平成11年12月11日
平成11年12月11日
不二一元論学派における個我観
佐竹 正行 研究員
不二一元論学派は、ブラフマンのみが実在であり、それ以外のものは無明により生じた非実在である、としている。このことから、唯一の実在であるブラフマンから、どのようにして主宰神と個我などの差異が生ずるのか、といった重要な問題が生じた。この問題に重要な寄与をなしたとされるサルヴァジュニャートマンの個我観により、初期不二一元論学派における、この問題の1様相を明らかにし、そしてシャンカラの個我に関する考え方との比較により、サルヴァジュニャートマンの個我観の特徴(あるいは独創性)と初期不二一元論学派における個我観の形成過程についての手がかりを考察した。
主宰神と個我の問題に関して、一般的に不二一元論学派には3種類の考え方が存在する。最初に、これをマドウス‐ダナサラスヴァティーの『シッダーンタビンドゥ』に基づき、概観する。
1.顕現説―主宰神は無明に制約されたブラフマン=アートマンの顕現であり、個我は内官に制約されたブラフマン=アートマンの顕現である。
2.映像説―主宰神は無明により限定されたブラフマン=アートマンという原型であり、個我は内官とその潜在的印象に映し出されたブラフマン=アートマンの映像である。
3.限定説―無明の対象であるブラフマンが主宰神であり、無明の基体であるブラフマンが個我である。
次に、シャンカラの、この問題に関する見解を、『ウパデーシャサーハスリー』に基づき、考察した。シャンカラにより始めて、「顕現」としてのアートマンの影像の概念が作り出されたと考えられ、直接個我に関する考え方に結び付くものではないが、顕現説に近い見解を抱いていたのではないかと考えることが可能であり、後代に整理されたような見解とは考えられないが、附託説に関する見解により、後代に顕現説や映像説として成立する考え方や映像的概念を、不二一元論学派に導入したと考えられる。
最後に、この問題に関するサルヴァジュニャートマンの見解を、『サンクシェ‐パシャーリーラカ』に基づき、考察した。その見解は、主宰神は無明に映し出されたブラフマン=アートマンの映像であり、個我は内官に映し出されたブラフマン=アートマンである、ブラフマン=アートマンは無明にも内官にも結合せず、その純粋なブラフマン=アートマンだけが原型である。
サルヴァジュニャートマンは、「映像」と「顕現」の概念を明確に分離し、個我観の問題の中に、映像論的概念を明確に取り入れた、そして個我観において、独我説に言及した最初の人物の1人と考えられ、不二一元論学派の、この問題の学説史の中に位置付けられることを明らかにした。
モンゴル仏教の現状(報告)
菅沼 晃 研究所員
モンゴル(モンゴル国、中国内モンゴル自治区)は、かつては国民の殆どすべてが仏教を信仰する「仏教国」であった。しかし、モンゴル国は世界第2の社会主義国となって以来、仏教は弾圧を受け、特に1937―39年には国内の殆どの寺院が破壊された。中国内モンゴル自治区も同様に、社会主義革命、特に文革によって多くの寺院が破壊され、経典は焼かれた。現在、どれだけの寺院が復興され、宗教活動を行っているか、経典の保存はどのように行われているか、仏教教育はどのように行われているか、などの調査の結果を報告する。
モンゴル国(外モンゴル)の寺院は、ウランバートル郊外のマンジュシュリー寺院(1733年建立)のように、完全に破壊されて廃墟となっているものが多く、チョイジンラマ寺院博物館のように破壊はされなかったものの、博物館とされているものもある。革命後、唯一つ、きびしい制限の下で宗教活動を許可されてきたのがウランバートルのガンダンテクチンレン寺で、現在もモンゴル仏教の総本山としての役割を担っている。
モンゴル帝国時代の古都カラコルム(ハラホリン)にはエルデニ・ゾー(1586年建立)があり、半ば破壊されたが再建されて昔日の形に近いものとなっている。但し、この寺院もかつての「学問寺」の面影はなく、追放60年のブランクの後、寺に帰った老僧と、少年僧の姿だけがあった。老僧は追放の時代に経典読誦の仕方を忘れてしまい、これらの老僧の指導も受けねばならない少年僧たちの読経の声も乱れがちであった。これが現在のモンゴル寺院の現状であると言ってよい。
モンゴル国における少年僧の教育はかろうじて復興された各寺院(きわめて少ないが)において行われているが、ウランバートルのガンダン寺に「モンゴル・オンドルゲゲン・ザナバザル仏教大学」が併設されている。仏教学部、芸術学部の2学部があり、僧侶となる者だけではなく、誰でも入学できる。これまでに50人以上の者が卒業しているとのことであった。
1937年―1939年の仏教大弾圧の際、多くの経典は焼かれ、僧たちが必死の思いで持ち出した経典類はチベット語訳、モンゴル語訳ともにガンダン寺図書館のほかに、モンゴル国立図書館に保存されている。しかし、決して保存状態がよいとは言えず、大蔵経は別として、単行の経典の中には散逸寸前のものも少なくない。モンゴル仏教寺院の復興、経典の整理保存は、自力ではとうてい不可能であるとの感想をもった。