死の物語研究
―文学、哲学、ライフヒストリー、ナラティヴ・アプローチー
死の物語研究
―文学、哲学、ライフヒストリー、ナラティヴ・アプローチー
本研究は、戦争経験等において直面せられた死について、語られたことをどのように記していくか、記されたことを何も知らない方々にどのように照射していくか、という問題に取り組むために、記されたことの読み手に対する迫真性、語り手の語りとその内実に照らして、文学・哲学・社会学(ライフヒストリー研究、ナラティヴ・アプローチ)の側面から「死の物語」の諸相を総合的に捉える事を目的とする。
研究スタッフ・役割分担は次のとおりである。
研究代表者 役割分担
竹内清己 研究員 研究総括・戦旅の文学の研究
研究分担者 役割分担
朝比奈 美知子 研究員 フランス19世紀文学における死の言説
原田香織 研究員 能楽における死の語り
野呂芳信 研究員 詩に語られる死
中里 巧 研究員 フイールドワークにおける死の物語
大谷栄一 客員研究員 死についてのナラティヴ・アプローチの可能性
川又俊則 客員研究員 老年期における死の語り
今年度の研究経過を報告する。
平成21年5月16日、打合会を自山校舎5501教室にて開催。研究代表者竹内が、日本民族にとって死生の物語の最大のものとしての戦争・戦争文学について、これまで行ってきた太平洋戦争の死生をめぐる物語の研究報告を行い、今年度調査を計画している島尾敏雄について論じた後研、究分担者から研究の進捗状況について報告があり、今年度の研究方向、シンポジウムの講演者について協議した。
そして夏季体暇期間に入り、研究者は研究調査を行う。大谷客員研究員は8月19〜22日に昨年度に引き続き山梨県南巨摩郡増穂町の日蓮宗寺院において、施餓鬼会の法要に参加し、住職・壇信徒にインタビューを行い、山梨県立図書館で文献調査を行った。川又客員研究員は8月25〜26日、京都市山科区での元司祭へのインタビュー、京都市右京区の教会にて牧師を引退された方々の状況や、同教会の歴史的経緯・現況などの聞き取りを行った。また川又客員研究員は、8月31日〜9月2日に、宮城県名取市、仙台市で元牧師にインタビューを行い、9月25日〜9月27日、埼玉県草加市にあるキリスト教関連のケアハウス、千葉県館山市の婦人献身者ホームや教会において、施設の入居者・スタッフ、教会への参拝者にインタビューを行った。その調査成果が『東洋学研究』本号への投稿論文「老年期の信仰と生活―元牧師の類型と抱える諸問題を中心に」に示されている。中里研究員は9月24日〜9月26日、伊勢において伊勢神道における死生観および先祖供養に関する現地調査を行い、研究代表者竹内は9月26〜29日、奄美大島加・計呂麻島における、島尾敏雄に関する資料調査および実地調査を行った。
また、原田研究員が3月20日〜22日、能楽の伝統地である大聖寺と金沢能楽美術館を中心とした実地調査を行う。
成果発表として公開の研究発表会を10月21日に開催。大谷客員研究員が、「現代日本の地域社会における「死の物語」の位相――山梨県南巨摩郡増穂町の日蓮宗寺院における孟蘭盆と施餓鬼会の分析」と題する発表で、現代日本の地域社会において、「死の物語」はどのように再生産されているのか、という課題に応えるべく、山梨県南巨摩郡増穂町の日蓮宗寺院における孟蘭盆と施餓鬼会の分析を通じて、伝統的な仏教寺院は地域社会における「死の物語」の再生産装置であるとの視点から、二ヶ寺の日蓮宗寺院の法要に見られる「死の儀礼」を比較分析し、両寺の僧侶たちの「死の語り」について考察することで、現代日本の「死の物語」の再生産のしくみを検討した。川又研究員は、「老年期と信仰――元牧師の語る生と死をめぐって」と題する発表で、元牧師たちの語りから、その信仰生活を「現役・半現役・半引退・引退」という4タイプに類型化し、その語りの内容を分析した。
