平成二十九年十月二十八日 東洋大学白山キャンパス 五一〇四教室

インド後期密教における五護陀羅尼と五仏について

                園田 沙弥佳 奨励研究員

〔発表要旨〕五護陀羅尼Pañcarakṣāとは、インド密教において五種の陀羅尼経典、およびそれらの経典が神格化された女神のグループを示す。各経典は三~七世紀にそれぞれ単独で成立し、七~八世紀までに女尊として神格化され、その後マンダラとして一括されたという。十一世紀頃にインドで編纂された『成就法の花環』Sādhanamālā(略号SM)や『完成せるヨーガの環』Niṣpannayogāvalī、十九世紀にチベットで再編された『西蔵マンダラ集成』rGyud sde kun btusには、単独の五護陀羅尼明妃や五護陀羅尼マンダラの成就法が説かれている。

 五護陀羅尼が神格化した際、七世紀後半~八世紀頃に成立した『初会金剛頂経』に説かれる金剛界マンダラの五仏の図像的特色と共通する場合がある。先行研究によると、五護陀羅尼の一尊である大随求明妃は宝生如来と対応するという説がある一方、大日如来の特色と一致するという説もある。また、対応関係は諸説あって一定しないとも指摘されているが、いずれも具体的な成就法の内容については言及されていない。本発表では、インド後期密教文献に属するSMに含まれている成就法のうちNo.195,197201, 206の内容を取り上げ、五仏が五護陀羅尼の神格化の際に与えた影響について考察した。

 No.197200は単独の五護陀羅尼明妃の成就法であるが、これらの成就法に説かれる図像的特色は、No.201の五護陀羅尼マンダラの特色と類似している。そのため、No.197200は、元々、No.201に説かれるような黄色い体色の大随求明妃を中尊とする五護陀羅尼マンダラを想定していた可能性がある。他方、No, 206は白い体色を持つ大随求明妃が中尊の五護陀羅尼マンダラである。以上二種類の五護陀羅尼マンダラは両者とも中尊が大随求明妃であることは共通しているが、No.201は黄色い体色で宝生如来を化仏に持ち、No.206は白い体色で大日如来と関連する。なお、『完成せるヨーガの環』の五護陀羅尼マンダラはSM No.197200, 201、『タントラ部集成』の五護陀羅尼マンダラはSM No.206の特色と類似している。

また、No.195の大随求明妃はNo.201と同様に黄色い体色であるが、族主として示されるのは宝生如来ではなく阿閦如来である。阿閦如来は『秘密集会タントラ』等で大日如来に代わりマンダラの中尊となる例があり、インド後期密教で重要視されるようになった阿閦如来が大随求明妃の族主として関連付けられたと考えられる。

以上のことから、五護陀羅尼はマンダラとして一括される際に五仏の影響を受け、中尊に宝生如来、あるいは大日如来と関連付けられた二種類の五護陀羅尼マンダラがインドで形成されたと推測される。その後、ネパールやチベットにおいては、金剛界マンダラの特色と一致した、中尊に大日如来の特色を持つ大随求明妃が設定された五護陀羅尼マンダラが普及したと思われる。宝生如来を中尊とするマンダラと五護陀羅尼マンダラの比較検討については、今後の課題としたい。


 

平成二十九年十月二十八日 東洋大学白山キャンパス 五一〇四教室

 明末天主教書における「聖人」について

                  播本 崇史 客員研究員

〔発表要旨〕明末天主教書とは、十六世紀後葉から十七世紀中葉にかけて、漢語によって著されたキリスト教カトリックに類する諸著作である。著者はマテオ・リッチをはじめとする西来の神父や受洗した中国士人等である。

リッチは、天主教書を著すうえで、四書五経をはじめとする中国の諸古典を研究して、天主教説に矛盾しない論説を見いだし、それらを積極的に援用した。また、同時に、矛盾をきたす諸語については、旧来の理解を提示したうえで、これに批判検討を加え、新たに天主教説として説き直している。いずれにしても、四書五経など、中国古典に見られる諸語を解釈することによって、天主教概念の理解が与えられている。こうした手法は、中国の古典的手法とも重なり、天主教説を初めて聞き知る中国士人たちにとっても受容しやすい素地となった。

