平成24年7月7日 東洋大学白山校舎6302教室
平成24年7月7日 東洋大学白山校舎6302教室
サーンキヤ思想における輪廻観
―タマスによる獣の位および地獄への降下―
三澤 祐嗣 院生研究員
(発表要旨)インドの正統バラモン系六派哲学の1つにもあげられるサーンキヤ思想は、自己と世界の関係について特に力を入れて探求し、世界の成り立ちを一定数の原理に分類・分析して宇宙論を構築していった。このサーンキヤ思想における重要な概念として、3種のグナ(要素)と呼ばれるものがある。3種のグナ(要素)は、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(翳質)という3つより成り、現象世界のあらゆるものの中に存在し、いずれかが優勢、劣勢となり様々に変化する。そして、人間の心の状態を左右する属性としての機能と全ての物質の構成要素としての機能を持つ。他方、この3種のグナ(要素)は輪廻にも関連して説かれている。今回の発表では、いくつかの文献における事例を取り上げ、3種のグナ(要素)が輪廻に対してどのような役割を担っているのかを概観した。
サーンキヤ説では、3種のグナ(要素)により輪廻を3つの段階に分けて考えていた。そこには2つのパターンがある。1つのパターンは生まれや位による区別であり、サットヴァ(純質)および善行により神の胎や位に、ラジャス(激質)および善行と悪行により人間の胎や人間の位に、タマス(翳質)および悪行により獣の胎や獣の位に生まれるというものである。もう一方のパターンは世界による区別であり、サットヴァ(純質)および善行により神の世界や天界に至り、ラジャス(激質)および善行と悪行により人間の世界に、そして、タマス(翳質)および悪行により地獄や地下世界に至るというものである。いわば、前者のパターンでは、上昇・下降を観念的に捉え、後者のパターンでは、上昇・下降を現象的に捉えているのである。サーンキヤ思想において同じ3段階といっても、タマスにより獣の胎や位に生まれたり地下世界地獄へと至る結果になったりとの差異が見られるが、このように観念的に捉えるか現象的に捉えるか、すなわち別の観点から説かれているために差異ができたのではないかと結論づけた。
しかし、3つの世界と生まれの段階の関係は不明瞭であり、地下世界と地獄の位置についても説かれていない。今回取り上げなかった箇所も含めて再度検証し、詳細に研究していく必要がある。
現代インドの政治、宗教、公教育
―歴史教科書を資料として―
澤田 彰宏 客員研究員
(発表要旨)インド共和国は「世俗国家」(secular state)であると憲法で規定されているが、ここ数十年来ヒンドゥー・ナショナリズム(以下HN)の勢力が伸張してきており、そのような中、政治勢力としては最大のインド人民党(以下BJP)が、1996年及び1998年~2004年に中央政府の政権にあった。この間2002年から04年にかけて歴史研究・教科書への政府からの介入が起きた。そのなかで国立機関作成の中等教育及び高等教育用歴史教科書が出版された(以下これらの教科書をAとする)。そして、2004年の下院総選挙ではインド国民会議派(民族・独立運動を牽引したセキュラリズムを党是とする政党、以下会議派)が勝利し、新たな歴史教科書が出版された(以下これらの教科書をBとする)。それらが2012年現在も使用されている。
本発表では、このような状況にある現代インドの政治・宗教・公教育の関係について、BJP期と会議派期の2種の歴史教科書を資料として考察を行った。教科書の内容への主な着目点はヒンドゥー教と他の宗教との関係である。これはヒンドゥー教のインドにおける卓越や他宗教を貶める記述が、HNと関わる点であるからである。
AとBの2種類の教科書、計7冊を検討した。Aは政治史中心の通史、Bは各テーマ別にまとめての章立てであった。Aでは古代=ヒンドゥー教の黄金時代とする歴史観(インダス文明やバラモン教の卓越性)であった。イスラームは、中世においては「侵入者」で、独立時には分離主義者と捉えられている。Bでは「この教科書は複数形でOur Pastsとなっている」(第8学年)のように、インド文化は様々な民族、宗教、社会の複合文化であるという視点を示している。また、古代のバラモンによる不可触民差別の存在に触れ、中世のイスラームについては「新しい宗教が現れた」や、独立時にも最初からの分離主義ではなかったと丁寧に印パ分離独立への過程を追っている。
