二〇一九年十二月二十一日 東洋大学白山キャンパス 六二〇三教室

近代の真言密教における『釈摩訶衍論』観の問題

 ─事相に対する理解の欠如─

関 悠倫 客員研究員

 〔発表要旨〕本発表は、近代の真言密教における『釈摩訶衍論』(以下『釈論』)観の問題と題し、事相面(実践的)に対する資料を紐解くことで、後述するように真言密教における『釈論』の役割を再確認し、従来の位置付けについて批判的に論じたものである。

 そもそも龍樹菩薩造、筏提摩多三蔵訳と記される『釈論』は、真言密教では宗祖弘法大師空海(七七四~八三五)が自著に大胆に取り入れ、『真言宗所学経律論目録』(以下『三学録』)において弟子達に必学の書の一つと定めた典籍である。後代では、古義派と新義派における法身説法の教主をどのような仏身と位置付けるかの論争(教相)の中に組み入れられていく。

 そして近代になると、「講義門」、「講伝門」、「伝授門」の三門の内「講義門」という未潅頂の者に開かれた部門の所属と位置付けられ、事相、特に『釈論』の名や独自説を冠した印信や大事に関する研究についても殆ど注目された様子はないようである。したがって現代において『釈論』が事相と無縁の典籍と理解されてきたのは当然の成り行きと思われる。

 そのような理解の一端と考えられるのが、真言密教においては、空海の理解に基づきそれを根拠として真偽説に拘らず密教典籍として取り扱う一方で、天台や法相等では真言側を批判する意図で出自不明な偽撰の顕教典籍とする扱いが主流だったことが要因にあると思う。両者の議論は平安の時代より絶えず続けられ決着を見ていない。現代の真言教学の研究者でも後者の見解に同調するものが多い。

 しかしながら、真言密教における実践面(事相)に関する資料─大事・印信・口訣─を紐解くと、意外にも真言密教における同論の重要性が確認された。その発端が空海の『釈論』観が根底としてあり、彼は龍樹(=龍猛)の真撰と見做し、彼の弟子たちもこぞって顕密論書として位置付けながら、密教─金胎両部─の尊格との関連を積極的に論じていく。

 それが後代になるとさらにその色を濃くしていき、阿闍梨から弟子へと受け継がれるべき口訣や重書(潅頂印信)にも組み込まれていく。つまり『釈論』は真言密教にいおて教学と実践の両面に通じる重要な論書として認識されていることが確認できたのである。

 したがって近代の位置付けは、以上の資料について等閑視してしまった結果、教学面に特化した論書であると理解して今日までいたったことになる。そのような評価は当然妥当とは言えず、今後議論すべき課題であると考えられる。



ヒンドゥー教のクリシュナ寺院の組織と運営

 ─インド・ヴリンダーヴァンのラーダーラマン寺院の事例から─

澤田 彰宏 客員研究員

 〔発表要旨〕インドのウッタル・プラデーシュ(UP)州西部の町ヴリンダーヴァンVrindāvana はヒンドゥー教クリシュナ神信仰の聖地である。中世に興ったバクティ運動のクリシュナ信仰の主要な諸宗派がここに本拠をおいている。本発表ではその一つチャイタニヤ派のラーダーラマンRādhāramaṇa 寺院(以下R寺院と表記)にて儀礼を司るゴースワーミーGoswāmī 師(以下、師と表記)たちと同寺院の運営を担うパンチャーヤトpañcāyata について、筆者が二〇一九年に二度実施した調査によって得られた資料から報告した。

 ベンガル出身のチャイタニヤCaitanya 師(一四八五─一五三三年ころ)がヴリンダーヴァンに送った六人の弟子に由来する七寺院が、現在も同派の主要寺院である。その一つのR寺院で本尊ラーダーラマン神を祀る聖職者が、「四十家」のゴースワーミーのバラモン男性たちである。R寺院の創建者ゴーパール・バットGopālabhaṭṭa 師の弟子であるダーモーダルDāmodara 師の子孫が現在の「四十家」の祖たちとされる。彼らは互いに親戚関係にあると認識し、多くの家族が現在でも寺院の敷地内か周辺に住んでいる。

 R寺院の儀礼職は輪番制で、聖職者になるのは「四十家」出身の男性に限られる。この聖職者としての家系はバラモン女性との結婚で生まれた男子しか継ぐことができず(聞き取りでは、現在存命の人々は二十九家だという)、聖職者になるためには十八歳以降に入門儀礼(ディークシャー dīkśā)を他の師から受ける。R寺院は師たち全員の共有財産とされ、彼らは同等の権利をもつ。

 R寺院では全家系を五系統(ターマー thāmā)に分けて、輪番で日々の儀礼職を振り分けている。その期間は各系統半年ずつで、各師に儀礼職が回ってくるのは二年半に一度である。儀礼担当中に参拝者が本尊に差し出す布施(ダーンdāna)が、彼らが寺院から得られる唯一の収入となる(寺院からの給料はない)。

 寺院運営の全てを決定するのはパンチャーヤトであり、UP 州にソサエティSociety として登録されている(税金は免除)。メンバーは師たち相互の選挙で選ばれた計十三人から構成され、任期は三年間で無給である。R寺院全体の財政を支える主な収入源は信徒からの直接の布施であり、現在の運営年間予算は五百万インド・ルピーである。R寺院は公式にはインドのどこにも末寺のようなものは持たず、単独で寺院運営を行っている。

 信徒はR寺院に属するのではなく、師の直接の弟子śiṣya となっている。師の多くは弟子を持つが、伝統的に師弟が会う機会は講話のバーガヴァタ・カター(Bhāgavata Kathā、『バーガヴァタ・プラーナ』を説く催し)のときである。講話は、現在インド国内外で開催され概ね五─七日間の日程であるが、師が各地の弟子たちと会うことこそが主目的だという。期間中、信徒の悩み(宗教的なこと以外にも家族や社会的な問題)の解決のため、師は家族のようにさまざまな話を聞き、教義に沿ったアドヴァイスを与えるという。