東洋思想における個と共同体の関係の探求
東洋思想における個と共同体の関係の探求
本研究は東洋大学研究所プロジェクトによる研究であり、この研究目的は、東洋思想の研究を通じて、個が属する社会の豊な発展を協働して目指す等、構成員の個の立場を超えた側面を勘案しつつ、さらにそこで、個と共同体のある種の対立関係さえ保持しつつ、真の個が確立され、しかも相互理解や相互扶助に基づく平和で豊かな共同体を実現する原理を探求することを主題としている。
この研究組織は次の通り。
研究分担者 役割分担
竹村 牧男 研究員 研究総括・日本仏教関係
末次 弘 研究員 日本近代思想関係
白川部 達夫 研究員 日本社会思想関係
沼田 一郎 研究員 古代インドの法哲学関係
橋本 泰元 研究員 ヒンドウ教文化・思想関係
渡辺 章悟 研究員 インド大乗仏教関係
伊吹 敦 研究員 中国仏教関係
川崎 ミチコ 研究員 中国文学関係
本年度は、以下の通り研究調査を行い、そして、各研究者の報告をとりまとめ、3年間の研究成果を報告書として示した。国内外出張による研究調査活動の詳細は以下の通りである。
研究調査活動
頼み証文に関する調査
白川部 達夫 研究員
期間 平成18年5月1日〜5月2日
調査地 兵庫県尼崎市立地域研究史料館・奈良県立図書館情報館
尼崎市立地域研究史料館では、文化9年の「頼証文之写」と題する1冊を撮影した。同文書は現在、上方地域で唯一の頼証文という呼称の文書で貴重な例であった。調査者が指摘した頼み証文の呼称は東国で発生したとみられ、現在では上方に1例も発見されていない、という点はこの発見により修正されねばならない。しかし東国で主として発展したということはこれにより変わるものではない。奈良県立図書館情報館では、東京で得られない現地史料集の確認を行った。『奈良市史資料所在日録』などを検索したが、新たな発見はなかった。
研究調査活動
ヴァーラーナシーのヒンドゥームスリムの宗教施設訪間およびガンジス川のガートにおける在家・出家の宗教形態の調査。
沼田 一郎研究員
期間 平成18年9月10日〜9月20日
調査地 インド ヴァーラーナシー・デリー
9月10日
成田空港より出国。同日夜にデリー国際空港に着き、ニューデリーで宿泊。
9月11日
国際線の航空機にて、ヴァーラーナシーヘ向かう。同日午後、ヴアーラーナシー到着。旧市街のアッシーガートにある宿泊先へ。
9月12日
早朝に、ガートで行われている朝の勤行(ārti)を参観する。午前中は、ガンガー沿いに数箇所のガートを見学する。
午後、市内にあるドゥルガー寺院(Durgā Mandir)を拝観する。境内でバラモンである Saṃtoṣa Miśra 氏と話し、Durgā女神ならびに、Śiva神信仰に関する知見を得ることができた。その後。近くにある Tulasī Mānas Mandirを訪問した。この寺院が、その名を示すように、叙事詩Rāmāyaṇa のヒンディー語翻案であるRāmcaritmānasの作者トゥルシー・ダースを祀っている。壁一面にRāmcaritmānasが書かれており、インド人の信仰を集めているようであった。
9月13日
午前中、市内にある印度学専門出版社である Motial Vanarsi Dasを書店に赴き、サンスクリット語のテキスト、辞書、研究所などを購入した。午後、ヴァーラーナシーで最も重要な寺院である、 Viśvanāth Mandir を参観した。内部では、バラモンが参拝者から布施を受けて、プージャーを行っていたが、彼らは必ずしもサンスクリットを理解しているわけではなく、出典を知ることはできなかった。
ホテルに戻ってガートで夜の勤行を見ているとき、 1人の占星術師と知り合うことができた。彼の弟子と3人でサンスクリットの学習方法などについて意見を交わすことができた。
