平成11年6月19日
平成11年6月19日
ネワール語文法小考
吉崎 一美 研究員
カトマンズ盆地のネワール族の言語がネワール語というものである。それに対してネワール人というのは18世紀になって現在のネパール人の王朝に武力制圧されたことから、現在の王訓朝はネパール人、そして彼らの話す言葉がネパール語で、その時制圧されてしまったネワール人の言語がネワール語ということである。ところがネパール語というのは非常に定義が難しいところがあり、ネワール人がネパール人に制圧される前は自分たちがネパール人であった。そこでネワール人は今でも自分たちの言語を「ネパール語」と呼んでおり、そして自分たちはネパール人である、という。ところが国として、あるいは政治体制としてネパール人の、正確にいえばゴルカという民族であるが、ゴルカの人たちの言葉や文化もネパール、あるいはネパール語ということになっている。それが現在混乱していて、現在の学者たちはネワール人の方をネワール語あるいはネワー語と称して区別している。こうした混乱を避けるために、世界の研究者たちと歩調を合わせて、ネパール語といったときにはネパールの人たち、ゴルカの人たちの言語。ネワール語、あるいはネワー語といった場合にはネワールの人たちの言語と区別して使わなければならない。ただ、ネワール人は自分たちのことを言うときに「自分たちはネパール人」というので、彼らの言葉を紹介するときにはネパール人、あるいはネワール人、ネワール語といったふうにいうことになる。非常に混乱した話ではあるが、この点をまず押さえておく必要がある。
ネワール族の言語を理解するための辞書は、近年になつてようやく本格的な成果が相次いで刊行され始めた。しかしながら、実際にネワール語テキストを読む上で、なお辞書には紹介されていなかったり、説明が不十分な言い回しや用法も多い。そこで筆者がこれまで採集した用例の中から、これらの書では十分に理解しがたい語句を取りあげ、ネパール留学中に現地のネワール人の学者や研究者たちからえた説明をもとに、その文法的な解釈を試みた。
古代インドの法滅思想について
渡辺 章悟 研究所員
法滅思想あるいは法滅観とは、その宗教伝統に形成された固有の教えが、現に減しつつあるという危機感に基づいた批判的世界観であるが、その伝統の消滅が将来にわたるものであり、かつ法滅の時期や具体的な姿を予言の日形で表現する場合は、1種の終末論的な歴史観となる。このよ刀一渡うな見解は現実の批判から発する、実存的な見解といえよう。この法滅観の基盤にあるのは、現状の不満について批判しつつ、将来へ希望を託す人間の切実なあり方である。そのあり方をインドの宗教伝統の中で探ってみる。
古代インドではプラーナ文献や法典類といった宗教文献の中に、このような法滅観を具体的なイメージをともなって述べている箇所がある。そこには世界が次第に破滅に向かって進んでゆくサイクルやカリユガ(邪悪紀)のような批判的時代観が明示されている。それによれば現代はカリユガ紀のまっただ中にある。この時代は西暦でいうと紀元前3103年の2月18日に始まり、神々の年でいうと1200年、人間の年でいうと43万3000年間続くという。またカリユガ紀は、「4つのユガ紀」といわれる時代の最後に位置する最悪の時代であり、倫理や道徳の衰退、社会秩序の混乱、自然破壊や異常気象が頻発するといったまさに現代的な問題を克明に描写する。この叙述を具体的に取りあげて古代インドの宗教的伝統における終末論的な歴史観を概観し、ヘブライズムの終末論との異同を考察した。
一方、仏教の正・像・末という末法思想もこのようなインドの宗教伝統の中から発生したものであるが、それは中国において成立した宗教的時代観念であり、インド仏教の法滅思想とは明らかに異なる。このように両者は成立の時代背景もかなり異なるのであるが、その最大の相違は、両者の歴史観・時代観であろう。インド仏教の法滅思想では、もともと末法という時代観念はない。あるのは正法とそれに似た擬似的教え(像法)の時代という2つの時代観念であり、それも固定的・直線的なものではない。
加えて大乗仏教の成立がこのような法滅観を背景に生まれたものであり、法滅の時代にこそ新たな宗教思想が興起する必要性が喧伝されるという構図があったことが指摘できる。