日本の老年期における死と孤独
日本の老年期における死と孤独
現在、高齢社会の問題が取り沙汰されており、その原因として、高齢化社会から高齢社会への移行が急スピードでなされたため、その対処が間に合わなかったなどとも指摘されているが、この問題は、単に対処の遅れのみに見いだされるものなのだろうか。巷では「すこやかな老い」「認知症にならない生き方」などと老年期がひどく矮小化され、あるいは忌避のニュアンスで語られることが多いように見受けられる。また、90歳を超えて一線で活躍している医学者などの話が様々なメディアや講演をにぎわしているが、それは、成功し、活躍している学者の姿であり、その姿が理想化されることにもつながり、老年期と向き合うことをそらしているともいえよう。「このように老いたい」という願望は、老いと相反する若さへの願望ではないだろうか。また、フィリップ・アリエス『死と歴史』では死との親しみから死のタブー視に至るまでの変遷が語られているが、老年期においては死への時間的近接は避けられないにもかかわらず、その一方でノルベルト・エリアス『死にゆく者の孤独』で示されているように死は隠蔽され、今日の日本では、家族の変容、病院死、喪葬の業者化と喪葬習俗の衰退といったことにより死が遠ざけられているようにも見受けられる。
そして、今日孤独死が問題となり、孤独死をなくそうという運動が盛んに行われているが、孤独ということもまた、コミュニティが重視される一方で、脇に追いやられている観がある。しかし孤独が避けられない以上、孤独が隠蔽される事態はその孤独の持つ積極的な側面もまた隠蔽してしまう。西行をはじめ、多くの文人たちは孤独を生き抜き、そこから創造性を発露させているといえるだろう。すなわち、孤独を忌避せずに積極的な側面を考察することが重要である。
そこで、本研究は、現代日本の老年期における死と孤独について、文学、哲学、仏教、道教、社会学、生命倫理、ヨーガ実践の領域においてそれぞれテーマを掲げて研究を進めていき、その成果を公開の研究会で発表することを目的とする。研究組織は以下の通りである。
研究代表者 役割分担
高城功夫 研究員 研究総括、古代・中古・中世文学にみる老いと死と孤独
研究分担者 役割分担
谷地快一 研究員 俳諧を中心とした近世文学における老・死・孤独
神田重幸 研究員 近代文学における老いと死と孤独のあり方
山崎甲一 研究員 近・現代文学における老年期像および死生観・孤独観
川崎信定 客員研究員 仏教における他界観と老年期の問題
渡辺章悟 研究員 生前の功徳と老年期における不安
相楽 勉 研究員 老年期の死と孤独に関する比較思想的研究
大鹿勝之 客員研究員 終末期の問題と老・死・孤独
菊地章太 研究員 道教における死生観と日本の習俗への影響
井上治代 研究員 死者祭祀の変遷にみる老・死・孤独のあり方
番場裕之 客員研究員 ヨーガ思想からみた老・死、日本のヨーガ受容と老・死
榎本榮一 客員研究員 古記録にみる死と老年観の変遷
次に、本年度の研究経過を報告する。本研究の申請採択を受け、平成21年3月18日に打合会を開催、各研究者の研究計画を確認し、シンポジウムの開催について協議した。
研究者の研究調査については、平成21年9月3日〜9月5日、相楽研究員が新潟県十日町市で開催された大地の芸術祭の調査を行い、次いで研究代表者の高城が9月6日〜9月8日、京都に、西行と明恵との関わり、比叡山での西行の足跡に関する調査を行った。また渡辺研究員は、9月27日〜9月30日、岡山県高梁市有漢町上有漢の保月六面石憧と倉敷市の五流尊流院に十三仏信仰に関する調査を行い、榎本研究員が11月9日〜11月11日、京都鳥部野や蓮台野における葬送地の調査を行った。そして、山崎研究員が2月28日〜3月3日松山(子規記念博物館ほか)、熊本(玉名市天水町小天)において、分担課題「近・現代文学における老年期像および死生観・孤独観」に関連して、正岡子規・夏目漱石に関する資料・旧跡の調査を行い、代表者高城が3月8日〜3月10日、伊勢における西行の足跡、岐阜県恵那市長島町の西行塚伝説に関する調査を行う。
