平成15年7月12日
平成15年7月12日
宝地房証真の円密一致思想
土倉 宏 奨励研究員
日本天台は最澄に始まるが、最澄以来日本天台の密教観は円密一致思想を基本としてきたといえる。簡潔に言えば円密一致思想とは、円教すなわち天台法華思想と密教すなわち大日経・金剛頂経等の思想が同である、とする考え方である。しかし如何せん、最澄の将来した密教は空海将来の密教に比して不十分であり、また最澄の円密一致思想も大綱を示すのみの概括的なものであったといえる。
密教に関しては最澄を圧倒した空海、その空海に始まる東密に対抗するため、最澄の後継者たる上古台密論師(円仁・円珍・安然)が、9世紀以降、日本天台の円密一致思想を構築していくことになる。日本天台は円密一致を旨とするが、その基本線に則った上で、円劣密勝の側面を示す場合がある。通常、その円劣密勝とは、教理は円密一致(理同)であるが、事相は円劣密勝(事勝)である、とする考え方である。このように、日本天台はその宗旨を円密一致としつつも、微妙に密教を重視する側面もまた合わせ持つのである。このような日本天台の密教観を踏まえたとき、宝地房証真の密教観は、日本天台の伝統的な考え方と少しく異なるところがあると考えられる。
12世紀から13世紀にかけて活躍したと考えられる叡山の学匠・証真、その証真の密教観もまた円密一致思想を旨とすることは些かも変わらない。円密一致を基本線とすることは当然であるが、しかし上古台密論師に見られた、円密一致という基本線の上で円劣密勝に触れる側面も持す、とは異なるといえるのである。つまり、円密一致を一筋に主張し、円劣密勝の側面に触れるところがないのである。
今回の発表で取り上げた資料は『法華玄義私記(巻7)』『天台真言二宗同異章』である。証真の著作全体から見れば極めて限られた資料でしかなく、また「天台真言二宗同異章』撰述のそもそもの目的が円密一致を述べるものであるので、自ずから円劣密勝の側面について触れることを意図的に避けたということも十分考えられる。とはいえ、『天台真言二宗同異章』でしばしば取り上げられる「中道」の強調、「有相」を方便とし「理観」を重視する考え方、このような点を斟酌すると、証真の円密一致思想は、上古台密論師よりも、円教重視、天台法華思想重視の傾向が強いということがいえるのではないか、と考えられるのである。
今回の発表では、以上のような点を踏まえ、証真が円密一致という日本天台の伝統的大綱に則りながら、ある意味で上古台密論師よりも、幾分円教に傾いた思想を展開した、というまとめを行った。
修験道文献『修験修要秘決集』『修験三十三通記』に記された
「法螺」「最多角念珠」について
中山 清田 奨励研究員
修験道の思想は法具(仏具)に表現されている例が多くある。「法螺」は『法華経』『鼓音経』等の仏典にも記されている。法螺を吹く事は、説法を周辺に轟きわたらせることが出来るとされている。
『修験修要秘決集』には
夫れ修験の法螺とは。金界𑖪𑖼字の智体。法身説法の内証なり。故に3世の諸仏番番出世し下い説法大会のみぎり。大法螺を吹き3界の天衆を驚して6道の妄夢を醒し。皆な悉く中道不生の覚位に帰せ令しむ。或記に曰く。如来の説法を以て獅子吼くに讐う。其の故は獅子は畜獣の王なり。
とある。説法の譜を記すが、説法以外では唱えない法螺の文がある。「三味法螺声 一乗妙法説 経耳滅煩悩 当入阿字文」である。
「螺の緒」については略すが、金剛界大日如来の𑖪𑖼字をかたどり、壇線を意味し、自信が壇線で結果され清浄であることを示している。左右日本は因果円満、理智不二を表す。
「最多角念珠」は山伏が持つ念珠(数珠)である。念珠は丸形ではなく、角があるので、最多角念珠という。珠の3角形は、不動の智剣を示す。念珠は仏界生界一如、仏凡不二を表す。すり念珠をするのは、百八悩摧破、悪魔降伏、煩悩即菩提を念ずるので、修験道では数珠とは呼ばずに、念珠という。
『修験道三十三通記』には
秘口に云く。念とは念念続起の煩悩。珠とは起念即法界の円智なり。起念即法界の心地に安住する時、衆生煩悩の迷体は、全国遍法界の一念不生の覚体なり。然れば即ち起念即不生、不生即起念にして、一体不二なり。この観解を以て、所願を三宝に祈らば感応道交して、速やかに悉地を成ず。云云。口に云く。百八の珠は百八煩悩なり。11皆最多角は智剣なり。智は覚なり。覚は菩提なり。これ即ち煩悩即菩提の義を表す。
とある。