また、12月12日には、研究の総括の意味もこめて、「死の物語と想像カー物語の完結性と開放性―」と題するシンポジウムを開催した。パネリストとして長谷川啓・城西短期大学教授をお招きし、特別講演をいただいたほか、パネリストを担当した朝比奈研究員と中里巧研究員から基調講演がなされ、竹内がコーディネーターを担当し、死の物語をテーマとするディスカッションがパネリスト間のみならず、フロアからの質疑応答を通じて、会場全体に展開された。想像力というと理性的な見地からは排除されるようにもみられるが、想像力は創造力に通じ、死の物語の開放性に寄与するものであることを確認した。
そして、3年間の研究報告をまとめ、研究報告書を作成した。
以下に平成21年内に行われた研究調査、研究発表会、シンポジウムの概要を示す。
研究調査活動
分担課題「死についてのナラティヴ・アプローチの可能性」に関する研究調査
(山梨県南巨摩郡増穂町の日蓮宗寺院における参与観察とインタビュー、および山梨県立図書館における資料調査)
大谷 栄一 客員研究員
期間 平成21年8月19日〜8月22日
調査地 山梨県南巨摩郡増穂町、甲府市
8月19日夜に現地に到着し、その日はそのまま宿泊場所に向かい、翌20日午前中から、調査を開始した。まず、真浄寺に向かい、前住職の秋山湛勇氏(82歳)に、真浄寺の年中行事、孟蘭盆や施餓鬼会の意義と法要、南條講、村内の生活の変化と寺院への関わりの変容、葬式の現在、供養の意義、死生観の重要性等について、2時間強、お話しを伺った。
次に昌福寺に向かい、住職の岩間湛教氏(39歳)に、法華仏教の文化の特徴、地域コミュニティ、寺院墓地の役割等について、2時間余り、お話を伺い、この日の調査を終えた。
翌21日は、真浄寺の施餓鬼会の法要に参加させていただき、参与観察を行った。約1時間の法要後、父親の新盆を迎えて、施餓鬼会に参加した真浄寺檀家の女性(54歳)に、お盆の家庭内行事のこと、施餓鬼会参加の感想、「先祖」についての考え等を伺い、さらに護持会の食事会にも参加し、役員の方々のお話をお聞きすることができた。
最終日は、山梨県立図書館で、山梨県内の寺院の統計や伝統的な習俗に関する文献を開覧し、帰路についた。
分担課題
「老年期における死の語り」に基づく調査宗(教者の老年期に関する、京都市山科区・右京区の元司祭・牧師へのインタビュー)
川又 俊則 客員研究員
期間 平成21年8月25日〜8月26日
調査地 京都市山科区・右京区
25日。大江真道元司祭にインタビュー。2001年2月に70歳で聖公会司祭を退職。その後の日常生活。信仰生活・主な活動などについてうかがった。1991年から続ける日本聖公会歴史研究会の会長として年1回の集いと報告書の刊行、1999年から続ける京都宗教者平和協議会では、仏教・神道などの代表者たちとの連携もとるなど副理事長として活動し、さらに歴史研究に従事していた経験から日本聖公会婦人会の『息吹きをうけて』や『柳城学院百年史』の編纂にも携わってきたという。一教会、所属教区・教派のことを中心に考えてきていた現役時代から、現在はより広く、他宗教や平和のための活動を行っていることを充実しているという。数年前まで依頼を受けて幾つかの教会で説教をすることもあったが、現在では断っているという。退職後、牧会以外に活動を広げている事例だと理解した。
26日。日本同盟基督教団京都めぐみ教会の丸山園子牧師にインタビュー。同教団の教職者に関して、とくに牧師を引退された方々の状況や、同教会の歴史的経緯。現況などを中心にうかがった。教派ごとの違いを理解した。
分担課題
「老年期における死の語り」に基づく研究調査(宗教者の老年期に関する、宮城県名取市・仙台市の牧師へのインタビュー)
川又 俊則 客員研究員
期間 平成21年8月31日〜9月2日
調査地 宮城県名取市、仙台市
8月31日。名取市に在住する、日本基督教団元牧師の小林喜成氏にインタビュー。40年間福島市の信夫教会で牧師を務めた同氏の、隠退してから12年間の信仰生活その他の活動についてうかがう。とくに同氏は2年間、ケアハウスでの生活も経験されており、その時代の様子や、現在の見解など興味深いお話が多かった。また、同氏は信夫教会牧師時代から高齢社会問題への活動を行い、現在も仙台市で「マルタの会」を通じて、信徒たちとともに、高齢社会に関する考察,活動を続けているとのこと。今後も継続しての調査をお願いし、快諾された。
