日本宗教文化の総合的研究
日本宗教文化の総合的研究
本研究は日本の伝統的な文化(含文学、芸道等)を宗教を中心としつつ論究し、新しく日本文化の意義を追求し、さらには今後の世界における日本文化の意義、役割をも論究しようとするため平成6年度より発足した。上述の「東西宗教文化の比較研究」と同様平成15年度をもって終了することになるが、平成14年度末から平成15年度にかけて、別表に掲げる研究分担者がそれぞれの研究課題のもと以下の研究調査活動および研究発表を行い、また、平成15年度は、本紀要に収載された論文「百人一首絵小考―絵巻と扁額と―」(千艘秋男)、「世阿弥能における浄土思想」(原田香織)、「良純法親王年譜稿」(大内瑞恵)、「堀辰雄と《信濃》・日本のふるさと」(竹内清己)、「戦時期龜井勝一郎の宗教的思索―『親鸞』と自力の超克―」(山本直人)「草木成仏について(9)―賴喩の眞俗雑記問答鈔第1―」(伊藤宏見)、「『修験修要秘決集』『修験三十三通記」に記された「法螺」「最多角念珠」「錫杖」、「縁笈之事」」(中山清田)、「中世日本における『列子』及び『列子鬳齋口義』の受容考」(王廸)、「人物評論集としての『論語』」(吉田公平)に成果の一端を見ることができる。
研究調査活動
研究課題「近世俳諧師と宗教」に基づく研究調査
芭蕉顕彰資料調査
谷地 快一 研究員
期間 平成15年2月25~26日
調査地 京都市及び大津市(岡崎双林寺、義仲寺)
25日の調査可能時間は午後に限られるので、まず大津(膳所)の義仲寺に向かって、懸案の問題について調査と話し合いを行う。その結果無名庵6世の雲裡が、国分山の幻住庵跡から移植した椎の木(当時のものそのままとは言えないが)が現存すること、それがいわゆる粟津幻住庵のシンボルであったとすれば、無名庵を幻住庵と呼び2枚看板を掲げていた可能性が高いことが、義仲寺古図などの検討によってわかった。その歴代の無名庵主と惟然創始の風羅念仏が、義仲寺にどのように伝わり、すたれていったかについても多くの示唆を得た。
26日、京都へ出て東山の双林寺に住職を訪ねる。氏には西行庵、芭蕉堂、支考仮名碑その他を案内してもらい、天台宗から時宗へと移った近世と俳諧師との関わりについて多くの示唆を得た。双林寺にかつての勢いはないが、その規模が過去いかに大きかったか再認識、この寺の文化史上の役割の大きさについて深く考えさせられた。帰途関連の落柿舎に立ち寄って帰宅。岡崎の調査は未完。
研究課題「中世日本仏教文学の研究」にもとづく研究調査
高城 功夫 研究員
期間 平成15年8月3日〜8月6日
調査地 秋田・角館・仙台・福島
8月3日は秋田市内にある千秋公園に足を運び、佐竹史料館を調査。佐竹氏の資料を見学し、佐竹藩の久保田城跡を見、八幡秋田神社や弥高神社等を調査し、佐竹氏の菩提寺である、鱗勝院、天徳寺の調査をするとともに、佐竹藩との関わりで宝塔寺や全良寺、補陀寺などの調査をした。
8月4日は角館を訪ね、田町武家屋敷通り、青柳家や石黒家の調査をし、それぞれの菩提寺である松庵寺、天寧寺等の調査をした。また角館武家屋敷資料館に江戸時代後期の角館の藩主佐竹氏の資料を調べることができ、角館町伝承館に民俗資料の実態を見ることができた。
8月5日は仙台市内の伊達藩の遺跡などを調査した。瑞鳳殿は伊達家の廟堂であり、大崎八幡宮に源氏の氏神を拝し、仙台東照宮はやはり伊達藩の信仰の篤いところであった。また榴ヶ岡に芭蕉の奥の細道の遺跡や三沢初子の墓、また陸奥国分寺跡や、尼寺跡を調査した。
