日本宗教文化の総合的研究
日本宗教文化の総合的研究
研究調査活動
研究課題 臨済宗向嶽寺派本山の現状調査
伊吹 敦 研究所員
期間 平成13年2月24日
調査地 向嶽寺(山梨県塩山)
朝、新宿より特急に乗って、1時間半程で塩山市に着いた。駅を降り、あいにくの雨の中、市街を歩くこと20分程で臨済宗向嶽寺派の大本山、向嶽寺に着いた。境内を散策したが、予想に反して人影もほとんどなく、参観できる場所もなかった。仏伝や専門道場、塔所などの写真を撮ったが、まだ時間があったので、遅い昼食の後、20分ほど歩いて臨済宗妙心寺派の名刹、恵林寺に赴いた。こちらは観光の名所ともなっているので、庫裏や方丈などを参観し、重文指定の門や無窓疎石作という庭園などを写真に収めることができた。少し早めに駅まで歩き、書店で地元の出版者が出している郷土史に関する本などがないかと探してみたが、めぼしいものは見うからなかった。そうこうしているうちに、電車の時刻になったので、帰途についた。今回、室町期の名僧、抜隊得勝の故地である向嶽寺を訪ねることができ、その風土を感じることができたことは、何よりの収穫であった。
研究課題 永平寺、総持寺祖院、国泰寺の現状調査
伊吹 敦 研究所員
期間 平成13年2月28日~3月3日
調査地 永平寺(福井)、総持寺祖院(石川)、国泰寺(富山)ほか
初日は、永平寺に直行し、閉門の四時まで各所の調査を行った。ちょうど折良く法要を行っていたので、最後まで見学させてもらった。第2日目は早朝に出発し、電車とバスを乗り継いで総持寺祖院に向った。あいにくの雨で訪れる人もほとんどなかったので、思う存分、調査ができた。特に多くの堂内の構造や、掲示物などを写真に収めることができたのは収穫であった。第3日目は、国泰寺を訪れるために電車で輪島を後にしたが、その途中に総持寺と同じく瑩山紹瑾が拠った永光寺があると聞いたため、途中下車してタクシーを拾い、急いで見学を行った。住職は不在であったが、奥さんがいろいろ説明をしてくれた。特に寺の裏手にある「五老峰」を見ることができたのは本当によかった。その後、島尾に急ぎ、国泰寺を見学した。普段、なかなか見られない僧堂を見ることができたのは幸いであった。最終日は、午前中、高岡の瑞龍寺を見学した。ここは江戸初期の禅宗伽藍が、ほぼ完全な形で残っており、非常に参考になったが、時間がなかったので急いで写真に収めて、東京に向かう列車に飛び乗った。この出張では東京では買えない多くの本(11冊)を手に入れることができた。特に永平寺で購入した『祖山行法新学須知』は具体的作法を知るうえで貴重なものである。
研究課題
坂口安吾文学に係る、矢田津世子の実地踏査と、文学記念室の資料点検
山崎 甲一 研究所員
期間 平成13年3月13日~3月15日
調査地 秋田県五城目町
3月13日 矢田津世子記念室の展示物(原稿、初版本、写真等)を1点1点丁寧に点検し、記録を取った。
3月14日 展示物の内容について、記念室の小野一二氏に説明して頂き、津世子と安吾に関わる氏の見解や貴重な話を1日かけて伺うこ
とが出来た。また氏所蔵の津世子に関わる資料を見せて頂くことが出来た。
3月15日 八才迄ここで育った津世子の生育地を確認するため、町の隅々迄実地踏査をし、津世子のエッセイその他の文章表現との関わ
りを目と足で確かめることが出来た。
研究課題「日本中世仏教文学文化の研究」に基づく研究調査
高城 功夫 研究所員
期間 平成13年7月31日~8月3日
調査地 大阪・和歌山・奈良
7月31日(火)は、大阪・四天王寺周辺の文化と文学との関わり、特に仏教文学における信仰の問題などを調査した。熊野信仰の起点として、四天王寺境内の熊野遥拝石を見学し、歌枕としての亀井や亀井池を調査、西入日の日本仏教発祥の地とする鳥井や藤原家隆が西方極楽往生を祈念した遺跡などを調査した。8月1日は、和歌山に行き、紀三井寺や吹上神社を見、西行の音をしのび、粉河寺へと移った。粉河寺は西行が女房達を案内した曽遊の地であったので、その遺跡を調査、粉河寺縁起などを調査研究した。そのあと真言宗の復興を果たした学僧として知られる。新義真言の拠点となった覚鑁上人の根来寺の調査をした。根来寺は根来衆のような僧兵の地盤でもあった。2日は奈良へ移り、女人高野といわれる高野山の麓の天野から、佐保の法幸寺、さらには室生寺へと足をのばし、真言思想の女人たちの信仰の遺跡の調査を翌日まで行い、3日帰京した。