9月1日。黒川郡大和町(教会は仙台市)に在住する、日本バプテスト連盟元牧師・現大富教会協力牧師を務める金子純雄氏にインタビュー。65歳で牧師を引退した後、3つの教会で臨時牧師や協力牧師として活動し12年となる氏の経験をうかがう。バプテスト連盟は牧師は身分ではなく職分という考え方なので、信徒でも説教などが行えるが、実際は、牧師が交替した場合などで無牧になってしまった場合、氏のような経験者が教会を建て直すことに役立つという。さらに、教会内ばかりではなく社会に目を向けた活動を続けてきた氏の多様な経験も興味深くうかがった。他の元牧師も紹介していただく。
9月2日。補充調査。3日間の短い問だが元牧師の多様さを十分理解できる調査だった。
分担課題
「フィールドワークにおける死の物語」に基づく調査(伊勢神道における死生観および先祖供養に関する現地調査)
中里 巧 研究員
期間 平成21年9月24日〜9月26日
調査地 伊勢
伊雑宮・夫婦岩・音無山・御塩殿神社・外宮・伊勢市立資料館を主に調査した。
9月24日 夫婦岩・音無山一帯・御塩殿神社
9月25〜26日 伊雑宮・外宮・伊勢市立資料館
伊雑宮は、御神田や周囲の山域とのロケーションをとりわけ探った。また、夫婦岩は、日の大神と夫婦岩の沖合700メートルの海中に鎮まる猿田彦大神縁りの霊石興玉神石の鳥居であり、結界である。御塩殿神社は、堅塩を作る場所であり、現在この地に塩田はない。
外宮は、背後の高倉山とのロケーションなどを探つた。伊勢神道における各官は、おおよそ大変似通ったロケーションを有することがわかる。
音無山一帯は、夫婦岩と同様の山頂に設けられた拝所の役割を果たしている。太陽の昇る方向に富士山が見え、富士信仰と天照大神信仰の関連や、これらと伊勢信仰や原初のアニミズムとの関連が容易に想像される。資料館では、御師をとりわけ調べた。
分担課題
「老年期における死の語り」に基づく研究調査
(宗教者の老年期に関する、キリスト教ケア施設および婦人献身者ホームにおける入居者・スタッフ・牧師へのインタビュー)
川又 俊則 客員研究員
期間 平成21年9月25日〜9月27日
調査地 ケアハウス草加キングス・ガーデン(埼玉県草加市)、にじのいえ(千葉県館山市)、南房教会(千葉県館山市)
9月25日、キングス・ガーデン草加において入居者とともに礼拝に参加。その後、入居者の1人にインタビュー。救世軍の信者として活動を続けてこられた方で、5年前に入居。2年前の怪我までは礼拝にも参加していたが、今は、聖書を読み讃美歌を1人で歌いながら信仰生活をおくっているとのこと。語りのなかに信仰の篤さがよく分かった。その後、スタッフの方々に施設やキリスト教主義の施設としてのあり方等をうかがった。
26日、館山の婦人献身者ホームにじのいえにて、入居者・スタッフヘのインタビュー。入居者には本年2月の調査以降の生活の変化等についてうかがった。土曜聖書学校閉校にともない奉仕活動が減ってしまったが、自らの健康に留意しながら祈りを中心とした生活をおくっているとのこと。館長や住み込みスタッフは、少人数で目の行き届いたサービスをしている様子、また、元牧師・元牧師夫人たちの信仰に根差した生活ぶりを間近にし、自らを反省することも多いとの話をうかがい、老年期の生き方が周りに与える影響なども知ることができた。
27日、南房教会の日曜礼拝に参加。にじのいえ入居者・スタッフが通う教会。前列に座り、説教をしっかり聞き、また讃美歌をうたっている入居者の様子が印象的だった。
来年6月に合併のため閉鎖されるにじのいえには今後も継続して調査を続け、入居者たちのインタビューをさらに深めたい。キングス・ガーデンの他の施設への調査も行う予定。
分担課題
「戦旅の文学の研究」に基づく調査奄美大島・加計呂麻島における、島尾敏雄に関する資料調査および実地調査
(海軍震洋隊指揮官として加計呂麻島に赴任し、鹿児島県立図書館奄美分館〈現鹿児島県立奄美図書館〉の
館長を務めた島尾敏雄に関する調査)
竹内 清己 研究員
期間平成21年9月26日〜9月29日