8月6日は福島市周辺、信夫山に羽黒山の山岳宗教を見、岩谷観音、文知摺観音を調査し、大蔵寺は小倉寺観音で観音信仰、満願寺の黒岩虚空蔵等々の調査をした。
研究課題「万葉人の心性」における奈良・唐崎の万葉遺跡調査
大久保 廣行 研究員
期間 平成15年8月13日〜8月15日
調査地 奈良・大津方面
8月13日(奈良にて)奈良国立博物館見学
8月14日(同)西大寺〜秋篠寺〜神功皇后陵〜磐姫陵〜コナベ古墳〜ウワナベ古墳など、主として万葉以前の故地を巡る。
8月15日(大津・唐崎方面)近江神宮〜大津宮跡〜崇福寺趾など、天智朝に関わる旧蹟を訪ねる。
以上により伝説的人物像と万葉歌との関係、人麻呂や穂積皇子などの心性を考える手がかりとしたい。
研究課題「鎌倉旧仏教の思想と文化」に基づく研究調査
鎌倉旧仏教の凝然の著作の調査
竹村 牧男 研究員
期間 平成15年8月28日〜8月30日
調査地 東大寺図書館(奈良市)
8月28日 移動日
8月29日 午前10時東大寺図書館を訪れ、かねてより申込んであった『華厳法界義鏡』の古写本等、4点を閲覧、岩波日本思想の大系本の同テキストと照合、調査するテキストクリティークを行った。これを午後4時半まで続けたが、閉館となり、ほぼ前半までしかできなかった。のち、同図書館長と懇談、華厳教学に関する意見交換を行った。
8月30日、東大寺図書館が清掃のため、閉館であったため、興福寺を訪ね、多川俊映管長と懇談、法相教学について意見、情報交換を行った。(午前中)午後、京都に出て仏教専門書店、其中堂を訪問するなどし、帰路についた。
研究課題「宗教としての天皇制」にもとづく研究調査
和辻哲郎の古代日本文化研究の出発点である『古寺巡礼』に関する調査
末次 弘 研究員
期間 平成15年10月31日〜11月2日
調査地 奈良市
10月31日。午後1時過ぎ、奈良市に着く。『古寺巡礼』の記述にそって、西の京における和辻の足跡を調査する。
11月1日。和辻は奈良国立博物館において多くの仏像、仏画に触れ、奈良時代における日本仏教美術の特徴を大陸の仏教美術と対比して述べているが、そこにはギリシャ文化を理想とする視点があるといわれている。この点を確かめるべく展示品を調べたり、日録を求めたりした。
11月2日。和辻が奈良国立博物館で大変感動した仏像がある。それは十一面観音立像で、明治の廃仏毀釈のおり、道端に捨てられていたらしい。この観音はいま、聖林寺に安置されているとのことであるので、奈良市から桜井市に行き、さらに南へ多武峯の方へ下って、確かめた。
研究課題「日本近世近代期における中国哲学」に基づく、山口大学所蔵和漢籍調査
吉田 公平 研究員
期間 平成15年11月20日〜11月22日
調査地 山口大学図書館
山口大学人文学部阿部泰記教授のご案内をうけて、山口大学附属図書館所蔵の和刻本漢籍、唐本漢籍のうち、特に中国近世の新儒教関係書、日本江戸時代の和国本漢籍、及び日本儒学者の藩校であった、明倫館蔵書、朝鮮本収書に熱心であった洞春寺蔵書、明倫館蔵版などについて、基本的な知見を得られたのは収穫であった。阿部教授のご配慮により、以下の目録を入手することができた。『明倫館漢籍・準漢籍分類目録・附明倫館御蔵書目録根帳写』『明倫館国書分類目録・附今井似閑本目録』『防長所見大内毛利典籍志』
以上、山口大学人文学部漢籍調査班の業績である。
研究課題「近世民衆の宗教意識」関係史料の調査
白川部 達夫 研究員
期間 平成15年12月12日
調査地 茨城県猿島郡総和町役場
町役場に所蔵されている史料について調査を実施して下記の文書を撮影した。
倉持直一家文書 享保20年12月 香典帳