9月14日
夕刻、近くのガート(アッシー・ガート)で、女性のみによるプージャーが行われていたので、観察することにした。 Juṭiyā Pūjāと呼ばれ、女性が子供や家族の平安無事を祈るものであるという。何組もの女性が車座になり、サンスクリットのテキストを読誦する。テキストの標題を Jīvitaputrikā-vrata-kathāと言う。
9月15日
日本人絵遊学性の紹介で、Banaras Hindu Universityのサンスクリット学科を訪ねだ。孝子の A.K.Srivatsava 博士が対応され、大学で初心者にサンスクリットを教育する際の問題点などについて意見交換した。
9月16日
Banaras Hindu University名誉教授である Vagish Shastri 博士の自宅を訪問した。博士は国際的なサンスクリット学者として知られており、引退後は自宅で教育を続けておられる。毎年サンスクリットのセミナーを催され、「6ヶ月のコースを受講すれば、あらゆるテキストを読めるようになる」と言われた。
9月17日
体調の不調を感じたので、終日ホテルにて購入した資料を検討した。
9月18日
午前中にホテルをチェックアウトし、ヴァーラーナシー近郊のサールナートヘ赴いた。ここは、ブッダがはじめて説法した場所である。博物館を参観したりした。午後、ヴァーラーナシー駅へ行き、デリー行きの列車を待つ。
9月19日
午前にニューデリー駅に到着し、飛行機の出発時間まで、ムガル潮時代のモスクやその他の遺跡を見学した。午後、ニューデリー空港を出発して、帰国の途につく。
9月20日
午前に成田空港到着。
研究調査活動
佛教大学ほかにおける資料調査および意見交換
川崎 ミチコ 研究員
期間 平成18年10月5日〜10月8日
調査地 京都(佛教大学・龍谷大学等)
龍谷大学(大宮校舎)に於いて、《大谷勝真敦煙ノート》(現在8冊)を閲覧することができた。(このノート群は一時所在不明であったが、韓国の吉本屋に出ていたものを買い取ったのであるが、1冊[Pelliotの〈B〉]は古本屋で発見された時点で既に失われていたという)。更にこのノート群の索引を複写してもらった。
佛教大学では浄土宗関係の資料の中から「逆修」関係の文献を複写して入手し、更には《虐山蓮宗宝鑑》の紹介を受けた。私が訪問していた斉藤隆信氏の処へ国際仏教大学院大学の落合俊典教授がおいでになられたので〈個と共同体の関係〉という大きな枠組を通して、中国や日本における中・近世の文学資料について意見交換を行うことができた。予定外に落合先生のご意見を伺うことができたことは大変有意義であった。市内キクオ書店も於いて、必要な書籍を入手することができた。
台湾(台北市)に於ける、農暦10月20日〜22日(12月10日〜13日)に行われる
〈艋舺青山宮霊安尊王千秋聖誕祭典〉の視察・資料蒐集
川崎 ミチコ 研究員
期間 平成18年12月7日〜12月15日
調査地 中華民国・台北市
旧暦10月20日(12月10日)から10月23日(12月13日)の間に行われる「艋舺青山宮霊安尊王千秋聖誕祭典」の実態について、その準備や祭典の実状を見学すると同寺に、青山宮の管理委員会や参詣する人々、実際にこの祭典を運営する人々、この祭典に参加する個人や団体(社又は連と呼ばれている)についても知りたいと思い調査に出かけることとした。
12月7日
台北に到着後、青山宮管理委員会のメンバーである麒麟飯店総経理の黄氏と面会時間の打ち合わせをし、又、8日に台中へ出かける準備を行った。
12月8日