調査地 奄美大島(鹿児島県立奄美図書館、瀬戸内町立図書館・郷土館)、加計呂麻島
奄美空港から奄美大島の最南端古仁屋(こにや)へ。古仁屋から大島海峡を加計呂麻島へと渡る。やがて真珠養殖のヴィを浮かべ鏡のように澄んだ呑之浦(のみのうら)へ。今春まで瀬戸内町立図書館・郷土館の館長だった沢佳男氏の案内で島尾敏雄の現代神話、死生の賦の発祥の地に降り立った。この地は極限の死生の体験が島尾文学の基になった。「瀬戸内町図書館・郷土館」の島尾文学コーナーに資料にあたった。
格納庫の洞くつ。島尾敏雄文学碑。半島を巡って押角(おしかく)へ。島尾夫人つまり大平ミホの勤めた学校は運動会。ミホの家跡、父大平文一郎の墓。
更に渡連(どれん)。「渡連集落案内」。名瀬で島尾が分館長を勤めた「鹿児島県立図書館」(新館オープンのため閉鎖)を踏査。「新図書館」に島尾記念室を調査。「奄美博物館」を尋ねる。ここにも島尾のコーナーがあった。
奄美の自然、民俗、歴史に触れながら、敗戦間際の奄美における特攻隊の死生と島娘への愛の軌跡を探訪できたのは、プロジェクトとしても有益なことであった。
研究発表会
平成21年10月31日東洋大学白山校舎第1会議室
現代日本の地域社会における「死の物語」の位相―山梨県南巨摩郡増穂町の日蓮宗寺院における孟蘭盆と施餓鬼会の分析
大谷 栄一 客員研究員
現代日本の地域社会において、「死の物語」はどのように再生産されているのか?本報告では、伝統的な仏教寺院は地域社会における「死の物語」の再生産装置であるとの視点から、山梨県南巨摩郡増穂町の二ヶ寺の日蓮宗寺院の孟蘭盆と施餓鬼会の「死者儀礼」を比較分析し、両寺の僧侶たちの「死の語り」について考察することで、現代日本の「死の物語」の再生産のしくみを検討した(ただし、今回は、そのうちの一ヶ寺・X寺の儀礼とX寺のA住職の語りのみを考察の対象とした)。
報告では、まず、現代日本社会の「大きな死の物語」の不在について社会学的な観点から説明した上で、仏教寺院を、「先祖」言説にもとづく「死の物語」の再生産装置と捉える視点を提示した。そして、調査地と調査対象寺院を紹介し、死者儀礼としての孟蘭盆と施餓鬼会について説明した上で、事例の分析を行った。X寺の孟蘭盆と施餓鬼会の様子、A住職の「死の語り」の特徴、A住職によるX寺の公共的活動について検討した結果、以下の点が明らかになった。
「孟蘭盆」という日本国内の民俗慣行、地域内の「孟蘭盆」のしきたり、檀那寺による供養実践棚(経、施餓鬼会)の提供という意味空間において、「先祖」や身近な「死者」に対する「死の物語」が寺院と僧侶によって供給され、また、それを受容する檀信徒との相互行為によって、当該地域の当該寺院と檀信徒における生、きられた「死の物語」が成立している(「死の物語」が慣習的に生きられている)。しかし、日本の伝統的な「大きな死の物語」=「死の共同受容」(澤井敦)は、戦後日本の社会変動の中で、それを支えた社会基盤(村や村落社会)の解体によって、弱体化した。とはいえ、慣習的な「孟蘭盆」や「施餓鬼会」への参加による「先祖」との関わりを通じて、地域社会における「死の物語」は、僧侶と檀信徒によって共有されていることがわかった。とくに、X寺の実践に見られるように、「神」「仏」「先祖」のリアリティを保証する社会基盤としての地域コミュニティの再編成を通じて、地域社会に根ざした「死の物語」、そして「死の共同受容」の再生産が行われていることを指摘した。ただし、その試みが檀信徒の間に確たるリアリティを実感させるものとなっているのかどうか、この点については、檀信徒の側の意識の分析が不可欠だが、今後の課題とすると述べ、報告を終えた。
研究発表会
平成21年10月31日東洋大学白山校舎第1会議室
老年期と信仰―元牧師の語る生と死をめぐって
川又 俊則 客員研究員
超高齢社会たる現代日本では、一般社会同様、宗教集団の信者も宗教指導者も高齢者の割合が多くなる牧。師が引退した後の生活拠点は、自宅・こどもたちとの同居の他、いわゆる老人ホームでの生活が考えられる。本報告は、元牧師の信仰生活を「現役」「半現役」「半引退」「引退」という4タイプに類型化し議論する。
