平成18年12月9日 東洋大学白山校舎3203教室
平成18年12月9日 東洋大学白山校舎3203教室
現代韓国仏教における僧侶養成課程
佐藤 厚 客員研究員
〔発表要旨〕報告者は中国や朝鮮半島で発達した華厳教学を研究対象としているが、朝鮮半島の仏教の展開にも関心を持っている。そうした中、今回は、現代の韓国仏教における僧侶養成課程、すなわち教育の側面に着目して報告を行なう。その理由は、教育とは伝統の再生産であり、その課程の中に伝統が盛り込まれているのであるから、教育課程を通して韓国仏教の伝統と、それを継承する現在とが見えてくるのではないかと思ったからである。
現代の韓国仏教の中心は大韓仏教曹渓宗という禅宗の宗派である。修行は、坐禅をしながら公案(曹渓宗では話頭という)を参究するものであり、日本で言えば臨済宗に似ている。ここでは大韓仏教曹渓宗教育院が刊行した『大韓仏教曹渓宗 僧伽教育課程 案内』(2004年)にもとづいて僧侶の養成課程を紹介し、その歴史的背景について考察する。
曹渓宗の僧侶養成機関を講院といい主要な寺院の中にある。現在、講院を設けている寺院は、沙弥が13箇寺、沙弥尼が箇寺である。そこでは午前3時の起床から午後時就寝にいたる僧侶としての生活の中で教育が行われている。課程は年を修学年度とし、1年次を緇文班、2年次を4集班、3年次を4教班、4年次を大教班という。4年間で学ぶ科目は1必修科目、2奨励科目、3選択科目、4修行の4つに分かれる。この中、1必修科目は、さらに経・律・論の3部門にわかれるが、ここでは経に注目する。具体的には、縦文班では(1)『緇文警訓』、4集班では(2)大慧『書状』、(3)宗密『禅源諸詮集都序』、(4)知訥『法集別行録節要』、(5)高峰『禅要』、4教班では(6)『楞厳経』、(7)「金剛経』、(8)『円覚経』を学ぶ。大教藤班では(9)『華厳経』を学ぶ。
ここからわかることをまとめると次のようになる。第1には禅宗がベースとなっていることである。(1)から(5)は禅宗の文献であり、(6)から(9)も禅宗で重視される経典である。なかでも(2)は現代の韓国仏教の中心である看話禅の中心テキストである。また、中国の禅者では、宗密(③、④)、大慧(②)が重視される。ここから、ほぼ唐代の禅と宋代の禅が重視されることがわかる。一方、朝鮮半島の禅者としては、高麗時代の知訥(③)、高峰(⑤)が重視されている。
第2に『華厳経』が、最高位に置かれ、特別な位置が与えられていることである。これは高麗時代においても華厳宗が特別な地位をもち、禅においても知訥などにより、継承されてきたことのあらわれであると考えられる。
これを韓国の仏教思想史の中で考えてみると、まず高麗時代の知訥は定慧双修を説いて教学と実修の均等なるべきことを説いた。朝鮮時代になり、儒教中心の国家体制の中で、基本的に仏教は抑圧されたが、最終的には禅と教との2宗に整理された。そうした中でも知訥以来の禅と教とを均等に学ぶ伝統は継承されてきた。さらに『華厳経』の位置づけに関して言えば、統一新羅時代以来、『華厳経』は朝鮮半島の教学の中心であり続けた。そうしたことが現在の教育課程にも反映されていると考えられる。
ヴァイローチャナ伝におけるパドマサンバヴァ伝の影響
石川 美恵 客員研究員
〔発表要旨〕チベット仏教前伝期の大翻訳官・ヴァイローチャナ(8-9c)には、弟子のユダニンポ(g-yu sgra snying po,9c)によって編纂された伝記(″rje btsun thams cad mkhyen pa bai ro tsa na'i rnam thar 'dra 'bag chen mo”,abbr. DB )があるが、19世紀のダルマセンゲによって校訂された版本の奥書によると、この伝記にテルマとカーマがあるうち「サルテン寺で整理した」と伝えられるこのカーマは、「パドマサンバヴの伝記『ペマカータン』(″padma bka’ thang”,abbr.PK )から[引用して]加えたに過ぎない」と言う。本発表では、このダルマセンゲの奥書の記述を確認する作業として、両伝記の最も一般的な版本の相当部分を比較し、異同を検討することで、『ペマカータン』がヴァイローチャナの伝記とヴァイローチャナの人物像にどのような影響を与えたかを考察した。
