2025年度 公開講演会 発表報告
開催日:2025年3月17日 場所:東洋大学 白山キャンパス 1308教室・オンライン
2025年度 公開講演会 発表報告
開催日:2025年3月17日 場所:東洋大学 白山キャンパス 1308教室・オンライン
池坊の生花の仏教思想背景
講演者:フレデリック・ジラール 氏
(フランス極東学院名誉教授・東洋学研究所客員研究員)
本年度の研究所主催の第2回公開講演会は、2025年3月17日(月)に白山キャンパスの1308教室での対面開催とオンライン・ミーティングを併用するハイブリッド形式で開催された。講演会の開催に先立って曽田長人研究所所長が挨拶を行い、講演者のフレデリック・ジラール氏を紹介した。ジラール氏が講演を行い、講演後、聴衆との間で活発な質疑応答が交わされた。
〔講演要旨〕
生花は、美を代表している芸術の1つである。日本の哲学者でいる西田幾多郎が言ったように日本の書は西洋の美術の枠やカテゴリに入りにくいから、新しい美術の範疇を考えさせ、想像させるという刺激を与えてくれる。ヨーロッパに存在しない生花という芸術も同じと思うので思想的な刺激を与えている。その反面、生花は「和声のない歌une poésie muette」と同一視されているので、西洋の「詩は絵のようにut pictura poesis」とされたように、西洋の伝統では美即詩という考え方と通じているといえるであろうか。
哲学的には一即一切、一切即一という一心は禅思想に基づいて、大自然を小宇宙に縮めているから、即座に全宇宙と因果関係にあるものが融通しているとされている。その思想が、日本の志玉 (1383-1463)の華厳と中国の馬祖(709-788)の即心是仏に現れている。平常心是道という禅思想は自然現象、花、竹、松風を感覚すると、自己の佛性を悟る体驗に繋がる。それは、無一物から真や悟道が得られるという茶道の理想と類似している。毎日、目の前で見ているものを看破すれば、本来無一物、無一物の中に無尽蔵という見方が浮かんでいるのが、池坊の生花の考え方であったと思う。
池坊の生花は、新プラトン派、ライブニッツの思想や現代のエコロジーの思想を連想させる。特に、池坊専応(1482-1543)の立花、千利休(1520-1591) の茶花の趣は、茶の湯と同類に素朴さの中に豊かな多様性を含んでいる。この理想は、不完全性たる侘び、寂びや儚さや無常の美は完全であるという、存在と生命力(出生)を露わにしている。専応はその美的感覚を、と立花独特の言葉で詠んでいる。川端康成『美しい日本の私』という著作はそれを豊かに語り、中世文学の古典である〖伊勢物語〗や〖徒然草〗などに言及し、専応の美学を繊細に描写し、分析した。『美しい日本の私』はフランスでよく読まれているから、フランスのインテリに大きな影響を与えている、といえる。私の考えでは、この著作がフランス人の間で人気がある一つの背景に、ジャン・ポ-ル・サルトルによる想像力の分析がある。サルトルによれば「存在そのものexistence」を明らかにするためには、迷いを起こす人間の想像をまず省かなければならない、という。そのことは仏教、とりわけ禅思想と同類であると言える。サルトルの日本趣味はひょっとしたら、パリで知り合った九鬼周造 (1888-1945)の影響があったかもしれない。生花が禅思想と関係していることはあまり知られておらず、あるいはかなり誤解されていることに気づいた。したがって次回の論文では、特に池坊家において16世紀に発明された立花の美感覚を、特に禅思想という視点から述べることにしたい。