台中へ。天宮(管理組合が有り、それは20名で構成されており、5年毎に選挙によりそのメンバーが決まる。現在会員登録数は400人ほどで、この400人には選挙の折の投票権があるという。お祀りの日時は卜杯による占いで決める。巡礼参加者は1万人位であるとのこと。)大興善寺・鹿港の龍山寺・天后寺・文武廟へ出かけた。立ち寄った寺廟の中で丸華山天寶寺以外は「勧善書」の類を配置しており、《玉歴鈔伝》も置かれていた。
12月9日
麒麟大飯店総経理黄氏と面会。青山宮の管理委員会、霊安尊王の祭典の運営等についてお話を伺う。結局青山宮へ出かけ直接お話を伺うこととなる。管理委員会は20名で構成されており、理事は3名、残り17名は委員ということになるという。信徒というのは1人に付き3万元(日本円で約12万円)を支払った者であり、3万元支払えば誰でも信徒にはなれるという。例えば日本人の私であってもということだそうだ。又、信徒に特別な義務は無いということである。次に今回の主たる目的の1つである「艋舺青山宮霊安尊王千秋聖誕祭典」について、この祭典は2004年、2005年の両年は祭祀者と位置付けられる爐主がいなかったため、祭礼を行わなかったという。この爐主とは、祭典にかかる経費を負担するもので、他に副爐主2名、頭家21名を以てこの祭典を実行するのだという。爐主を決めるに当り、先ず希望者の中で互選し、同時に副爐主も決めるという。誰が為るのかはその年により異なるが、年令の上・下限はなく、力量次第、つまり経済的負担の面に力量に重きが置かれているようである。爐主の負担は20万元(日本円の約80万円)、副爐主は2名で各10万元(日本円約40万円)、頭家は各人3万元(日本円約8万円)と決められているというが、これは祭典委員会の運営費のみのようで、実際には、爐主及び副爐主は各々祭壇を設える為の経費の方がはるかに高額となっている。おそらく頭家という人達もかなりの負担増があると思われるが、今回それを確認することができなかった。
12月10日
午前中は青山宮に於いて、祭礼の準備をしている人達と前年に改築された青山宮内の見学と神興・神偶等を見て歩き、食事及びご利益のあるというドーナツ型の塩味バン鹹光餅というを供される。午後1番に副爐主のお宅及び副爐主の祭壇を見学させていただく。祭壇には台南へ注文して作ってもらったという様々な種類の果実と、いろいろな姿の魚見や甲殻類がずらりと並べられお供えされていた。この経費だけでも10万元(日本円約40万円)かかったという。又、此の壇のそばでは、お護守り(3×7.5×0.8cm・表には青山王、裏には海運厄除の文字有り)とTシャツ(前には2006古都艋舺青山王祭、背には2006青山王祭の文字有り)が売られていた。夕方からは青山王を載せた神輿を中心に大々的パレードが行われていた。通りにある廟や宮、臨時に作られた爐主や副爐主の祭壇に立寄る毎に花火・爆竹・ドラやラッパ、太鼓の音、輿をかつぐ人々や〈青山八将〉の行列に目を奪われる。
12月11日・12日・13日
毎日ルートが異なる霊安尊王及び青山人将田及び、その他のパレードの情況は10日と同様である。
12月14日
台湾の民族・宗教、特に民間宗教に関する書籍ばかりを扱っている書店を見つけたことにより、必要であったが今まで入手できなかったものをかなり沢山購入することができた。
今回の台北行きでは、青山宮における主神の誕生日を祝寿する祭典に、信徒や近隣の人々がどのように関わっているのかを目の当たりにすることができ、有意義であった。更に、暗訪という、世の中の善悪是非を査察する行為も自然のなりゆきで人々に受け入れられ、それに参加することが、1種の贖罪行為となり得るのだという認識が存在するということも、私にとっては1つの発見であった。廟会の類が社会に対して有する功徳という点から見ても、人間が単体で関わっている場合と集合体で存在する場合とではその意味する者に差異が生じてくるように思われた。