東洋思想における個と共同体の関係の探求
東洋思想における個と共同体の関係の探求
本研究は東洋大学学術振興資金による研究所プロジェクトであり、この研究目的は、東洋思想の研究を通じて、個が属する社会の豊な発展を協働して目指す等、構成員の個の立場を超えた側面を勘案しつつ、さらにそこで、個と共同体のある種の対立関係さえ保持しつつ、真の個が確立され、しかも相互理解や相互扶助に基づく平和で豊かな共同体を実現する原理を探求することを主題としている。この研究組織は次の通り。
研究分担者 役割分担
竹村 牧男 研究員 研究総括・日本仏教関係
末次 弘 研究員 日本近代思想関係
白川部 達夫 研究員 日本社会思想関係
沼田 一郎 研究員 古代インドの法哲学関係
橋本 泰元 研究員 ヒンドゥ教文化・思想関係
渡辺 章悟 研究員 インド大乗仏教関係
伊吹 敦 研究員 中国仏教関係
川崎 ミチコ 研究員 中国文学関係
昨年度の研究成果については、平成16年度研究報告書をまとめた。本年度の研究経過は以下の通りである。
4月の年度初め、研究員全員と、本年殿研究計画を確認した。
5月25日 上記研究プロジェクト「明治期における近代化と〈東洋的なもの〉」と合同で、研究会を東洋大学白山校舎3204教室において開催し、竹村牧男研究員が「鈴木大拙の「自由」論について」を発表。大拙の禅思想に基づく自由の概念と、大拙が説く自由を基盤とした社会構築の原理について考察した。
7月27日 研究会東洋大学白山校舎文学部会議室川崎ミチコ研究員が「古代中国の社組織における個と共同体の考察」について発表。古代中国社会における生産関係と互助関係の重層構造という独自の共同体組織のあり方について考察した。
10月19日 研究会東洋大学白山校舎第3会議室末次弘研究員が「和辻「倫理学」における共同体論」について発表、特に戦前の和辻の倫理学の基本思想について、戦後改訂されて出版されたものではない、戦前の資料から究明し、国家の神聖性を説く「本来の国家論」等に対し、批判的に考察した。
12月9日、東洋大学特別研究〈「共生学」の構築〉との共催で、間瀬啓允。東北公益文科大学大学院・公益学研究科長による公開講演会「宗教と環境と共生を考える」を東洋大学白山校舎スカイホールにおいて、開催した。
1月25日研究会東洋大学甫水会館302号室渡辺章悟研究員が「Vajra考」と題する発表を行った。渡辺研究員は、大乗仏教に至って急速に金剛に喩えられる禅定を通じて仏になるということが言われている事情に着目し、本来、雷の電撃を意味したヴァジュラがどのように金剛杵の武器を意味するようになり、大乗仏教の3味に用いられていったのかを、インドはヴェーダ文献にさかのぼって追跡し、さらにギリシャ文化・思想の影響を探る中で解明し、大乗教団成立の過程とそのありようの特質を究明した。
このほか、自川部研究員が長野県中野市立図書館に於いて調査を行い、川崎ミチコ研究員が台北にて調査を行った。また、3月には橋本泰元研究員がヒンドゥ教諸派の資料蒐集および実地観察のため、インドに調査を行う予定である。国内外出張による研究調査活動の詳細は以下の通りである。
研究調査活動
頼み証文に関する調査
白川部 達夫 研究員
期間 平成18年8月19日
調査地 長野県中野市立図書館
長野県中野市立図書館において公開されている中野市域の古文書調査目録を検索した。日標は享保期に現れる地域型の頼み証文(村と村との間で結ばれる頼み証文)の成立の背景となる状況を確認することであった。目録10冊と市立図書館所蔵古文書の目録を点検したが、残念ながら享保期の年貢減免運動の史料および頼み証文は発見されなかった。しかし享保期以降の頼み証文が目録上で確認できた。また享保前後で村方騒動が発生している村落が判明し、頼み証文が作成される歴史的背景が形成されつつあったことはわかった。また昨年度の報告書において報告した壁田村を訪れ、地形などを確認して写真を撮影した。
研究調査活動
台北における資料蒐集および関係団体・機関の実地調査
川崎 ミチコ 研究員
期間 平成17年11月2日〜11月7日
調査地 中華民国(台北)萬華にある青山官および書肆
上記の如く、11月2日から11月7日まで、台北市に於いて出張目的を果たすべく努めた。今回の渡航では、台北市萬華区にある艦押青山官をその調査対象とし、宮観の存在とそこに集約参集する人々との関係について考えてみる為の情報を入手することに留意した。
この艦舺青山官は、台北市萬華区108陽貴街2段218号に位置する中華民国3級古墳であり、霊安尊王(亦青山王と称し、姓は張、諄は梱という三国呉の武将だという)を供奉しており、瘟疫を消除することができ、四方を掌り、善悪を賞罰することもその仕事であるとされている地域住民の信仰を集めている廟守である。現在修復中のこの青山宮は清の成豊年間に建てられたという。此処は艦舺青山宮管理委員会に依って運営されており、この運営委員会から給料が支給されている常勤者は現在3名、そのほかに効労人員と称されるボランティアの人達がかなりの人数存在するということであった。このボランティアの人達は毎日、早い人は午前6時頃から、多くの人は8時頃から清掃や誦経を行なうという。このほかに、年間32種類ある青山宮の年中行事の準備や当日の行事への参加等がその仕事としてあるという。
今回は、時間的制約や青山宮の祀典の日時に合致することができないこともあり、管理委員会のメンバーと接触することができなかったり、萬華区公所民政課に於いて1、寺廟の登記 2、寺廟の登記の変動 3、寺廟信徒の登記 などの調査を行うことができなかったという残念な結果となってしまった。区公所での登記書類、青山宮管理委員会の規約・管理人名簿・寄付・寄進関係の帳簿(収支表)などの資料を入手することができれば伝統的(地域の)廟としての位置付け、つまり政治の作るコミュニティと個々人の作るコミュニティの位置付けの相違と変容について、ある程度明らかにすることが可能になると考える。又、このことが、研究課題を考察する上で大きな位置を占めるものであると思う。