平成二十九年七月十五日 東洋大学白山キャンパス 第二会議室

博士論文 

A Historical and Anthropological Study of Sati in Indian Culture

                 相川 愛美 客員研究員

〔発表要旨〕インドにおいてサティー(satI)とは、一般的に、ヒンドゥー教徒の夫が死んだ際に妻が夫の遺体とともに生きたまま荼毘に付されること(寡婦殉死)を意味し、このサティーの観念は歴史的に変容し、時代や地域によってその解釈は異なる。本研究の目的は、このサティーの観念の変容を示すことであり、本論文では現代インドにおけるサティー崇拝を文献および実地調査を通して、サティーの観念がどのように解釈されているのかを考察した。

第1章では先行研究と研究意義を述べ、第2章では、サンスクリット文献におけるサティーの解釈の考察を行った。サティーに関する記述は時代の変遷とともに内容の具体化がみられ、後世の文献(注釈書)になるにつれて寡婦殉死のサティーはその儀式化が進み、寡婦殉死できる女性の条件が細分化された。さらに、寡婦殉死できない女性のための禁欲生活が示され、文献においてサティーの観念が変容していることを明らかにした。                    

第3章では、インドのラージャスターン州シェーカーワーティー地域に点在するサティー寺院の実地調査によって得た情報、聞き取り内容やその寺院の資料から、サティー崇拝の傾向やその特徴についての一考察を行った。各寺院縁起譚の内容から、地域性や各寺院をサポートする集団の特徴、そのユニークさと多様性が見られた。

 第4章では、サティー寺院で最も規模が大きいラーニー・サティー寺院に着目し、寺院の教本である寺院縁起譚が果たす役割とその特徴を考察した。筆者は、この物語は折衷的であらゆる文献が組み合わり、女神は夫に貞節な女性として描かれていることを指摘し、この小冊子の出版の目的は、寡婦殉死に反対の立場を示すことでサティー崇拝が社会的批判から逃れることを期待し、同時に信者たちに信仰指針を明確に教示することであったという結論に至った。         

第5章では女性信者に焦点を当て、彼女たちの日常生活におけるサティー信仰の信条と宗教的活動を聞き取り調査から考察を行った。そして、彼女たちはラーニー・サティー崇拝を通して、家父長的社会構造の中で自分自身の(妻としての)立ち位置を理解し、その場にふさわしい行動するというような行為主体性の可能性が確認できた。

第6章では、一九八八年に制定されたサティー犯罪(防止)法のサティーの賛美の違法性によって生じた裁判ケースにおいて、遵法制を主張するラーニー・サティー寺院トラストと、違法性を問うラージャスターン州政府のサティーの解釈をMinistry of Home Affairs, Secretariat of Rajasthan, Government of Indiaに保管されている裁判記録から確認した。この裁判では、寺院運営側のサティーの解釈に変容がみられ、それらの言論は、実際に寺院内の内装の変化や、信者への信仰における新しい取り決めの実施など、寺院や信者達に影響を与えていた。そして、現代インドにおけるサティーの解釈は、サティー=寡婦殉死、貞節な妻という観念は消えることはないが、社会経済的、文化的変容のもとで観念の変容が見られ、それは今後もさまざまな影響を受けながら観念は変容していくという結論に至った。

 

平成二十九年七月十五日 東洋大学白山キャンパス 第二会議室

 『イエズス会コレジヨの講義要綱』と日本におけるキリスト教布教

                 大野 岳史 客員研究員

〔発表要旨〕日本にキリスト教がもたらされた背景には、二つの重要な出来事があった。一つは、航路開よってゴヤやマカオが中継点になり、日本での宣教活動が容易になったことである。そしてもう一つは、宗教改革によって衰退拓にしつつあったローマ教会を盛り立てようとするイエズス会のフランシスコ・ザビエルが、ゴヤで日本人アンジロウと出会ったことである。これによりザビエルは日本に興味をもち、一五三九年に来日して宣教活動をはじめた。

イエズス会による日本での宣教活動は、伴天連追放令により宣教活動が禁止されるも、キリスト教徒になることが禁止されたわけではなく、宣教師による報告によれば一五九三年には信徒数が二十一万五千人ほどになった。こうしたキリスト教徒の増加には、時には日本の風習に従い、時にはキリスト教の教えと日本の風習を両立させるよう苦心してきた結果であろう。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、宣教師になりうる人材を育成するセミナリヨ、司祭になりうる人材を育成するコレジヨ、そしてイエズス会士になる初期教育機関に相当するノヴィシアードを一五八〇年に設立した。『イエズス会日本コレジヨの講義要綱』は、ペドロ・ゴメスがコレジヨで使う教科書として著した『講義要綱』の和訳が収録されており、自然学を講ずる『二儀略説』、哲学を講ずる『アニマノ上ニ付テ』、そしてカトリックの教理を講ずる『真実ノ教』の三部から成る。これら三部のうち、哲学と教理に関してはローマ教会のプロテスタントとの対立点が明確に見てとれる。とりわけ哲学を講ずる『アニマノ上ニ付テ』では、この対立点が、アリストテレス『魂について』やイエズス会が権威としていたトマス・アクィナスの註解書にはない記述において見出される。そこではキリスト教の救済論が展開されており、自由意志を罪のきっかけと見做すプロテスタントとは異なり、自由意志によって功績を積むことで死後に天国へ行くことができると結論される。

イエズス会が行っていた教育は、普遍的な教義を保っているのがプロテスタントではなくローマ教会であるということを示すものになっている。日本における布教活動は、教育も含め宗教改革に端を発するものと言えよう。そして当時ヨーロッパにおいてもっとも関心を寄せられていた神学上の課題が、イエズス会の理解で広められようとしていたのである。