平成15年11月8日
平成15年11月8日
浦島伝説と高橋虫麻呂
大久保 廣行 研究員
万葉歌人高橋虫麻呂は古代伝説に取材した4つの大作を残した。そのうちの3作までは男女の愛をめぐって美女たちに潔い生を貫いて見せたが、「水江の浦島子を詠める一首」(巻9、1740・1741)は、男の真の悲劇を描き尽くして異質である。
作品の人物造形の分析を通して得られた浦島子像を虫麻呂の置かれた時代状況と照合させることによって、虫麻呂の作歌意図を探ってみた。
長歌は冒頭と末尾を語り手や聞き手の現時点で示し、その間に82句に及ぶ伝説部分を額縁状に包む形で構成される。伝説内容の場は、(a)現世(海上)→(b)常世→(c)現世(墨江)と転換し、(b)と(c)を等分にしかも対比的に描いている。しかし、常世の方は完全無欠の理想郷であることを説明するに留まり、讃嘆の対象とはしていない。対して、現世帰還への過程と墨江での浦島子の心情と行為は、リアルに描出してクライマックスとし、歌の流れをすべてそこに集中させる。
内容的には、浦島子が父母への孝心ゆえに現世帰還を志し、さらに玉筐を開いて禁忌を破るという2重の大きなミスを侵したために、2度と再び常世へ戻れなくなったばかりか、忽ちに老化して死出の道を急ぐ結果を招く。それは語り手や聴き手からすれば、「愚人」の「鈍」き行為として批判せずにはいられないが、その場にあればだれもがその道を選ぶに違いない点において、憐れみや同情を伴うものでもあった。
だからこの歌は、常世という異郷訪間に興味の中心をおいたものではなく、凡人の離脱不能の迷妄と無常と孤独を描こうとしたものであったと理解される。
一方下級官人虫麻呂は、律令制度化の官僚機構の中に組み込まれていたから、強い社会的制約によって縛られていた。しかも天平初年以降の時代状況は、長屋王の変後藤原四子体制が確立するが、治安の維持を強化しなければならないほど社会は不穏の度を増し、対外的には東南アジア情勢が緊迫化して、新羅との間に遣使を交換し、第9次遣唐使の任命も行う。かかる内外の不安定な状況に加えて、天然痘が流行し早炎が連続して事態は深刻の度を加える。天平9年には藤原四子もこの悪疫のために次々と斃れ、民は窮乏をきわめて政治的・経済的に律令体制は急速に弱体化の一途をたどる。こうした世紀末的異常事態を目の当たりにして、虫麻呂の鋭い目は、官人として名を挙げることが不可能であり、将来に望みをつなぐものは何1つないことを見通していた。事実その絶望的な様相は、奈良朝後期に続発する暗い事実の数々が歴史的に証明している。
虫麻呂は自己の力では抗しきれぬ残酷な生のあり方を浦島伝説に読み取り、自らの閉塞的で展望の開けぬ一生をそこに重ね見たものと考えられる。それは虫麻呂の自虐的な自画像ですらあると言えるのではなかろうか。
金春禅竹の美的理念―六輸一露思想をめぐって―
原田 香織 研究員
金春禅竹は応永2年(1405)に生まれ、円満井座(後の金春座)の棟梁として南都中心の活躍をなした。心敬『ひとりごと』には名人として世阿弥・音阿弥と共に記録されている。能役者・能作者・伝書執筆という様に活動実践と作品造型、理論構築をなし、3方面にわたる世阿弥の実質的な後継者といえる。
金春禅竹の伝書は、世阿弥能楽論の影響を受けつつも、独自の展開となっている。特に中世の美的理念「幽玄」に関しては、世阿弥の概念規定である「優美」「公家風の優雅」という範疇から、より哀感を帯びた深遠たるを志向している。世阿弥にとって金春禅竹は女婿にあたり、直接相伝した伝書は『六義』と『拾玉得花』がある。また禅竹相伝ではない世阿弥伝書に関しても禅竹自筆本が存在し、禅竹理論は世阿弥の能楽論からの多大な影響を受けている。禅竹伝書は五音系伝書と六輪一露系伝書に分かれるが、後者は執拗に探求され、『六輪一露之記』成立以降、秘注が施されより多角的な追及がなされる。
金春禅竹が重視したのは、歌道仏道である。特に歌論は同時代の流行として神格化された藤原定家傾倒があり、もう一方では南都興福寺との関係から仏道理論とその解釈が同時代的な思潮でなされ、その影響を受けている。これは六輪一露系伝書にも確認できる。
「六輪一露」思想は、「六輪」という概念と「一露」という概念からなる。「第一 寿輪」「第二 竪輪」「第三 住輪」「第四 像輪」「第五 破輪」「第六 空輪」は6の円相からなり、世阿弥の能楽の美的位相論でもある九位思想の影響を受けている。これは第1から第6へと展開するが「第一寿輪 歌舞幽玄の根源」と「第六空輪 無主無色之位、向去却来シテ、又本ノ寿輪ニ帰ス」は同形で単なる円(円内部に絵がない形)の輪相で示される。基本的には世阿弥の習道論を受け幽玄を基本に据えた段階的な習得であるが、随所禅竹独自の解釈が入る。そしてこの六輪は「性剣の形」剣相で示される「一露」の周りをめぐる。つまり「一露」は六輪の上位概念であり、六輪を超えた自由無碍の境地であろう。それぞれの輸相には、秘注において和歌が配当されるが哀感を湛えた無常の美の内容が多い。
本発表では、世阿弥の九位思想が、金春禅竹の六輪一露思想へどのように受け継がれ変容していくのか、六輪系伝書を中心に検討をすすめ、日本独自の中世的な美の一端として、中世和歌の美「有心」と、「空」の中に色彩を止揚した現象界のはかなさを示す美、無常観の中に漂う美の存在が禅竹の能楽論の「幽玄」の内実という試論をたてた。