研究課題「近世文学における宗教」に基づく研究調査
中山 尚夫 研究所員
期間 平成13年8月7日~8月10日
調査地 大阪・天橋立・京都
今回の調査は、右記研究課題に基づくものとして、井原西鶴の『好色五人女』における登場人物、又西鶴自身の宗教観を探るために、天橋立成相寺の実地踏査と、大阪住吉神社の実地踏査とが、主たる目的であった。
住吉神社(8月7日)は、大阪商人として又俳諧師としての西鶴にとり、信仰と実力披露とを兼ねた場であり、今日も尚続く信仰ぶりに、その面影をしのばせている。
成相寺(8月8日~9日)は、『好色五人女』巻3、おさんの言葉に出る観音が、庶民の信仰を集めていたが、それにも勝る彼女の情熱をその場で体感することが出来たように思う。此地は、他の近世の文学作品にも登場しており、近世人の信仰と、行楽とが正に一致した地として実感できた。
研究課題「和歌史の基礎的研究」に基づく調査研究
神作 光一 研究所員
期間 平成13年8月7日~8月10日
調査地 長野県(松本・塩尻・軽井沢)
松本では、近代歌人窪田空穂の生家、空穂記念館、その周辺の地を実地踏査し、資料の収集をした。
また、塩尻では、短歌文学館、近代歌人大田水穂の生家、島木赤彦ゆかりの小学校、近代歌人の歌碑が複数で存在する短歌文学館近くの丘などを調査した。
軽井沢では、室生犀星、正宗白鳥、杉浦非水、杉浦翠子、相馬御風、与謝野寛・晶子、北原白秋、若山牧水などに関わる歌碑や資料を収集し、詩歌の背景を実地に調査することができた。
研究課題「万葉集における中央と地方」に基づく研究調査
大久保 廣行 研究所員
期間 平成13年8月10日~8月12日
調査地 高岡方面
第1日(8月10日)
8世紀半ば大伴家持が越中国守として在任した国府跡(高岡市伏木町の勝興寺周辺)を訪ねて往時を偲び、古の射水川(小矢部川)から奈呉の浦(新湊東方)を踏査して歌の状景を探る。
第2日(8月11日)
渋谿の崎から氷見市に出て昔遊覧社交の場となった布勢水海(十二町潟)の周辺を廻る。遠く二上山を望み官人らの愛好賞美した数多くの地を巡る。
第3日(8月12日)
高岡に戻り万葉歴史館で文献調査を行う。
今回は能登方面までは足を延ばせなかったが、それでも越中に赴任した都人たちの異国への風土の興味の一端を知ることができた。
研究課題「近世俳諧師と宗教」に基づく研究調査
谷地 快一 研究所員
期間 平成13年8月9日~8月10日
調査地 京都(光林寺、大徳寺その他)
不夜庵太衹に関する調査のために、彼の墓所である光林寺を訪ねて、墓碑に関する話を伺った。
大徳寺にて出家という問題に関する手掛りは得られなかった。そこで目的を変更して、不夜庵の所在地である島原遊郭の角屋を訪ねて、多少の資料を得て、不夜庵のあった位置を確認した。翌日は、蕪村旧居跡を2か所めぐり、その間に古書店を歩いて、島原遊郭に関する古書を1点購入して戻った。
研究課題「近世俳譜師と宗教」に基づく研究調査
谷地 快一 研究所員
期間 平成13年8月20日~8月21日
調査地 天理図書館
太衹が稲津衹空の系譜につながる法師風の俳人であるという仮説を補強する資料を求めて天理綿屋文庫の俳書の閲覧と複写申請を行なった。
具体的には『聞盃』『みかへり松』『石霜庵追善集』等の俳書である。
研究課題「歌聖柿本人麻呂をめぐる伝承と信仰の研究」に基づく研究調査
菊地 義裕 研究所員
期間 平成13年9月4日~9月7日
調査地 島根県益田市柿本神社及びその周辺地域
右記の期間、「柿本人麻呂の伝承と信仰」の研究調査のため、島根県に出張した。1日目は、益田市高津の柿本神社を訪ね、中島宮司家にて同社の信仰、伝承について話を伺った。また、2日目は、益田市立図書館にて関係資料を収集する一方、同市戸田に鎮座する柿本神社を訪ね調査を行なった。3日・4日目は島根県立図書館にて、明治期の『島根県神社明細帳』等の調査を行い、島根県下の柿本神社の関係資料を収集した。今回の調査では、島根県の人麻呂信仰において中心をなす高津・戸田の柿本神社を調査できたこと、また県下の人麻呂信仰についての基礎的な文献資料を収集できたことが収穫であった。また、それらの調査を通して、高津周辺の人麻呂信仰の形成には、津和野藩主の関与が大きかったのではないかという知見を得ることができた。今回得た資料及び知見をもとにさらに今後継続して調査したい。