2016年度 公開講演会 発表報告
開催日:2016年12月3日 場所:東洋大学白山キャンパス 6203教室
2016年度 公開講演会 発表報告
開催日:2016年12月3日 場所:東洋大学白山キャンパス 6203教室
日本の文学は何をどう描こうとしたのか
─和歌・連歌・俳諧の位相─
講演者:廣木 一人 氏(青山学院大学教授)
講演後の質疑応答で、文学のあり方をめぐり、文学は五百年後どのように受け入れられていくのかという問題、文学の普遍性、伝統・古典性、生きている生き様の表現、文学のなかで古来連綿と受け継がれ・維持されてきた価値観について、活発な議論が交わされた。
また、講演会終了後研究交流会が開催され、講演者を交えての研究交流がなされた。
〔講演要旨〕
日本の韻文学(文学の中核をなす詩歌)は中国の『詩経』大序の影響を承けて、そのあり方、価値が自覚されていった。それは『万葉集』巻第十九の大伴家持の歌(四二九二)の左注、藤原浜成『歌経標式』などに見え、『古今集』仮名序に受け継がれた。
これらは日本における明確な文学の価値の自覚と言ってよいが、仮名序においてはそのような文学の具体的な例を、『古今集』に採録した歌を引くことで指針とした。その後、これらは単なる例ではなく、文学の描くべき対象そのものと捉えられるようになる。以後、日本の文学論は何を描くのか、ではなく、『古今集』に提示された文学内容をどのように描くのかの表現論に費やされたと言ってよい。十二世紀初頭の画期的な歌論『俊頼髄脳』でも「詠み残したる節もなく」と言い、どのように詠んだら新しい文学を生み出すことができるのか、と絶望を表明している。これは、尖端的な文学を作り上げた藤原定家にしても同じで、『詠歌大概』でも、「情は新しきを以て先とし」とはいうものの、「詞」「風体」、つまり具体的な題材は三代集から逸脱してはならないと述べている。
このことは新文芸であった連歌においても同じであった。中世文学論の頂点の一つとされる心敬『ささめごと』では、「言はぬところを心に掛け、冷え寂びたる方を悟り知れ」と文学のあり得べき姿を深めているものの、その題材は「月・花」「枯野の薄・有明の月」であって、『古今集』の題材と変わるところはない。つまり、日本の文学は長く『古今集』の桎梏から逃れられなかったと言ってよい。
これを根底から問い直したのは俳諧であった。荒木田守武は「笑い」(『守武千句』跋)を、松永貞徳はそれに加えて「賤しき事」(『天水抄』)を題材にすることを認めた。しかし、両者ともに便宜的なものに留まっていた。それを突き破ったのは談林派の岡西惟中で、惟中は『俳諧蒙求』の中で、俳諧とは「ある事ない事」を口からの出任せで詠めばよいと主張した。
しかし、これは『万葉集』『古今集』以来追求されてきた文学のあり方からすれば、文学そのものを破壊するものであったと言える。 芭蕉はこれらを受けて登場する。芭蕉の役割は破壊された文学を俳諧のあり方を踏まえながら再興することであったと言える。「俗」「自由」という文学に相反することを「本性を違ふべからず」(『去来抄』)、「俗語を正す」(『三冊子』)、「俗にして俗にあらず」(『山中問答』)などとして、解決を図った。新しい詩語、文学的題材の発見と言ってよい。俳諧はここに至って真の文学運動として成就したと言えよう。