一方で、こうした手法が、天主教説を誤解せしめる要因となり得ることを懸念する者も現れる。リッチの後任となる中国布教長ニコラス・ロンゴバルディである。彼は中国思想は無神論に貫かれているとし、中国文化に親和する手法では、天主教説の本旨を見誤ると見ていた。例えば、彼は『霊魂道体説』という論文を漢語で著し、天主教説における「霊魂」が、宋学による「道体」によって解釈されていた事実を提示したうえで、これを峻別している。ロンゴバルディの立場は、リッチと異なり、漢語理解においては、宋学における解釈を前提とするものであった。

現代における明末天主教研究では、リッチの布教方針を天主教として高く評価する向きが見られる一方で、ロンゴバルディの見地に同調し、リッチの「誤った」布教方針により中国士人たちが天主教の本旨を見誤ったとする論説が散見される。

たしかに、宋学が、当時の知識人たちにとって基礎教養であったことは否定できない。しかし、受洗した中国士人たちの天主教理解が、宋学的解釈に偏執していたのかといえば疑問である。

包括的な結論を導くためには、諸概念についての詳細な検討が必要であると考える。

そこで本発表では、リッチの『天主実義』に基づき、その本文に31回記されている「聖人」という語に着目して、その全ての理解について検討を試みた。

 そもそも「聖人」という語の歴史は古く、すでに先秦諸子の諸書に見ることができる。「聖人」は、中国では古来きわめて重要視されてきた語であり、その理解のされ方も一様ではない。

『天主実義』でも、「聖人」は極めて重要な語として位置づけられ、中国伝統の聖人観も顧慮されている。また、宋学的聖人論に対抗するかたちで、「聖人の教えは経伝に有り」として、五経を援用した聖人論が説かれてもいる。そのようななかで教会に認定された聖人が説かれるなど、『天主実義』では、儒教の枠組みを活用しつつも、これを換骨奪胎する営みが見られる。むしろ宋学的理解とは異なる天主教独自の「聖人」観が展開されていたのである。

 

平成二十九年十月二十八日 東洋大学白山キャンパス 五一〇四教室

朱熹哲学における仁と智

                辻井 義輝 客員研究員

〔発表要旨〕朱熹は、天と人はシンメトリカルに対応するものと考えていた。具体的には、天は、四徳(元・亨・利・貞)に基づいて循環していると考えていたが、人にあっては、この四徳は四性(仁・礼・義・智)となって現れていると考えていた。

このうち元・仁については、朱熹は天と人にあって最も根幹的な位置にあるものとして重視した。まず朱熹は、四徳にあっては、元の徳が全ての運行を統べると考えた。これを受けて、仁は、四性全てを包括していると考え、人間の本性とは、仁を中心に、渾然たる全体をなしているものだと考えた。朱熹に拠れば、礼・義・智とて、その究極の本質は仁であり、逆にいえば、仁がなければ、礼はもちろん、義も智も存在し得ない。

ところで、朱熹はこれと同様に貞・智についても重視している。一般にこの貞・智の相関についての学説を智蔵説という。この智蔵説については、従来の研究では、その連関とメカニズムがよくわかっていなかった。これでは、朱熹の捉えた天と人との体系のメカニズムを明晰に捉えることはできない。これについて研究した結果、今回以下のことがわかった。

朱熹は「貞」を、生命力を内に収めて、いままで展開してきたものを終わらせると同時に、新たな展開を再始動するものであり、しかもそれは外から見て取れないものと考えていた。「智」は、この貞の性質を反映して展開すると考えていた。具体的には、智とは仁、義、礼を内に収めて奥深いものだが、これは是非の判断をすることで、ものごとへの態度を定め、それに応じて新たに「仁(さらには仁を基礎とする義や礼)」を始動させる。この働きは、外から見える「仁、義、礼」の働きと異なり、やはり外から見て取れないものと考えていた。

この智蔵説の解明に拠り、朱熹は天と人との体系のメカニズムを以下のように捉えていたことがわかった。まず、朱熹は、天にあっては、元は、万物を発生し、全ての運行を統べるものと考え、それに対し貞は、元のあと、亨・利と展開してきた生命を、外から見えない呈で、内に収めて終わらせると同時に、新たな元・亨・利という生命の展開を再始動すると考えていた。さらに、人にあっては、元に対応して、仁は中から出てきて、つぎつぎと生み育み、礼・義・智の大本となるが、智は、貞に対応して、外から見えない呈で、是非の判断をすることで、ものごとへの態度を定め、それに応じて新たに「仁(さらには仁を基礎とする義や礼)」を始動させるのである。このように、朱熹は、四徳・四性を「元・貞」「仁・智」を基軸に循環概念によって捉え、天地のみならず、人間の営みをも、絶えざる生生展開をなすものとして捉えていたのである。