東洋思想における個と共同体の関係の探求
東洋思想における個と共同体の関係の探求
本研究は東洋大学学術振興資金による所内プロジェクト研究であり、この研究目的は、東洋思想の研究を通じて、個が属する社会の豊な発展を協働して目指す等、構成員の個の立場を超えた側面を勘案しつつ、さらにそこで、個と共同体のある種の対立関係さえ保持しつつ、真の個が確立され、しかも相互理解や相互扶助に基づく平和で豊かな共同体を実現する原理を探求することを主題としている。この研究組織は次の通り。
研究分担者 役割分担
竹村 牧男 研究員 研究総括・日本仏教関係
末次 弘 研究員 日本近代思想関係
白川部 達夫 研究員 日本社会思想関係
沼田 一郎 研究員 古代インドの法哲学関係
橋本 泰元 研究員 ヒンドウ教文化・思想関係
渡辺 章悟 研究員 インド大乗仏教関係
伊吹 敦 研究員 中国仏教関係
川崎 ミチコ 研究員 中国文学関係
本年度の研究経過は以下の通りである。
第1回研究会4月28日(水)午後1時半より東洋学研究所にて開催。まず、竹村が、本研究プロジェクトの趣旨と自分の研究テーマと研究内容について発表し、つづいて各研究者が、自分の研究テーマと研究内容について発表し、互に共通理解を深めあった。
第2回研究会東洋大学白山校舎スカイホールの左側部分を借りて6月16日(水)午後4時半より開催。白川部研究員の発表「日本における頼み意識の変遷」を聴き、討論した。同発表は、万葉集以降江戸時代までの「頼む」の語意の変遷を辿り、特に武家における主従関係における「頼み」の意味構造を分析し、一方、百姓らにおける訴訟上の「頼み証文」の意義を分析して、収奪関係ではない公権力の形成の構造について興味深い視点を提示した。
第3回研究会7月14日(水)午後4時半より東洋大学白山校舎大学院セミナー室一にて開催。橋本研究員の発表「ヒンドウー教における宗団とカースト制」を聴き、討論した。同発表は、インド古代社会における四姓制度の変遷を辿りつつ、ヒンドウー教の入門儀礼の中核をなすタントラ思想の内容を紹介し、特に14―5世紀の野の宗教家カビールに発するカビール教団の、伝統的諸儀礼を否定した独自の入門儀礼を検討して、身分差別を超越した共同体の構造について解明しようとしたものであった。
第4回研究会9月29日(水)午後4時より東洋大学白山校舎大学院セミナー室1にて開催。沼田先生の夏のインド旅行の報告会を行った。沼田先生はインド・ガンジス川の源流域のゴームクというところまで旅行し、その道沿いのヒンドウー教寺院の行事。信仰、僧侶や行者らの意識等を調査してきた。
第5回研究会10月23日(土)午後3時より東洋大学甫水会館401室にて、桐蔭横浜大学客員教授・八木誠一博士を招いて、「新約聖書の共同体理解」と題する公開講演会を開催した。出席者は30人程度、講演ののち、活発な質疑応答がなされた。
このほか、夏には、本研究に関するデータベースの作成を進め、また1月に、西田幾多郎の共同体観に関する資料の収集・調査として、石川県立西田幾多郎記念哲学館にて調査を行った。研究調査活動および公開講演会の詳細は以下の通りである。
研究調査活動
インドの共同体社会と個人の宗教的信仰についての実地調査
沼田 一郎 研究員
期間 平成16年9月2日〜9月15日
調査地 インド(デリー、ハリドワール、ウッタルカーシー、ガンゴーットリー、ゴームク)
今回の渡航目的は標題の通りであるが、それはやや具体的に言い換えると以下のごとくである。インドにおいてはいわゆる「ヒンドウー教」信仰が多数を占めているが、それは人々が複数の選択肢の中からそれを選び取らた結果ではない。ヒンドウーは生まれながらにしてヒンドウーなのであり、共同体に根ざした宗教体系の典型例をそこに見いだすことができるのである。このようなヒンドウーたちはもちろん在家の信者であるが、ヒンドウー教には出家修行者( sādhu ,sannyāsin )も存在する。インドにおける出家主義の伝統は紀元前5〜6世紀頃の古ウパニシャッドにまで遡るものであるが、在家主義を基本とするインドの伝統宗教とは異質なものであるといえる。このように、インドには共同体社会の構造に深く根ざしている宗教世界と、それに源泉を持ちながらも異なる形態を有する「出家」という存在が混在しているのである。
信仰の共同体的発露の1つが「巡礼」である。巡礼は個人で行われることもあるが、信仰を共にする者たちが複数集まってなされることもある。とりわけガンジス河流域に点在する聖地を巡るそれは、ヒンドウー教徒にとっては生涯の夢といっても過言ではなく、インド各地から聖地を目指す巡礼が集まるのである。また、このガンジス河はそれ自体が「女神」として信仰の対象となっており、その源流域に位置するガンゴーットリー地方は、在家の巡礼集団と出家修行者の双方が集まるシヴァ教の聖地として第1級の重要性を持つ。