研究発表としては、榎本客員研究員が7月4日に研究所の研究発表例会において、「『小右記』にみられる「出家」について」と題する発表を行った。この発表は、臨終のあり方を考えるにあたり示唆に富んだものであった。概要については「3・1研究発表例会」の項を参照されたい。
そして、11月2日に「現代の老年期と死生観」と題するシンポジウムを開催した。日程などの調整に難航したが、盛会に終えることができた。介護の問題や葬送・墓の問題など、現代の老年期の問題について、参会者の関心の高さがうかがえた。
以下に、平成20年内に行われた研究調査ならびにシンポジウムの概要を示す。
研究調査活動
「大地の芸術祭」(越後妻有アートトリエンナーレ2009)にかんする調査
(地域住民、特に老齢世代の芸術祭への参加、協力の実際を調査。地域在住高齢者の社会参加や生きがいなどにかんする考察の手がかりとする。)
相楽 勉 研究員
期間 平成21年9月3日〜9月5日
調査地 新潟県十日町市(大地の芸術祭の諸会場)
3日はまず松代駅傍の会場「農舞台」において、芸術祭全体についての情報を収集。午後松之山地区の空き家を利用した作品を見ると共に地元の高齢者に話を聞く。
4日午前は松之山の民俗資料館で地元の伝統的な生活形態を調査。その後松代近郊の田野倉、訪平(あざみだいら)集落で地元の人や作品製作者に話を聞く。
5日は十日市市街の作品を見た後、川西地区にある幾つかの集落で「作品」を見、これにかかわった地元の人に話を聞いた。
調査の結果を総括すれば、「大地の芸術祭」は過疎化対策としてかなりの成果を挙げており、今後の過疎化高齢化に対応する大きな手がかりを提供していると思われる。廃校になった校舎や空き家を作品展示場として蘇らせるばかりではなく、作品製作に地元の高齢者たちが積極的にかかわることによって、地区全体の再活性化、さらには地域同士のつながりをもたらしているのである。
分担課題「古代・中古・中世文学にみる老いと死と孤独」に基づく調査
(高山寺・西明寺・神護寺における西行と明恵との関わりに関する調査、比叡山における晩年の西行の足跡の調査)
高城 功夫 研究員
期間 平成21年9月6日〜9月8日
調査地 京都(栂尾、槙尾、高雄、比叡山)
9月6日は、栂尾の高山寺に明恵高弁上人の遺跡や事跡の調査のために訪れた。特に明恵上人の華厳の思想や西行晩年の明恵上人との対談とされる栂尾山高山寺の堂字の配置やその思想の背景の調査をすることが目的であったので、それらを検討するための資料の収集と調査をした。
9月7日は槙尾の西明寺の調査をし、高雄(尾)山神護寺の調査をした。特に神護寺は西行と文覚上人の対談の場面があったところであるので、その遺跡や思想的背景の地の調査をした。また西行の『聞書集』に出てくる「やすらい花の祭」の花鎮めの行われたであろう遺跡の調査などをした。そのあと清滝川周辺の調査をした。西行が「降りつみし高嶺の深雪とけにけり清滝川の瀬々の白浪」と詠んだ清滝川を、西行の音をしのんで下流まで歩き、その自然や環境の調査をし、芭蕉の句碑や与謝野晶子の歌碑の調査もした。
9月8日は比叡山、横川に行き中堂や源信堂などを確認した。特に西行と慈円とが横川で対談したとされる場所や遺跡を見、西行晩年の事跡の調査をした。そのあと西塔や東塔の調査をし、伝教大師最澄の遺跡の調査などをして有意義であった。
分担課題「生前の功徳と老年期における不安」に基づく研究調査
(生前の功徳と十三仏信仰に関わる、十三仏成立過程を示す岡山県高梁市有漢町上有漢の保月六面石瞳と倉敷市の五流尊流院の調査)
渡辺 章悟 研究員
期間 平成21年9月27日〜9月30日
調査地 岡山県高梁市、倉敷市
9月27日午前8時30分に高崎を出発して、東京経由で午後に倉敷駅に到着。少し時間の余裕があったので備中国分寺と国分尼寺を見学した。
