2010年度 公開講演会 発表報告
開催日:2010年12月4日 場所:東洋大学白山キャンパス5201教室
2010年度 公開講演会 発表報告
開催日:2010年12月4日 場所:東洋大学白山キャンパス5201教室
山城を遡る
―山岳信仰と軍事施設―
講演者:山舘 順 氏・サレジオエ業高等専門学校准教授
〔講演要旨〕
山岳信仰とりわけ山を巡る他界観が、軍事施設であり命のやり取りをする山城においてどのような形でみられるのか、戦国、古代末、弥生の各時代の事例をながめ、さらに高句麗の山城について実地見聞した結果から共通点をまとめる。
I戦国大名北条氏と山岳信仰
戦国末の1560年代に改修された八王子市北部にある山城滝山城について、近年の研究成果に拠りつつ北条氏の宗教政策を山岳信仰の面から見ていく。
滝山城周辺の地名である「加住」は本来大和吉野の大峯山系修験道の縄張りをあらわす霞に出来し、実際周辺に大峯山系修験道と関係する社寺が分布することとあわせ、この地の山城を拠点とした北条氏と大峯系修験道との関係がうかがわれる。また城の北は多摩川に面した断崖だが、その上流には武蔵御岳神社のある霊山御岳山に至る。
武蔵御岳山もまた大峯系修験の霊山であり、北条氏が多摩川でむすばれた2つの地域を宗教政策で重視していたことが伺われる。中田正光『村人の城戦国大名の城』より
Ⅱ北の防御性集落大鳥井山遺跡から
秋田県横手市の大鳥井山は戦国期の山城とされてきたが、近年の再調査で10・11世紀に築造年代がさかのぼることとなった。川に面した丘に深い空堀と土塁を巡らし、近世のものであるが十三塚が並ぶ。十三塚は中国の地下他界による十二(閻魔)信仰の現れといわれるが、日本では戦死者を祭った伝承が多くみられ、山中他界観に取り込まれて各地の山の中にこれが築かれており、この小さな山城が、1種の山中他界を意味する可能性を持つと考える。
実際ここは古代末の後三年ノ役で戦場となっており、山中他界観が山城において顕在化した事例と考えたい。
Ⅲ弥生中期の環濠集落田和山遺跡
島根県松江市郊外のこの遺跡は急峻なピラミッド型の小丘を三重の堀が廻り、狭い上場部には戦に関する神を祭つた九本柱の祭祀遺構が検出された。
祭祀内容は戦勝祈願とされ、一種神戦の場とも推定された。(山川出版『新版島根県の歴史』)一方周辺には弥生の墓域もあり、山城の原型としての意味も考えられる。
弥生中期に山中他界観がどの程度日本に及んでいたか不明だが、軍事施設と山の頂の祭祀場という遺跡の性格がそれを考える手がかりを与えてくれる。
Ⅳ高句麗の丸都山城周辺
中国内の鴨緑江に面した集安は高句麗の都城遺跡が存在するが、古代の都城である丸都北西数kmの丸都山城は渓を取り囲む四世紀頃の城壁と谷の入口に水門、城門が残る。
谷の周囲即ち山麓には王族貴族の積石塚古墳が数十基分布し、ここには古代中国にみられる山麓他界観と山城という関係が見て取れる。
日本では山中他界へと変化していくが、山麓の墓域にその元の姿の1つがあるのでは?