以上の諸点を踏まえて、今回の調査旅行では特に以下の3点を具体的な課題とした。
①ガンジス河の源流に到達する。
②ガンジス河上流地域におけるヒンドゥー教の実態を観察し、資料を収集する。
③書店、図書館その他における資料収集・調査。
9月2日に成田空港を出発し、同日深夜にデリー到着。翌日は、鉄道・自動車を乗り継いでウッタルカーシーヘ到った。ウッタルカーシーにおいては、市街中心部にあるヴィシュヴァナート寺院を訪問し、寺院付きのバラモン祭官による祭儀の実践を見学して、その際に読誦される聖典等について質問した。通常プラーナ聖典、特に『スカンダ・プラーナ』を用いること、またシヴァ神のシンボルである「リンガ」が同寺院地下の岩盤に直結するという伝承があることを確認した。
翌9月4日、自動車道路の終点であるガンゴーットリーに到着し、同地のガンゴーットリー寺院にて以下のような観察および資料収集を行った。河畔の沐浴場において「ガンガー・プージャー」を体験した。祭官プラディープ・セームヴァール氏の説明によれば、通常『ガンガー・ストートラ』を読誦しつつ、信者及びその家族等の健康・平安を祈祷する。料金は100ルピー(1ルピーは約2.5円で)あった。その後、ガンガー女神を祀った同寺院の「本堂」が開門するのを待つ間に、同氏ならびに出家修行者であるサントーシャナート・バーバー氏に取材した。またこの後9月7、8日にも同寺院において別の人物から話を聞く機会があり、それをまとめて示すと以下の通りである。
○セームヴァール氏:ウッタルカーシー在住。サンスクリットは大学ではなく私的な師匠から学ぶ。
○サントーシャナート氏:35歳。当地に来て2年になる。冬季はリシケーシュに滞在する。サンスクリットの知識は乏しい。
○パンディット・サンジーヴ・セームヴァール氏¨上記セームヴァール氏の兄。生活費を稼ぐためにホテルに勤務するが、本職はガン
ゴーットリー寺院の「第1祭官( mukhyapūjāri )」。来年はヴァーラーナシーに行ってヨーガを学ぶ予定。
○ターパス・クマール・バッターチャーリヤ氏:MP州のBopalから来た在家のシヴァ教徒。河畔の沐浴場で『シヴァ・プラーナ』を読誦
中。シヴァ教の教義を解説してくれる。
○バーレーシユヴァル・シャルマー氏:ヨーガアーシュラム「聖ヴィジャヤラーガヴァ・マンデイル」に常駐するバラモン。当地においては、書店にてガンジス河の賛嘆を主題とした聖典などを購入した。機会を改めて内容紹介する予定である。
翌日、徒歩にてボージュヴァーサヘ向かう。約6時間の道は十分整備されており、特に危険を感じる箇所はなかった。ここはガンジス河源流であるゴームクヘの中継地点である。ガンゴーットリー地方を含む「ガルワール・ヒマーラヤ」地域の開発を受け持つ「ガルワール地域開発公社( Garhwal Mandal Vikas Nigam)」が運営するゲストハウスに宿泊し、ゴームクヘ到着したのは翌6日の午前中である。ゴームクはガンゴーットリー氷河の舌端であり、ガンジス河はここを源流としている。ここを訪れるインド人は多数あり、途中にシヴァ神を祀った祠も多数ある。そこにはシヴァ神を象徴的に表す「リンガ」が安置されているのが普通であるが、ボージュヴァーサ付近からゴームクに至る道程ではそのリンガに見立てた「シヴァ・リンガ峰(ヒンデイー語では「シヴァ・リング」、標高6,543m」)を望むことができる。歩くことが困難な者には、ロバ・輦台などの便宜もある。
当初はこのゴームクヘ到着することが目的であったが、さらにその上に「タポーヴァン(標高4,500m」)という場所があることが判ったので、そこへも足を伸ばすことにした。ゴームクから上は登山道が整備されているわけではない。氷河のモレーン地形の中に踏み跡がある程度で、危険を感じたためガイドを雇うこととした。
「タポーヴァン」は日本語で「苦行林」を意味する。インドの古典文学にもこの語(サンスクリットでは「タポーヴァナ(tapovana)」)は見られるが、この「苦行林」は日本語の「苦行」から受け取る語感とはかなり異なる印象である。つまり、ここで言うところの苦行(tapas)とは、肉体的に過酷な行いではなく、静寂な環境でヨーガの瞑想に耽る時ことであると言える。実際「タポーヴァン」は雪をかぶった高峰を望む草原地帯であり、そのようなことが行われていることが想像された。
9月7日にガンゴーットリーヘ戻り、再び寺院において観察・資料収集を行った。ここでは、諸儀礼の料金体系や1日の儀礼の次第( kāryakram 記した資料を得ることができた。その「次第」に従って、翌朝六時からいわば朝の勤行とも言うべき utthāpanna を観察した。また、当地に多数存在するヨーガアーシュラムの1つを訪問した。そこを管理するバラモンから直接取材したことは上記の通りである。