さらにカースト差別や地域主義による国内問題について触れ、ヒンドゥー教も一様ではないことを示している。古代ー中世ー近代を通してヒンドゥー教とイスラームがそれぞれ主な支配者であった時代に優越はつけられないが、近代の植民地主義批判は明らかである。つまりBは、Aでのコミュナルな記述に内容的に反証しながらも、一面的な批判・否定に陥らず価値中立を保とうとしている。この点は、たとえHNであってもひとつの思想と認め、その面では価値判断や批判をしない/できないという姿勢のあらわれとも言え、インドのセキュラリズムの性質とされる政治権力の諸宗教への中立にも通じると考えられている。
インドの政治、宗教、教育という3者関係について、独立以来インドはセキュラー国家であろうとしてきた。しかし独立後50年を経過しBJP政権が誕生し、Aのような教科書が出版されるという事態が起きた。このことはインド政治・社会における宗教が持つ大きな存在感と、さらにインドの公教育がいかに強い政治的影響下にあり、公的な歴史観は、セキュラリズムという国是に反してでも、状況により激しく変化しうるかということを示している。さらに今後、会議派、BJP以外の新たな政権が誕生した場合には、さらに異なる歴史教科書/観が誕生する可能性もあると考えられる。
ヒンドゥー建築論書における都市の内部構成について
出野 尚紀 客員研究員
(発表要旨)インド建築論において、都市を計画するとき、都市の内部に建てられる寺院を始めとするさまざまな施設の立地は、無秩序に選択され、好き勝手に建てられるのだろうか。それとも一定の計画の元に立地を設定し、決められて様式に従って建てられるのだろうか。建築論という学問分野はインド実学なので、「実利論」の下部学問分野である。そこでまず、時代的にも個々の建築論書よりも古い『カウティリア実利論』Kauṭilīyārthaśāstra4章「白塞都市の配置」」durga-niveśa、代表的な建築論書である『マーナサーラ』Mānasāra10章「都市の配置」nagara-vidhāna、『マヤマタ』Mayamata第10章、そして、『サマラーンガナスートラダーラ』Samarāṅgaṇasūtradhāra第10章「都市の配置」pura-niveśaにおける都市構成を比較するため、各文献それぞれの記述内容を、読解し、図に表した。
その結果、『マヤマタ』のみ中央を広場としていたが、その他は王宮の位置になっていた。宗教儀式を行う広場を中心とすることで、他の文献に比べて世俗的権威を持つ王よりも宗教的権威を中心としていた。王が中心でないことから、寺院を中心とした宗教都市が想定できる。4文献とも、ブラーフマナの住居は北方が指定されていた。そして、ヴァイシュヤついては、『マヤマタ』のみ記述がないが、他の3文献では南方となっていた。このヴァルナによる住居方向は『ブリハットサ・ンヒター』52章とも合致することであった。北方にブラーフマナということは、未来や始まりを表す東方、死者の国につながる南方、過去を表す西方、シヴァ神などの神々が住むとされる北方という、方角に対する考え方から見ると適当なことであると思われる。
『マーナサーラ』で明示されていた「村落の章も参照すること」は、記述内容が少ない『マヤマタ』でも同様であると思われ、村落についての章が、都市についての章より早い章に存する文献は、存しない文献よりも記述が簡略である。しかし、このタイプは、村落を含めても空白となるところが出て来てしまう。それは、王侯に向けた『カウティリヤ実利論』、王によって書かれた『サマラーンガナスートラダーラ』に対して、作者や主たる対象が不明な『マーナサーラ』と『マヤマタ』の筆が及ぶところの違いとが、章の構成だけでなく内容の面からも見て取れた。
都市の施設配置では、王宮のみしか述べない『マーナサーラ』、中央部に王宮を造らない『マヤマタ』、配置に詳しい『サマラーンガナスートラダーラ』というように、代表的なヒンドゥー建築論書でも、作者の出身や主たる読者層と思われる身分によって、都市内の構成については異なる考え方によって記されているように思われる。