2024年度 公開講演会 発表報告
開催日:2024年11月23日 場所:東洋大学 白山キャンパス 6309教室・オンライン
2024年度 公開講演会 発表報告
開催日:2024年11月23日 場所:東洋大学 白山キャンパス 6309教室・オンライン
見えざるものとともに――東洋の叡智から考える
講演者:末木 文美士 氏
(東京大学・国際日本文化研究センター・総合研究大学院大学名誉教授)
本年度の研究所主催の公開講演会は、2024年11月23日(土)に白山キャンパスの6309教室での対面開催とオンライン・ミーティングを併用するハイブリッド形式で開催された。講演会の開催に先立って曽田長人研究所所長が挨拶を行い、講演者の末木文美士氏を紹介した。末木氏が講演を行い、講演後、聴衆との間で活発な質疑応答が交わされた。
〔講演要旨〕
近代の哲学や科学は、明瞭に可視化できるもの、合理的に思惟できるもののみが実在すると考えてきた。しかし今日、私たちは見えざるもの、合理化できないものと否応なく関わらざるを得なくなっている。原発事故後の放射能にしても、深刻な感染症をもたらす新型コロナウィルスにしても、特殊な機器や試薬でしか感知されない「見えざるもの」に怯えることになった。また、スマホやゲームを通してヴァーチャルな世界が次第に身近となり、ましてAI技術の進歩から生成AIが生まれるようになると、リアルとヴァーチャルの区別はほとんどなくなった。こうした事態は、合理性を目指す近代人にとっては異常にも見えるが、もともと人間の生きている世界は、それほど合理的でもなければ、明晰でもない。私たちは唯一のリアルな世界に生きているわけではなく、重層化された多元的世界の中に生きている。
『荘子』では、夢に蝶となり、はたして蝶の私と人間の私のどちらが本物かと問いかける。中世の仏教者明恵は、夢も現実と同じリアリティをもつものと受け止めた。中世には、歴史も単に人間が作るものではなく、「顕」(現われた領域)である人間の活動の裏に、「冥」(見えざる領域)である神々や死者の力が働いていると考えた。
その「冥」の世界を、東洋の代表的な思想の流れである仏教ではどう考えるのであろうか。ここでは、初期の大乗経典を手掛かりとして考えてみたい。『無量寿経』では、阿弥陀仏の極楽世界は西方十万億土彼方とされる。まさしくこの世界(娑婆世界)と異なる世界の存在を認めている。しかも、その世界はこの世界と無関係ではなく、往還が可能と考えられ、ひいては「娑婆即極楽」のように一体化しても考えられるようになった。
また、『法華経』は菩薩を主題としているが、菩薩とは他者と関わることを根底に置く衆生(人間を含む主体的存在)のあり方である。その第1類においては、「一切衆生は菩薩である」ことが説かれ、一切衆生は他者との関わりの中にあることが明確化される。その第2類では、他方世界である宝浄世界から死者である多宝仏の宝塔が出現し、釈迦仏がその宝塔に入って一体化する(二仏並坐)。生者と死者の合体である。それによって、無数の多様な世界を統合するいわば超世界ともいうべき領域が開かれる。それが「久遠実成の釈迦仏」である。この超世界を根源として、菩薩である私たちはこの世界に生きることが求められる。それが「地涌の菩薩」と呼ばれる菩薩のあり方である。このように、『法華経』は生者・死者を含む多重の世界をより深い視座から見据え、私たちの生き方を超世界に基礎づけられつつ他者と積極的に関わることへと差し向けるのである。