その後、ウッタルカーシーを経てハリドワールに到る。ここでガンジス河は山岳地帯から平原部に姿を現し、シヴァ教・ヴィシュヌ教の如何を問わず、ヒンドゥー教徒にとっては一大聖地である。大規模な沐浴場でヒンドウー教徒が沐浴する様子を観察し、市内の書店において資料収集に努めた。市内には「サンスクリット大学( saṃskṛtamahāvidyālaya )」があるが、その1つ Bhagavāndās Saṃskṛta Mahāvidyālaya を訪問した。インドの伝統的なサンスクリット教育を知ることで、本学において筆者の担当する入門講義を何とか改善したいと考えたからである。たまたま初級クラスの授業中であり、教師の許しを得て生徒たちとともに授業を受けることができた。教師はサンスクリットのみを話し、生徒を指名して会話をする。また、クラス全体で名詞の格変化や動詞の話尾変化を暗唱させる、サンスクリットの歌を唱和するなどの方法は、積極的に取り入れたいと考えている。
再びデリーに戻った後は、市内の有名書店において資料を収集購入し、またムスリム、シク教などの遺跡。寺院を訪問した。
以上が今回の渡航の概要である。たまたま現地の人々と若干の交流を持うことができたが・本格的な実地調査とするためには現地の言語(今回の場合はヒンディー語)の運用能力を高める必要性を感じた。また、1つの場所に長く滞在して多面的に調査をするべきであり、次の機会には充分にそのような準備をした上でインドを訪問したいと考えている。
西田幾多郎の共同体観に関する資料の収集・調査
竹村 牧男 研究員
期間 平成17年1月6日~1月7日
調査地 石川県立西田幾多郎記念哲学館
1月6日 移動日
1月7日 午前10時に、哲学館を訪問。午前中は、展示を見学。西田の生涯に関する数々の新資料を見ることができた。
昼食の後、図書室で、西田の特に共同体観に関する資料を、各種研究書等で調査、必要な資料をコピーするなどした。 のち、同館の大熊玄学芸員(西田哲学会事務局でもある)と情報交換し、最近の西田研究の動向について話し合った。
午後4時30分、同館を去った。
公開講演会
平成16年10月23日東洋大学甫水会館401室
新約聖書の共同体理解
八木 誠一・桐蔭横浜大学客員教授
旧約聖書の共同体理解の中心にあるものは、イスラエルは自然的共同体ではなく契約共同体であるという考え方である。すなわちかつて(前13世紀ごろ)イスラエルの先祖はエジプトでファラオのもとに苦役を強いられていたが、モーセが神の委託を受けて彼らをエジプトから脱出させ、パレスチナに向かう途中、シナイ山で神と契約を結び、その民となった、という理解である。この場合、契約とは平和で秩序ある共存の合意ということで、神の民イスラエルは神が与えた律法(モーセの十戒)を守る義務と負うことになった。義務を守れば祝福が、破れば罰が、与えられるというのである。
新約聖書は民族特有の律法ではなく、全人類的倫理を神の戒めと拡大解釈する。誰であれ悪を行った人間は神に罰せられて地獄に落ちなければならないが、イエスが人間の罪の贖いとして十字架上で死に、復活した。これによって神と人との間に新しい契約(新約)が締結された。すなわち民族や性や社会層とは無関係に、イエスを救済者(キリスト)と信ずる者は誰でも贖罪にあずかり、罪なき者と見なされて神の民の一員となり、終末時に現われる永遠の神の国に入る。一塊のパンを裂いて食べ、同じ杯を回し飲みするいわゆる聖餐は、イエスと弟子の最後の晩餐の記念、新しい契約の象徴となるのである。キリスト教会は新しい神の民の地上における現実性であり、民族を超えて世界に広がる。それに対してイスラエルと神の契約は旧い契約(旧約)と解釈された。
以上のような共同体理解は共同体の「人格主義的」理解と呼べるものである。それに対して新約聖書のなかには、聖餐はキリストのからだにあずかること、霊的なキリストと一体になることであって、信徒は「キリストのからだ」である教会に、その肢体として組み入れられることであるという理解が、かなり初期から存在した。この理解においては信徒の人格性全体が神・キリスト・聖霊の働きに根差し、その表出となるのであり、その代表的なものは「愛」であった。その反面は、信徒が罪の支配から自由となることである。そして教会は信徒と神の「働きにおける1」に基礎付けられた統一体となるのであるが、そこには役割分担と構造が成り立ってくるのである(一即多の関係といえる)。
最初期のエルサレム教会では信徒は財産を売って教会に寄付し、そこで互いに必要なものを分け合って共同生活をしていたという記述があるが、これはかなり理想化された理念的把握であろう。教会は1世紀中葉にシリア、小アジア、マケドニア、ギリシャからさらにローマに広がった。1世紀の末には監督、長老、執事という役職ができ、2世紀にはこのような監督制が一般化し、やがて西方ではローマ教会の監督が全教会の頂点に立つローマ・カトリック教会として制度化された。カトリックとは普遍的という意味である。