堀江新吉文書 安永3年10月 香典帳
同 宝暦8年7月 香典帳
山室俊一郎文書 寛政12年4月 香典帳
同 寛政12年3月 香典帳
これらの香典帳は近世中期の香典帳として貴重なものであり、他の村落史料と対照させることで、近世民衆の宗教意識あるいは文化の諸相が明らかになることが期待できる。
研究課題「在家仏教教団における教導システムの比較研究」のための調査
西山 茂 研究員
期間 平成15年12月11日〜12月13日
調査地 名古屋市昭和区(法音寺)
主として第二次世界大戦後の日蓮宗法音寺の教団史的展開に伴う信者教導システム関連の文書資料を通覧する。
すなわち、同寺が戦前期の新宗教的段階を経て戦後に日蓮宗に帰属しつつ、なおかつ新宗教的に発展していく過程を手書きの文書資料の中に探り、そこに見られる教導システムの特徴を看取した。
幸いに多くの資料があって大いなる収穫があった。
研究課題「万葉人の心性」に基づく奈良の追跡調査
大久保 廣行 研究員
期間 平成15年12月18日〜12月19日
調査地 奈良
12月18日―奈良市文化財研究所、飛鳥資料館、奈良県立万葉文化館での見学および調査をする。
12月19日―飛鳥から飛鳥川を遡行し、芋峠を越えて吉野に出る(古代の吉野へのコースの1つを踏査)。吉野歴史資料館を見学し、さらに宮滝遺跡を見、菜摘の地まで至る(吉野関係歌の中心地の探索)。
以上により、特に天武、持統朝以降天皇・貴族・官人たちはなぜそれほどにまで吉野の地に憧れたのかをさらに深く考えたい。
研究課題「日本近代文学と宗教」の調査
竹内 清己 研究員
期間 平成15年12月24日〜12月27日
調査地 中原中也記念館、松本清張記念館
中原中也の文学と宗教の実地調査として中也の生まれ故郷の山口県湯田温泉の生家跡の中原中也記念館を訪ねた。更にその霊の眠る中原家累代の墓に参る。墓は中也の「1つのメルヘン」の舞台の吉敷川の畔にあった。中原家はキリスト教でもあり私は中也が幼い時連れられた山口市の公共会のあとザビエル協会を訪ねた。さらに大内氏の菩提寺龍福寺、瑠璃光寺などを見学。
下関は平家滅亡の壇ノ浦の古戦場、赤間神官の安徳天皇、平家一門の墓所に参じる。下関、門司の2説ある林芙美子の誕生の地を踏査、さらに小倉氏の連隊の跡、森鴎外の旧住居、松本清張の「或る小倉日記」の舞台の実地調査、松本清張記念館の調査活動を行った。
関門海峡沿いの文学と宗教の現場の体験は、大変意義のあることであった。
研究課題「在家仏教教団における教導システムの比較研究」のための調査
姫路市千代田町の本門佛立宗青柳寺を訪ね、同寺の末端家庭集会である「お講」の参与観察を行うとともに、寺谷恒章執事長から同寺の教導システムについて聞き取りを行う。
西山 茂 研究員
期間 平成16年1月7日〜1月8日
調査地 兵庫県姫路市
姫路青柳寺の寺参詣の実情を7日の午後に参与観察するとともに、終了後、寺の寺谷執事長から同寺の教導システムについての聴き取りを行った。寺参詣の人々の唱題の勢いはあまりなかったが、同寺では『信徒育成御奉公マニュアル』(A4版11頁、平成15年4月刊に)もとづいて教導がはかられていた。これは、数年前からの寺院改革の一環で、これとともに末端家庭集会である「お講」のつとめ方も改良され、信者も寺僧もともに改良・前進できる体制を整えつつあるとのことであった。8日には寺谷執事長宅で教実組の「お講」に参加。参加者は30数名弱であったが、比較的活発な話し合いがおこなわれていて、一定の改革の成果が出ているように感じられた。