DBは13章から成るが、このうちの6〜13章が、ヴァイローチャナの伝記に相当する。『ペマカータン』は本編が108章から成り、68〜77章、83〜85章はヴァイローチャナに関して説かれた、もしくは触れたものである。DBとPKとの対応関係を概観すると、凡そ次のようになる。
DB6章(前伝期のチベット仏教史、並びにヴァイローチャナが見出され、サムイェーに連れて来られるまで)は、PK68〜71章に相当し、DB7〜10章で語られる″インド求法の旅„に伴う、″16苦難„から、師シュリーシンハとの出会い、″神行〃の成就、チベットヘの帰還までは、72〜章に相当する。DB11章(ツァワロンへの追放)はPK75章に、DB12章(高弟・ユダニンポとの出会い)はPK76〜77章に相当する。DB13章(チベット帰京と諸国巡錫、清浄地への旅立ち)は、PK83〜85章に当たるが、6章ほど対応関係ははっきりしない。
まとめとしては、DBのカーマが整理されたのは、『ペマカータン』成立後と考えられる。それは、DBの記述が時系列的であり、ヴァイローチャナに関しては事績がわかりやすく、内容も簡潔である他、王を初め登場人物の喜怒哀楽がはっきりし、生き生きとしていることが挙げられる。従ってダルマセンゲが言う通り、カーマの部分は『ペマカータン』に依拠しており、特にヴァイローチャナの幼・少年時代の殆どを『ペマカータン』の記述に負っていると言える。また、『ペマカータン』にある――顕(イェシェーデ)、密(ヴァイローチャナ)、ポン(ケンジャクタンタ)、暦学(インドラヴァイロー)、医学(チューワル)で5つの名を使い分ける、という記述は、現在に至るまで伝えられる″イェシェーデ筆名説″とともに、ヴァイローチャナの人物像に活動の幅を与え、その偉大さを印象づける絶大な効果を齋したと考えられる。
目連宝巻三種
渋谷 誉一郎 客員研究員
〔発表要旨〕本発表では中国講唱文学の1つである宝巻において展開された所謂目連説話について、『目連3世宝巻』『目連救母幽冥宝巻』『目連巻』を取り上げ、その源流および継承について明らかにすることを目的とする。
まず、中国における目連故事の主要作品について史的展開を明らかにした。仏典『孟蘭盆経』に端を発する日連説話は、唐5代においては『大目乾連冥間救母変文』を始めとする変文類、元代においては成立時期について諸説あるが、『仏説目連救母経』、『慈悲目連宝懺』があり、明清では宝巻が主要作品として挙げられる。形式においては『目連巻』に少しく長短句を用いた楽曲系が認められるほかは、概ね詩讃系と称される斉言体唱詞を用いているのが顕著である。また、プロットについて上記作品を比較すると、内容の繁簡に差異が認められるが、基本的なプロットはほぼ一致しており、形式、内容ともに孟蘭盆経から宝巻にいたるまで連綿と継承されてきたことが確認できる。
その一方で、宝巻に特徴的な差異として、唱詞において10字句や曲牌の提示のある唱詞や曲牌のない雑言体唱詞が認められる。そうした唱詞はストーリーの展開に直接関わらないという特徴が顕著である。本発表では『目連巻』に見られる唱詞を挙例として紹介した。こうした現象を講唱文学史において如何に位置づけるかが今後の課題となるであろう。その解明には目連説話以外の講唱作品との比較検討、また宗教類以外の作品との比較検討を行うのが有効であろう。
また、近来の変文研究では、変文に現れる散文説白は、いわゆる賦体と称される文体の特徴を有する形式であることが注目されている。従来は賦体の起源を仏典に求めるのが通説であったが、賦体の源流は漢代の辞賦に遡るという視点は興味深いものがある。賦体は変文のみならず宝巻あるいはその他の回承文学にも認められる。その事実に基づけば、中国講唱文学の史的展開について、新たな視点からの研究が展望されるであろう。