平成16年11月6日 東洋大学甫水会館401室
平成16年11月6日 東洋大学甫水会館401室
「渡の山」考
上安 広治 奨励研究員
〔発表要旨〕本発表題目における「渡の山」とは、『万葉集』巻2・135番長歌(所謂「石見相聞歌」の第2群長歌)の中に表現された山名を指す。もちろん、「高角山」(132・134番反歌)同様、この山も境の山としての扱いを受けるべく設定されたものと考えられるが、その135番長歌には、黄葉の散乱(「大船の 波の山の もみち葉の 散りのまがひに」)や月の雲隠れ(「雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば」)など、挽歌的表現が用いられている。本発表では、そのような挽歌的表現性と「渡の山」の関係などについて、先行研究を踏まえつつ若干の私見を申し述べさせていただいた。
具体的に言えば、なぜ「渡の山」には「大船の」という枕詞が冠されたのか、この山は神野志隆光氏「石見相聞歌論」(『柿本人麻呂研究』・塙書房)の指摘するような隔絶のイメージをより確かなものとする山なのか、それとも身崎壽氏「『石見相聞歌』論」(『萬葉集研究』第22集・塙書房)の指摘するような共寝や妻問いをイメージさせる山なのか、また、その挽歌的表現性は当時の山中他界観と如何に連関しているのか、などといった論点に対し、長歌内部の文脈構造の解析や上代文献における用例検討などを丹念におこなうことによって、その「渡の山」がこの長歌の中で果たしている役割を独自の視点で明らかにしようと試みたものである。とりわけ、集中に散見される恋に関わる川渡りの表現、及び死に関わる川渡りの表現などを取り上げ、そのような表現の伝襲性と相聞長歌における挽歌的表現性との関係を視野におさめた考察は、本発表の大きな特徴であろうと思われる。
さらに、その結論部分に関することで言えば、この「大船の 渡の山」とは、決定的に愛する者と別れなければならない境界の山として2つの機能を担っているのではないか、という主旨の内容を述べさせていただいた。それは、永訣の別離を余儀なくされた作中主体「我」が、愛妻の居る領域から異境へと渡っていくという意味での「渡の山」(妻問いや恋の川渡りに関わる表現などを逆手にとった形で適用)であり、挽歌的表現性によって仮構されたものではあるが、死者のイメージを付与された愛妻の魂が、永訣の別離に臨んで異界へと渡っていくという意味での「渡の山」(死の川渡りに関わる表現などを山中他界観とのつながりから適用)ということである。以上が本発表の概略である。今後は、質疑の際などに諸先生方から頂戴したご助言を踏まえ、一層内容を深化させるべく研鑽を積み重ね、できる限り早急に論文化したいと考えているところである。
『源氏物語』における女性の出家について
鈴木 美弥 客員研究員
〔発表要旨〕『源氏物語』の書かれた当時、既に病の折の受戒には、それによって回復延命を願う心性があった。このような受戒は、当時重病の折に必ず施された加持祈祷の延長線上に行われているが、これは、本来出家のために行われる受戒が、その「出家の功徳」を強調されることによって、今度は回復延命という、現世利益を求める為になされたことを意味している。勿論、願い叶わず死を迎えねばならない時には、その功徳が、今度は極楽往生の為に期されるのであり、いずれにせよ、死に関わって「出家の功徳」というものが、当時いかに人々の心の拠り所になっていたかが知られるのである。これを別の側面から言うならば、こういった社会的背景のもとでは、年齢・性別の如何にもかかわらず、病の折の出家が、対世間的な出家の理由として、人々を納得させるだけの力を持っていたとも言えるであろう。
『源氏物語』における女性主人公達が出家を志すについては、それぞれにその道を選ばざるを得ない理由があったが、その多くは男性から逃れる為であった。しかし、物語には、その目的の完遂の為に、多く右にあげた「病による出家」「延命を期す為の出家」が標榜されるのである。貴族女性としての体面を保たねばならぬ彼女たちにとって、若い身空での出家は世間の耳目を集めて、例えば男女関係の破綻などの噂、つまり望まぬ「名」を取らざるを得ない機会ともなりうる。それは、1個人の問題ではなく、家の問題でもあった。つまり「外聞」への顧慮である。誇りをもって生きようとする貴族女性達にとって、出家の原因はあくまで病気によるものであらねばならなかったのである。
この物語の大きなテーマが、女人の生きがたさ、身の処し方の難しさであることを思う時、そこにはこの「外聞」意識が根源的な問題として横たわっている。従って、人生の究極の選択肢とも言うべき「出家」という行為に、この「外聞」意識が大きく関わることは、当然と言えば当然の事柄であった。
本発表では、その具体的なありようとして、作者が延命の為の出家受戒をどのように注意深く物語に機能させ、彼女たちの出家と関わらせていったかを、物語に即して指摘し、浮かび上がらせようとしたものである。