にどのように引き継がれ、『講義要綱』に見出されるのか明らかにする。三年目は、現代においてマッキンタイア(Alasdair MacIntyre)らによって見直されている徳倫理学(virtueethics)について、ペドロ・ゴメス『講義要綱』の倫理思想は徳倫理学に該当するが、日本において徳倫理学がどのように理解されたのか、明らかにする。
菊池章太 長崎県下のキリシタンにおいて、禁教後に告解を聴く司祭がいなくなった状況のもとで彼らを支えた、痛悔の祈りの効用を説く『こんちりさんのりやく』について、大浦天主堂と長崎市外海と五島列島とパリ外国宣教会に伝わる写本を精査し、校訂作業・解読を行う。また、伝来期のキリスト教受容のありようを現地調査(長崎県五島市福江島堂崎教会堂ほか)と文献読解をもとにたどり、室町時代末期に伝来したキリスト教の教義や典礼のあり方が時代の変化の中で(とりわけ為政者による弾圧という極限的な状況のもとで)改変を余儀なくされ、そこから新たな信仰のありようを模索しつつ、変質を遂げてきた経過を明らかにする。二〇二一年度は、伝来期のキリスト教受容のありようを長崎市外海地区の天主堂・教会堂調査と文献解読をもとにたどる予定であったが、感染症対策の影響で現地調査が困難になったため、文献解読作業に専念した。
播本崇史 西周は十九世紀のアジア近代化の時代において、東西思想哲学に通暁して、日本の「近代化」を担った人物であるように思われるが、『西周全集』に基づきその解明を行う。
大鹿勝之 紀平正美などの日本精神に関する議論を、和辻哲郎『続日本精神史の研究』における日本精神の批判的考察、西田幾多郎『日本文化の問題』における、東西思想の根底の探求の重要性に照らして検討する。二〇二一年度は村岡典嗣の日本精神論に関する考察を行った。
三重野清顕 明治以前の日本精神史の流れと、明治以降の西洋哲学の移入における両者の相互関係を探求する。その際、主要な検証の対象となるのは、和辻哲郎の哲学、とりわけ大著『倫理学』である。二〇二一年度は『日本倫理思想史』を中心とする和辻の日本思想研究、そこにみられる日本精神史の試みを、現代の思想史研究の成果とつきあわせつつ、検証し、評価した。
研究成果については、研究発表会を開催して研究者の研究発表と参加者の質疑応答による研究成果の検討を行ったが、本号では二〇二一年十一月二十日に開催された研究発表会、二〇二二年二月五日に開催された公開講演会について、発表および講演の要約を以下に掲載する。十一月二十日の研究発表会は感染症対策のため、オンラインで開催され、大野岳史客員研究員、菊地章太研究員、中里巧研究員の発表が行われた。二月五日の公開講演会もオンラインで開催されたが、本研究所研究員のライナ・シュルツァ・本学情報連携学部情報連携学科准教授の講演が行われた。
研究発表会 二〇二一年十一月二十日
「真実ノ教」における汎神論批判
─世界とその根源はどのように区別されるのか─
大野 岳史 客員研究員
〔発表要旨〕
ペドロ・ゴメス『講義要綱』の第三部「真実ノ教」は、キリスト教の教理を明らかにするものであり、「創造主」という語の説明では、創造主と被造物の関係が因果関係として理解される。すなわち神は被造物の作用因であり目的因である。対して、神と第一質料の同一性を主張する汎神論者は、異教徒であると看做される。
これとは別に、日本の異教徒たちの汎神論的思想が示される。彼らは創造主たる根源を本分、大空、法身、真如、実相と呼び、以下四つの意見に基づく汎神論的思想をもっている。第一に、根源としての創造主が最高完全性であるという意見がある。ゴメスはこの意見に同意するが、日本の異教徒たちがこの創造主について無知であることを批判している。第二に、異教徒たちが根源としての作者に分別がなく、統治もしないと主張する。対してゴメスによれば、人間の認識能力は神に依拠するため、神に認識能力がないという主張は不条理であり、また神の創造には諸事物の秩序付けも含意しており、神の統治を否定することはできない。第三に、異教徒たちは根源の万物への内在性を主張し、ゴメスはこの意見を認めている。しかし日本の異教徒たちは根源が万物のうちに部分として存在すると主張するのだが、ゴメスによれば、神の万物への内在性は神が万物の原因であることを意味しているだけである。神は万物に存在を与え、万物を直視し、万物の作用に影響を及ぼすという仕方で万物に内在する。第四に、日本の異教徒たちは根源と被造物は区別されないと主張する。この意見を通して諸事物相互の区別をも否定されるのだが、ゴメスは諸事物相互の区別を肯定することで、第四の意見を論駁する。日本の異教徒たちは、以上の四つの意見から二つの結論を導出する。すなわち、万物は根源が変化したものであること、そして万物の本性に区別はないことが帰結される。しかしこれらの主張は上述の反論から明らかに偽であり、日本の異教徒たちは誤謬に陥っていることが論大野 岳史 客員研究員証されたことになる。