まず、「現役」とは、主任牧師不在の教会で、運営を担当する協力牧師などである。地方の中核都市に在住のAさんは、牧師不在の教会で協力牧師を何度も務めてきた。信徒たちは教会専属の牧師を強く望むため、自らが健康を維持できている限り、その要請に応えるつもりでいる。
次に、「半現役」とは、主任牧師がいる教会を補助し、協力牧師。名誉牧師として関わる場合を指す。高齢者の信徒と研究会を行い、たまに説教もするBさんは、現役の若い牧師と彼のような高齢者のメッセージは異なって当然であり、それぞれ聴衆者にとって意味があると考えている。たしかに教会にはさまざまな世代が集っており、むしろ高齢者が多い教会などでは、同年輩の(元)牧師の説教を必要とすることもあるだろう。
「半引退」は、個別教会とはかかわらず、教会外での活動を積極的に行うタイプである。Cさんは、牧師時代には困難だった、仏教や神道を含む自教派以外の人々との交流を深めている。キリスト教史の研究も続けており、信仰とは決して無縁ではない生活している。
最後に、「引退」は、教会活動から遠のいている状態を指す。ほとんどベッドの上で生活している人や、日常生活は不自由なく日曜礼拝にも行くが、そこでは「信徒」として生活している人が該当する。ホーム入居後も、他の方々と信仰に関わる奉仕活動をしてきたDさんは、近年、体調不調で入退院を繰り返す。彼女はバザーなどに自らの作品を献品し、聖書を読み、讃美歌を歌い、そして祈りの生活を続ける。4タイプの方々は、いずれも、前向きな信仰生活を過ごしている。その意味で、牧師の「老年期」は他、の一般的な職業を退職した後の人々と比べ、「生きがい」の部分で恵まれているかもしれない。生涯を通じて「神に捧げた」人生を送り続ける彼・彼女たちは、「生きがい」を持ち続けていると言えよう。
死について、(元)牧師たちは、当然のことながら、聖書にもとづいて語る。とくに、新約聖書のなかでイエスの死、その復活は語りのなかでも重視されている。彼らは、長い牧会生活で多くの方々を天に見送っている。自身の配偶者を見送った、こどもを見送ったなどの例も枚挙にいとまがない。同時に「老年期をまさに初めて生きている」と語る方の発言のとおり、現在進行形のなかでインタビュー調査を進めている。彼ら。彼女らの貴重な語りを今後も大事にしながら考察を続けていきたい。
シンポジウム
平成21年12月12日東洋大学白山校舎6302教室
死の物語と想像力―物語の完結性と開放性―
パネリスト:長谷川啓城西短期大学教授
朝比奈美知子研究員
中里巧研究員
コーディネーター:竹内清己研究員
死について語られ、記される事柄はすべて物語として理解することができるが、現代、病院死の増加や葬送儀礼の商業化、また介護の対象としての老年期という見方のなかで、その死の物語が体制のなかに取り込まれて完結し、その一方で、共有性が失われつつある様相をなしている。毎年夏になると戦争の惨禍を語り継ぐというということが行われて、なんとか語り継ごうという動きがみられるが、一方でさまざまな死に関する事柄、例えば葬送に関して言えば、葬送儀礼が商業化されて、そして死の情報についてもインターネットなどで取り入れるといった、澤井敦・慶応大学教授の言葉を借りれば、消費される「死のガイドライン」(『死と死別の社会学』、青弓社、2005年)ということがいわれている。そこで、死の物語ということは、果たして完結してしまう物語なのか。それともまた、開放性をもって世代から世代へと語り継がれるものなのか。
ところで、小説であれ体験談であれ、死について語られ記されたもの、死の物語は何らかの衝撃を読者や聴き手など受容者にもたらし、想像を喚起する。この想像力は単なる夢想や妄想として閑却するものではなく、新たなる創造や生きる力を湧出する。そこで、死に対する恐れや不安、物語の衝撃、想像の喚起において死の物語の開放性を見ることができるが、完結性と開放性に照らして死の物語をどのように捉えたらいいのかを考えるべく、死の物語と想像力をテーマとしたシンポジウムを開催するに至たった。