翌日レンタカーを借りて、倉敷市、五流尊龍院の十三仏の調査。この寺は修験道の総本山であり、役行者像や柴燈護摩壇などもあり、修験と十三仏の結びつきを確認することができた。また、住職から後鳥羽上皇の五流尊龍院宝塔(国重文)に関する資料を戴いた。この後、岡山市の日応寺に行くつもりであったが、レンタカーの故障で、3時間ほど時間をロスした。
翌日は岡山県高梁市有漢町有漢にある補月の六面石幢および、五輪塔群を調査。大変な山中にあり、付近の民家に尋ねて漸く探し当てることができた。これは十三仏の前段階にある鎌倉時代の石柱で、高さ約3メートルの細い六角の石塔に、12の尊像と種子と経文が刻まれた大変貴重なもので、多くの写真を撮ってきた。
翌日は岡山市の日応寺の宝物館を拝観させていただき、望外の調査をすることができた。
分担課題「古記録にみる死と老年観の変遷」に基づく調査
(平安時代中期(摂関期)の公家日記中にみられる死と葬送儀礼の考察に関連する、京都鳥部野や蓮台野などにおける葬送地の調査)
榎本 榮一 客員研究員
期間 平成21年11月9日〜11月11日
調査地 京都(鳥部野・蓮台野等)
9日、新日吉神社の辺りから、馬町・五条坂を通り八坂の塔まで歩く。五条坂から大谷本廟の脇を清水寺に向かって登る道の両側には、かつての鳥部野の葬送地を偲ばせる彩しい数の墓石が並ぶ。また墓所中の谷底にある親鸞の「御茶昆所」にも降りてみた。古くからの葬送地であることが実感できた。
10日、銀閣寺の前の哲学の道を南に、法然院を過ぎると冷泉天皇桜本陵があり、参る。銀閣寺の背後の山の反対側が北白川で、古代からの葬送地の1つであり、丸山町付近は村上源氏の葬地であったとされる所である。船岡山の北西側が蓮台野で、古代からの代表的な葬送地の1つである。船岡山の北には、大徳寺およびかつて船岡山頂で祀られていた疫神を移した今官神社がある。後冷泉天皇の火葬塚もあり、かつての蓮台野を偲ぶことができた。
11日、仁和寺の西に広がる宇多野も古代からの葬送地の1つである。円融天皇後村上陵、光孝天皇後田邑陵がある。仁和寺と龍安寺の間の山中に「宇多源氏始祖追遠之碑」が立つ。この辺りが始祖の雅信やその娘で藤原道長の正室源倫子が葬られている宇多源氏の葬地である。また、一条天皇皇后藤原定子の鳥戸野陵に参る。この陵域には東三条院詮子の火葬塚も含まれ、鳥部野をより実感できた。
シンポジウム
現代の老年期と死生観
平成21年11月2日甫水会館202室
パネリスト:井上 治代 研究員
谷地 快一 研究員
渡辺 章悟 研究員
司会:相楽 勉 研究員
平成21年版高齢社会白書によると、平成20年10月1日現在65歳以上の高齢者人口が過去最高の2、821万6000人となっているが、高齢者について語るとき、老年期を謳歌するというよりは医療費の問題、年金の問題、認知症などの健康の問題が取りざたされている。また、顔の級や体力の衰えなど、加齢に対する否定的な面や若さが強調され、老いというものを直面し受容しない傾向も見受けられる。そして、孤独死ということが採り上げられることにより、老年期における孤独ということも問題となっている。今回のシンポジウムは、「現代の老年期と死生観」と題して、社会学・文学・仏教の立場から老年期を積極的にとらえる視座を検討することを目的として開催された。なお、当初パネリストとして予定していた蓑輪顕量・愛知学院大学教授が急務のため参加できなくなり、分担者の渡辺研究員が箕輪教授の原稿を代読するかたちで基調講演がなされた。以下に基調講演の概要を示す。
「老後の不安と葬儀・墓のあり方―現代の葬送礼儀にみる老年期―」
井上 治代 研究員
井上研究員が理事長を務めるNPO法人エンディングセンターでは、入会時の書類に葬儀不要の希望や散骨の希望など葬送・埋葬に関するさまざまな要望が寄せられている。その背景には、核家族の晩年の姿である夫婦のみの世帯、独居世帯が急増しているということがあげられる。そして、2001年の意識調査では葬送は親しい人とこぢんまりと行いたい、葬式はいらない、という回答が非常に多くなっているが、これは葬送の私化、個人化として説明される。私化とはプライバシー意識の明確化として捉えられているが、葬送の私化とは、家族や親類あるいは恋人など、故人と深い関係にある人たちで葬送が行われることを志向する傾向である。