このように、日本の異教徒たちの汎神論は、西洋における神と第一質料の同一性を主張するものとは異なる。ただし日本独自の汎神論があるわけではなく、万物を根源の変化したものと見なす思想は、西洋における神の顕現(テオファニア)の思想ときわめて類似している。そのためゴメスの反論は、中世スコラ哲学で見られるような論拠に基づいている。そしてその論拠によって、神の超越性と内在性の両立を正しく理解させることが目指されているのだろう。
こんちりさんのりやく ─ 解読の方法について
菊地 章太 研究員
〔発表要旨〕
キリシタン文献『こんちりさんのりやく』は一六〇三年に長崎イエズス会から刊行され、のちに散逸した。伝存するのは刊本からの書写本のみである。明治以降にキリシタンの末裔によってもたらされた書写本をもとに、パリ外国宣教会が開板を企てた。キリスト教の布教が公認されていた時代に日本人を信仰に導いたのは『どちりなきりしたん』であり、禁教令のもとで潜伏した信者を支え続けたのは『こんちりさんのりやく』であった。
ポルトガル語で「痛悔」を意味するコントゥリサンを当時の人々は「こんちりさん」と聞き覚えた。「りやく」は「利益」に違いないが、この語は説経節や古浄瑠璃、御伽草子の中で、「救い」の意味で用いられていた。「こんちりさんのりやく」とは、したがって「痛悔による救済」を意味する。この文献を解読していくにあたっては、カトリックの教理に対する認識はもとより、さらに同時代の日本の通俗文芸にも目を向けていくことが、ひとつの有効な方法として考えられるのではないか。
もともと日本にはないヨーロッパの宗教思想を日本語で理解しようというのである。そこにさまざまな工夫と苦心があるのは当然だが、どうしても他国語に変換しがたい言葉がある。あるいは、日本語に置き換えてしまうと誤解されがちな言葉もある。その際には、ラテン語やポルトガル語がそのまま使用された。「こんちりさん」はその一例である。とはいえ何もかもヨーロッパの言葉のままというわけにはいかず、とにかくも日本語でそれに近い言葉を探していくしかない。その場合、宗教的な語彙に関しては仏教語からの借用が圧倒的に多くなる。これはキリシタン文献全般について言えることだが、『こんちりさんのりやく』においても、「覚悟」「観念」「苦患」「功徳」「後生」「色身」「慈悲」「息災」「内証」その他かなり頻繁に使われている。
今回の発表では、書名の「りやく」だけを検証したが、これひとつ取っても、その意味は仏教語の一般的な理解とは隔たりがあった。当時の民間の仏教文献、あるいは仏教色の濃厚な通俗文芸の中から、ふさわしい語義を探っていかなければならない。先ほどあげた言葉すべてにこのことがあてはまる。これは初期のキリシタン文献を読むときの、ひとつの重要な課題になるだろう。共同研究においては、その中の一つである『こんちりさんのりやく』について、そうした視座のもとで解読を試みていきたいと考えている。
現代キリスト教の神秘体験事例と日本のスピリチュアリズム
中里 巧 研究員
〔発表要旨〕
既存既成の宗教は、教義の呪縛に捕らわれるあまり、本来の宗教性や霊性とはかけ離れるばかりか、むしろ逆に、自らの宗教性や霊性を枯渇させたり絞殺させたりすることがありはしないだろうか。そもそも、宗教とは何だろうか。或いは、宗教と呼ばれるものは、一体何を意味し、何を指示する言葉なのだろうか。少なくとも本来、第一義としては、人の集まりとしての組織体や教団を指示してはいない、と私は思う。しかし、今日では宗教と云えば、人々の集まりとしての組織体やその活動および教義や教義に付随する実践活動等を主に、意味する、と広く了解されているのではないだろうか。だが、そもそも、当該の宗教や当該の宗教性をそもそも存立させている霊性抜きにしては、人の集まりとしての組織体や教団は、存続しないはずではないのか。だが、そうした霊性そのものは、容易に見たり聞いたり触れたりできるものではなく、それゆえに、霊性のもとに人々が集まり、同質の霊性を維持継承し、発展させていくのは至難の業であり、つねに混乱と分裂を孕んでいる。こうした混乱と分裂を避けるために、霊性を仮設的に、合理的知性という眼に写し出させて、人々が霊性をあたかも共有できるように考案されたものが、教義および教義学であろう。しかし、霊性を帯びず信心や信仰をもたないままで、教義を理解するということはそれこそ、不条理というものではないか、と私は思う。けれども既存既成の宗教は、時代を重ねて社会や国家のなかで一定の地位を得て、倫理的- 文化的位相において一定の基盤を担うようになると、霊性を保持保全することは表向きの建前ばかりとなって、実際には、強圧的- 強権的に、組織体がその保全のために認可するかぎりの教義の枠組みに押し込むことを以てして、信心や信仰の形成や育成と考えられることが当然のこととなってしまった傾向の存在は否めず、とりわけ、そうした傾向が顕著に見られるのが、キリスト教ではないだろうか。