令和7年6月14日(土) オンライン(Google Meet)
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天領地佐渡と能楽―歴史と文化
原田 香織 客員研究員
ユネスコの世界遺産に登録された佐渡金山は、江戸時代幕府の天領地としての権威性を保つが、その功績は佐渡奉行大久保長安による所が大きいとされる。大久保長安は能の金春流大蔵座のシテ方の家の出身であり、武田家譜代家老土屋直村から土屋姓を授けられ、その後小田原藩に仕え大久保姓となり異例の出世を遂げた。慶長九辰年に赴任した際には能楽師の常(つね)太夫(だゆう)と杢(もく)太夫ほか、脇師・謡、笛・太鼓・大鼓・小鼓の囃子方、狂言方一行を連れて、能を演じた。大山祇神社、春日神社を勧請し、幕府の式楽としての体制を十二分に維持した。大久保長安事件が死後起こり一族に不正の嫌疑がかかり粛清の対象となるが、初代大蔵庄左衛門に大蔵大夫の名跡を継がせていたため、のち仙台藩に庄左衛門家流が伝承された。
能楽については、金山の豊かな財力による影響を受けていたかどうか事実関係は審らかではないが、実際に佐渡には神社・寺院に併設された三十五か所の能舞台が現存し、同時に合併以前の地域社会の信仰と祝祭の場となっていた。宝生本間太夫家と脇侍遠藤家が主流となり、鷺流狂言も伝承されている。また明治維新後の旧幕府の式楽としての能楽は文明開化により一時的に過酷な待遇になったが、佐渡は能役者を受け入れる一時的避難場所にもなっていた。
一方、江戸以前における佐渡は、律令制度以後、配所としての流刑地「遠流」という場所柄から、皇統問題なども含み政争に敗れた敗者の場であった。能楽の大成者世阿弥も将軍義教時代に「罪なくして配所の月を見る」立場となり、その罪状は明らかではないが、順徳院、京極為兼などの事例も佐渡の地に伝承されており悲劇的性質を帯びながら世阿弥『金島書』にみる神話的空間に変転する。栄光と転落、絶望からの変転、佐渡における歴史と文化の変遷については、世阿弥の配流先である正法寺に「神事面 癋見」があり、世阿弥着用の伝承が残る。世阿弥の伝承も佐渡においては語り伝えられていたものの一つか。
ユネスコの世界遺産登録のために佐渡の多くの文化財が確認されたが、新潟県指定有形民俗文化財の能舞台は、佐渡本間家能舞台・佐渡諏訪神社能舞台・椎崎諏訪神社能舞台・佐渡羽黒神社能舞台・佐渡牛尾神社能舞台・佐渡熊野神社能舞台・佐渡大膳神社能舞台・豊田諏訪神社能舞台・椿尾気比神社能舞台・佐渡草苅神社能舞台・大崎白山神社能舞台等があり、また現在なお盛んに演能が行われているのは、能楽が根付いた佐渡という歴史的な磁場をもつ空間の力と伝統を受け継ぐ土地の力によるものであろうか。