各パネリストの講演に先だち、コーディネーターの竹内研究員より、「死の物語の意味するもの」と題して、死というものを、論語「逝く者はかくの如きか、昼夜をおかず」、「われ未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」といった言葉を引きつつ、仏教でいう「生・老・病・死」を取り上げながら、「この世に死の遍在すること生の遍在することに等し」ととらえ、「死は1つの生の完結」としてあるが、「完結」することでやはりまた生を「開放」するのではないか、「死の物語」というのは、二重に「完結」であり、死そのものも生の最後の「完結」としてあるわけだけれども、物語というものもどこかでは語られて、いつかは閉じられるということが論じられた。
そして、各パネリストの講演において、まず特別講演として、長谷川啓・城西短期大学教授より「老年期における創造力と〈死〉〜円地文子の『菊慈童』『猫の草子』を中心に」と題する講演がなされた。長谷川教授は、日本の現代社会に生じてきた〈死〉の考え方として、津島佑子『風よ、空駆ける風よ』や映画「おくりびと」にみられる自然への帰還としての死や輪廻転生の思想、『林住期』などの五木寛之の著作で取り上げられる四住期のように、東洋思想の見直し(再発見)がなされていることを指摘した。また、円地文子の作品にみられる女性の老年のエロスの追求に、豊かな経験を重ねた結果の華やぎある彩りの季節ともいえる老年期の創造力を検討した。そして円地文子の『遊魂』を取り上げ、老年期は肉体の老衰にともなって現実の実行力は失われていく(あるいは抑制する)が、しかし、だからこそ逆に、想念の世界が活性化し、既成の価値観や制度を逸脱でき、自在な精神・思考を獲得できる時間とも考えられると論じた。
次に朝比奈研究員より、「生きるための自殺論―ネルヴァル、芥川、牧野、そして安吾」と題する講演がなされた。ネルヴァルの狂気と放浪、そして死は、急速な近代化が進み人間精神の疎外が深まった19世紀フランスの病理へのひとつの挑戦であった。一方、愛する女性を失い、かつ狂気の烙印を押されてパリをさまよう主人公を描いたネルヴァルの『オーレリア』を読んだ坂口安吾は、その中に、恋に破れて妄想にかられ、かつ、みずからを見出した師牧野信一の死に際しての文学的アイデンティティの危機にさらされたみずからの姿を見出した。あきらかにネルヴァルの影響下に書かれた安吾の『吹雪物語』は、ネルヴァルの地獄くだりになぞらえたひとつの自殺論である。しかしながら、その自殺論は安吾にとって、生きるための自殺論であった。安吾がネルヴアルをどう読んだか、死の瞑想がどのようにして生の言説へと変化していったのかを考えた。
中里研究員は「死の物語と霊の存在―佐藤愛子を題材として―」と題する講演において、佐藤愛子の心霊体験を通じて、生死の相補性や、日本人の死生観の特質としての、生死の境界を越えていくということ、その時の家族の絆について論じた。生死の相補性とは、生と死とは相矛盾するものではなくて、死があるからこそ生があり、生きているからこそ死があるというような、両方あって人生が動いているというような捉え方である。また、すべての事例に当てはまるとはいえないが、人生の節目でなされる価値観の転換を小さな死とし、臨終となる死を大きな死と捉えると、死というものはそれで終わるのではなくて、現在の生と新たな生の境界のようなものであり、その境界は越えられていくように理解されているのがわかる。そして、日本では死んだ娘が父親の前に現れる小説や映画が共感を呼ぶように、家族の絆が契機となって生死の境界が越えていくともいえる。佐藤愛子著『私の遺言』は超常現象とのたたかいを物語っているが、こうした生死の相補性、生死の境界を越えていくということ、祖霊信仰やそれに伴うリアリティが集約されている。各パネリストの講演のあと、バネリスト間およびフロアからの質問や意見を交えての討議がなされ、理性的に片付けることのできない死の意識、文学における老年期の性、祖霊信仰、日本と西洋の遺体観、死者の体の物語、終末期医療などについて活発な議論が交わされた。