二〇一九年七月十三日 東洋大学白山キャンパス 六二一七教室

中国初期禅宗諸派の呼称について

通 然 院生研究員

 〔発表要旨〕周知の通り、初期禅宗には「北宗」「南宗(荷沢宗)」「牛頭宗」「浄衆宗」「保唐宗」などの様々な主張を持つ禅宗各派がある。ところが、これら各派の呼称には諸説があり、その定義と範囲については古今の文献において必ずしも一定していない。本発表では、初期禅宗各派の呼称について考察し、その由来や問題点を指摘した上で、これら各派に対する呼称を統一するための提言を行おうと考える。その結果、以下の諸点を明らかにすることができた。

 一、 宗密の見解によれば、禅宗各派は、概ね北宗、浄衆宗、保唐宗、南山念仏禅門、牛頭宗、並びに南宗中の荷沢宗、洪州宗、石頭宗に分けることができる。この中で、南宗と北宗を対立的に捉えることは神会に始まるが、他の各派の名称は、すべて宗密によって名付けられたものである。

 二、 荷沢神会を祖師とする宗密は、荷沢宗こそが達摩禅の正系であることを強調するため、牛頭宗を四祖道信下の傍出、北宗、浄衆宗、保唐宗、南山念仏禅門を五祖弘忍下の傍出、洪州宗と石頭宗を六祖慧能下の傍出としている。

 三、 宗密以前の時代、中原地区に禅を広めた弘忍門下の神秀、慧安、玄賾などは「南天竺一乗宗」と自認し、「南宗」と称した。神秀─普寂の系統の隆盛とともに、この呼称を禅宗の正統性を示すものとなった。そのため、神会は「南宗」の呼称を奪取せんとし、自ら達摩禅の正系であることを強調した。

 四、 神会の活動は、当時の禅宗各派に大きな刺激を与えた。南北二宗の対立の影響を受けて、牛頭宗と南北二宗の対立、荷沢宗と洪州宗の対立などが顕在化した。各派呼称の相違は、これと密接な関係が認められる。

 五、 牛頭宗と南北二宗の対立の過程で、牛頭宗の人々は自派の優越性を強調するため、五祖弘忍の門下から分出した南北二宗に対して、自らの起源がそれ以前の四祖道信に始まるとする伝法系譜を作った。その後、牛頭宗はしばらくその全盛期を迎え、当時、一部の人々は牛頭宗をも南宗と称したが、このことは、その影響力の大きさを示すものである。

 六、 宗密の時代になると、北宗、牛頭宗、荷沢宗が次第に衰えていった一方で、洪州宗の全盛期を迎えた。そのため、宗密の著作では北宗、牛頭宗、荷沢宗、洪州宗の存在を意識しているが、洪州宗が一番の批判対象として取り上げられた。

 七、 洪州宗と石頭宗の隆盛とともに、この二系統が慧能の「南宗」の正統となり、荷沢宗は次第に慧能の傍系と見做されていった。 

 このように、筆者は、中国禅宗各派の歴史的展開と禅宗思想史を考察する立場から、歴史的呼称(即ち宗密の命名と分類)を尊重、継承した上で、各派祖師の名前(例えば、北宗の場合=神秀派、あるいは神秀─普寂系)を各派の呼称として使用することにしたい。



良知は即ち天なり

─王陽明「良知」説再考─

志村 敦弘 院生研究員

 〔発表要旨〕儒教に限らず、中国では「天」は最高の存在とされてきた。明代を代表する思想家、王陽明(一四七二~一五二九)もその流れを汲む一人であった。しかし先行研究にこのことを指摘したものは見られない。

 王陽明は「良知は即ち天なり」と主張する。「良知」とは「心」の言い換えであるが、では心・良知が「即ち天」であるとはどのような意味であろうか。

 ここでいう「天」とは、「道」つまり道理のことである。それは形を持たないので時・処・位を問わず存在するとされる。それゆえに心にも収まる。これが、「(心)良知は即ち天なり」ということの仕組みである。

 さて、心・良知は天とされるが、「天」という以上、万物の主宰としての理法的天との関係が問われなければならない。陽明は良知が天から与えられたと説く。つまり心・良知という天の源は、心の外にある理法的天なのである。換言すれば良知は理法的天と同根のものとして、極めて密接なかかわりがあることになる。言うなれば心・良知は理法的天の「分身」として、理法的天の本質的働きが丸ごと人に賦与されたということになる。「分身」であればこそ、そこに天の性質や働きが備わっていると認めることが可能になる。

 理法的天がもっているあまねき万物包容の本質は、天の分身としての心・良知にも受け継がれている。その極致は「大人は天地万物を(自己と)一体にする者である。天下を一家のように、中国を一人の人のように視るものだ」(『礼記』礼運)という「万物一体の仁」である。ここに、陽明が「天」を強調した意義があると思われる。ただ実際には、その発揮は漸進的であり、それを不断になすことによって万物に仁を推し及ぼすことができるという。空間的に遍く、限りなく「万物」に仁を及ぼすには、時間的にも限りない働きが必要になる。

 しかし、以上のような心・良知の偉大な働きを陽明がいかに強調しようとも、それはあくまでその本来的なあり方としてのものであって、無条件にそれができるとはしない。そのためには我執・私欲の克服という厳しい努力を経なければならないという。

 そもそも陽明においては心・良知の本質的働きは「感応」、つまり他者との関係をもつことである。そのような自己と他者との交渉の場は、自己の過ちを自覚する大きな機会でもある。そこに独善が生じる余地はない。その結果、自己は他者と、天地万物と適切な関係をもち、万物一体の仁を成し遂げることになる。

 そして陽明の「天」の思想はその高弟王龍溪やわが徳川時代の儒者、中江藤樹など後学に永く広く受け継がれたのである。