平成三十年十一月十七日 東洋大学白山キャンパス 六三一八教室
ヴィマラミトラの経典解釈
―『般若心経注』冒頭部分より―
堀内 俊郎 客員研究員
〔発表要旨〕『般若心経』(以下、『心経』)に対しては、インド撰述とされる八つの注釈書がチベット大蔵経に残されている(梵本・漢訳は存在しない)。いずれも小本ではなく、大本に対する注釈である。そのなか、ヴィマラミトラ(Vimalamitra, 八世紀ごろ、インド)の『般若心経(『心経』)』への注釈は、後代のインド・チベットにおける『心経』注釈書に大きな影響を与えた。それはその注釈が梵本『心経』に対する詳細で精密な注釈であったことが大きな要因であろう。ただ、従来その精密さが正確に読解されてきたとは言い難い。そこで本発表では、「如是我聞」に始まる大本の『心経』冒頭部に対するヴィマラミトラの注釈について、チベット語の校訂テクストと訳注を提示し、同じ著者による『七百頌般若注』、ならびに、ゴク・ロデンシェーラプの『心経』注との対比のもとで明らかにする。
具体的に本発表の範囲内で新たに明らかにしえた事項を箇条書きにすれば以下の通り。
「如是我聞」という語は、聴衆に経典の誦出を請われてから結集者によって発せられた語である。
evam という語によって、結集者は、自身が仏教に関して様々な美徳を有する者であることを宣言する。
mayā śrutam と、mayā が第三格であることによって、結集者は、śrutam(聞)というのが自己の理解を本質とするところの〝聞から成る智śrutamaya-jñāna)〟であることを否定している。換言すれば、「聞」とは、結集者が理解したことではなく、結集者が世尊から聞いた字句そのままという意味である。
以上の解釈を、ゴク・ロデンシェーラプは批判している。
経典の冒頭部には教主(説者)が仏や如来などではなく「世尊」と述べられている。それは、世尊(bhagavān)とは恐怖の原因を破壊した(bhagnavān)者ということであるので、その点で三乗の者がこぞって帰依するにふさわしい者が説者であることを述べるためである。
霊鷲山は、火などという破壊者によって破壊されない。そのことについて、ヴィマラミトラは、二つの教証と、一つの理証を提示している。
bhiks・u という語について、梵本に基づく語義解釈を施している。
これらについての詳細は、『東洋学研究』五十六号掲載論文「インドにおける『般若心経』注釈文献の研究 ―ヴィマラミトラ注(1)」を参照されたい。
平成三十年十一月十七日 東洋大学白山キャンパス 六三一八教室
井上円了のインド哲学観
出野 尚紀 客員研究員
〔発表要旨〕井上円了のインド哲学に言及する三文献の記述を比較検討した。三文献とは以下のものである。僧侶向けの雑誌である『令知会雑誌』、『教学論集』に連載されたものを編集して書籍化した、円了が釈迦・孔子・ソクラテス・カントの四聖にまとめた中国・インド・古代ヨーロッパ・近代ヨーロッパの各哲学の概説である『哲学要領』(明治十九年発行)、学位論文「仏教哲学系統論」の第一編であり、仏教思想の流れを明らかにする前段階として、仏教との違いを中心に古代インドで仏教と対抗した思想を漢訳仏教経典から解き明かそうとした『外道哲学』(明治三十年発行)、『外道哲学』を一般向けに再構成したものであるが、宗林の中等教育における教科書向けに作られたという性格もあり、最終的に大乗仏教を称賛する結論となっている『印度哲学綱要』(明治三十一年発行)である。
三文献で以下の事柄が一致する。インド哲学が三地域の哲学のなかで最も古くからあるとする。釈迦の在世を紀元前一〇〇〇年ころとする。インド哲学が他地域の哲学の進歩に影響した、つまりインドからギリシアへの波及関係があるとする。思想展開に後退はなく、客観論中の一元論から多元論、そして、主観論中の一元論から多元論という進化は当然のものとする。また、インド哲学を「宗教」と「哲学」を含む総体として、神話や信仰に起因するものなどの証明できないことを「宗教」の部分とする。
『外道哲学』と『インド哲学綱要』の双方に説かれている事柄は、インド哲学の存在が自明のものとして論が進められるところにある。
そして、ヴァルナ制度の解説と学問分野を表す「五明」のうち、声明と因明で、インド哲学の基礎となる文法と論理の進め方を説明し、外道の内明をヴェーダとしてその漢訳仏典における漢字の使用法を考察、ヨーロッパの研究に基づく要点整理をして、ウパニシャッドが正統派の哲学に前提として含まれているとする。とくに、ウパニシャッドは、『哲学要領』にでてこない言葉である。
円了にとってのインド哲学は、上記の三文献のどれにも記すように、仏教がもっとも進化した位置にある。そのため、それ以外の哲学思想は、仏教に至る前段階あるいは低い段階であることを論証するという点が最も重要であったように思われる。それと同時に、『外道哲学』と『印度哲学綱要』では、ヨーロッパでは十分にされていない漢文仏典を使った仏教世界、とくに日本仏教における思想の到達点を明らかにしようという意図があったと思われる。最古のインド哲学のなかでももっとも進んだ段階が日本仏教にあるとしたところに「日本主義」という言葉を使った円了の哲学観が表れているのではないだろうか。