墓については、今日、夫婦のみの世帯、独居世帯の増加にあわせて、後継ぎを必要としない墓が志向されてきている。また散骨、墓石を設けず埋葬地に樹木を植える樹木葬といつた自然志向もみられる。また、夫方・妻方の双方の親を一緒の墓に祀る両家墓といった、双方化という傾向もあげられる。そして、埋まっているところは個別の区画で決まっていながら、その全体は1つの共同の墓という共同性、埋葬された者の名は明確に示されている半匿一名性という、墓の集合住宅的な要素も現在の墓の傾向としてみられる。
「老いと俳諧―文台引き下ろせば即ち反古なり」
谷地 快一 研究員
芭蕉は51歳で生涯を閉りじたが、その芭蕉が考えていたのは「ただ生きよ」ということであった。その具体的な実践こそ俳諧という高尚な文事であり、老後の楽しみであった。
芭蕉の遺した言葉に「文台引下ろせば則ち反古なり」という言葉がある。文台は脇で抱えて持って歩けるような小さな机であるが、和歌とか俳諧、俳句の会とかそういう文事のある時に使う机で、文台とは文学の席という意味がある。そこで「文台引下ろせば則ち反古」というのは、俳諧という文芸は、その文芸の会が終わった後は、もう紙屑であるということを言っている。文芸というのは、いわば参加型の文芸であって、それが、会が果てたならば、もう紙屑であるという考え方である。
また「諸善諸悪皆生涯の事のみ、何事も何事も御楽可被成候」という言葉を芭蕉は遺しているが、悩んだり喜んだりしている全てが、生きている間のことであり、だから、生きている間を十分に楽しんでください、芭蕉の場合は、俳諸で、老後を楽しんでくださいというふうに言っている。そして遺状の「弥俳詣御勉め候ひて、老後の御楽しみに」という言葉において、芭蕉が俳諧は老後の楽しみと言う時の意味は、生きている間が全てで、死んだ後のことについて私がとやかく言及する立場にはないのだ、というような考え方がおそらくあったのだろうということがわかる。
「老年期における仏教―老・病・死と仏教―」
蓑輪顕量・愛知学院大学教授 代読 渡辺 章悟 研究員
私たちが老を嫌悪するのは、長い間に身に着けた泥みの反応に他ならない。年を取ることで身に迫ってくる、様々な身体的な変化に対する恐れと不安、時には恐怖のような感情もあると思われるが、それらによって苦しみを感じている。それらには、他者の老を見て感じ取ったものもあるだろうし、自らの老に対して、感じたものもあるだろう。でも、どれも、老という現実の上に、引き起こされてきた心の反応に過ぎない。とすれば、恐れや不安を起こすまえの段階で、心の働きを止めるということを考えて良いのではないか。それは、老を老として受けとめることに他ならないと思われる。
同じようなことは死に対しても言えるのではないか。死を死として受けとめる、それが死を克服する方法ではないか。
また、次のような克服の仕方も考えられる。瞑想は、実は座ってするものだけではない。朝起きてから眠るまで、1日中、自分の身体が起こしている行動を気付き続けるというものがある。心が起こしている働きから、私たちの身体の動きまで、すべて気付き続ける。大切なところは、今の一瞬、一瞬に、心が感じているもの、あるいは身体が動いているのであれば、その動きを気付き続ける対象にすることである。病気も老も、今の一瞬一瞬を気付きながら生活するようにすれば、それらがもたらす不安や恐れを、心が抱くことから離れることができるだろう。
基調講演の後のパネルディスカツションにおいて、死と表裏一体となった生のあり方、心を安定させるあり方などについて、活発な質疑応答がなされ、参会者を交えた、活気に満ちた討議が展開された。