マリア=シンマ MariaSimma(1915-2004)は、オーストリアの女性カトリック教徒であり、日常的に死霊が彼女を訪れて、死霊の相談に耳を傾け、死後の世界について子細に聞き、ときには天使や悪魔悪霊も彼女の眼前に出現していた。マリア=シンマの場合、死霊などが彼女の心身に乗り移るという憑依現象ではなくて、そうした霊が彼女の眼前に出現したり、物音がしたり急に火災が起こったりなどの物理現象が主であった。また、霊視をおこなったり、幻視を体験したりすることもあった。マリア=シンマは、敬虔なカトリック教徒であり、その信仰の正当性については、教区神父が語っている。信仰の敬虔さの一端として、ほぼ毎週、金曜日から日曜日の早朝にかけて、イエス=キリストの受難を追体験するものと思われる精神的苦痛を味わっていた。彼女の宗教観は大変興味深く、その信仰の敬虔さや正当性にもかかわらず他宗教に対して寛容であり、彼女の住む地域のなかで聖人はいるか、の質問に対して、或る一人の女性イスラム教徒がもっとも神に近い、と述べている。カトリック教会のミサ儀礼や聖職者の営みに対して、また、現代世俗文化に対しては、苛酷な批判をおこなっている。ミサ儀礼については、御聖体であるホスチアを手づかみすることの神への無礼さに、聖職者の営みついては、例えば牧会をおろそかにして信徒に慈愛を注がず、聖職者の位階や名誉に奔走することに、現代世俗文化については、若者世代のなかで神聖な意識が失われつつあることに、とりわけ批判をおこなっている。地獄や煉獄についても、カトリック信徒といえども、大半の人々が地獄に落ちていると語っている。こうしたマリア=シンマの信仰体験と証言は、キリスト教が本来有していたはずの呪術的霊性と同時に、キリスト教教界がそうした呪術的霊性から如何に離反してしまっているかを、示している。
なお、マリア=シンマの事例の諸特徴を現代日本におけるスピリチュアリティの事例の諸特徴と比較検討すると、様々な点で類似するものがあることに気づく。宗教的霊性を呪術性という概念に収斂させて、上記、マリア=シンマの事例と現代日本のスピリチュアリティの事例には、既存既成の諸宗教の組織的規範や教義という枠を超えて、本質的類似点が多いのは、神秘体験やスピリチュアリティがそもそも何らかの普遍的本質を共有しているからではないかと思われる。その最たるものが、憐れみの呪術性であると思われる。
公開講演会 二〇二二年二月五日
井上円了における良心概念の変遷
─思想史的と比較倫理学的考察─
ライナ・シュルツァ 研究員
〔講演要旨〕
井上円了の良心についての議論には様々な側面や変遷が見られる。
良心概念 著作
一.進化論的批判 『倫理通論』一八八七年
二.倫理学的分析 『修身学』一九〇七 年(?)
三.大良心の宇宙説 『迷信と宗教』一九一六年、
『奮闘哲学』一九一七年
四.業報による解釈 『迷信と宗教』一九一六年
明治の良心言説の背景を語ったり、比較倫理学的考察を加えたりしながら、円了の良心に関する考えを紹介してみた。
倫理学的な観点からは、少なくとも三つの良心概念を区別できる。
A.行為前:指導的な感覚・直観 / 惻隠・慈悲・同情の動機
B.行為後:感情的な判定(清らかな良心対悔恨・罪悪感)
C.全ての行動に伴う反省能力・道徳的な意識・独知
一.『倫理通論』で見られる井上円了の進化論的議論は〈性善説対性悪説〉という伝来のパラダイムを人間学的に超えるものであるとえようが、進化論的な見方が惻隠の倫理(良心概念A)と矛盾しないことも指摘した。
二.井上円了の『修身学』講義録にはAとBについて明晰な分析が見つけられる。
東洋学研究所のプロジェクト「 西洋思想の受容と日本思想の展開」の課題については、次の三つのポイントが挙げられる。
⃝中国古典の翻訳者James Legge に初めて指摘された孟子とJoseph (Bishop) Butler との良心概念(A)における類似点は、陽明学とイギリスの道徳感覚派にも当てはまるだろう。
⃝良心概念(B)は、東アジアよりも西洋では良心の肝要な作用とされたことが仮説として検討する価値があるかもしれない。
⃝井上円了の著作に表現されないが、良心概念(C)も東西の共通するアイデアだろう。それは、「conscience」を「独知」で翻訳した西周に一八八四年指摘された。( 参照:小路口聡著「西周と陽明学」、吉田公平・岩井昌悟・小坂国継編『近代化と伝統の間』教育評論社、二〇一六年)
三.井上円了の「大良心の宇宙説」は、講演に省いたが、折衷主義的な宗教思想として批判される可能性が高いといえよう。「大良心」=「神」=「仏」=「天の誠」の活物的精神は、良心の活動命令として自覚すべきであるというような説である。
四.良心概念(B)、つまり良心の行為後の感情的な作用は、仏教の業報の原則(応報の正義)と一致する、という井上円了の考察を高く評価した。良心の観点からは、仏教の業の思想に人間学的、現生主義的な解釈を付けられると考えるからである。