平成二十八年十一月十九日 東洋大学白山キャンパス 六一〇三教室

 井上円了の全国巡回講演と『高崎修養会誌』

出野 尚紀 客員研究員

 〔発表要旨〕以下は、二〇一六年五月十八日に、高崎市の曹洞宗長松寺で行った資料調査報告である。

 このとき、長松寺の蔵を建て直すに際して、蔵内に収められていた各種所蔵品の調査が行われていたところで、ご厚意により、所蔵品の閲覧させていただいた。それらの所蔵品のなかに、『高崎修養会誌』がある。『高崎修養会誌』は、会の活動を記す報告誌であり、井上円了をはじめとする東洋大学関係者も、高崎修養会の毎月の講演会に招かれて、講演を行っていたことが記されている。それによると、高崎修養会は明治四十三年から昭和十年まで続いていた。また、『諸記録簿』、『会員名簿』、『金銭出納簿』、数枚予告チラシがあった。『諸記録簿』は、講演日、講演者、講演題目、聴講者数がまとめられている。

『会員名簿』には、会員氏名、講演者の住所などが記されている。『出納簿』には、会費の納付、講演の謝金や滞在費などの経費が記されている。筆記者は、いずれも修養会幹事の山端息耕で、当時長松寺住職を務めていた。『南船北馬集』に記載されていないことを中心に、高崎修養会で円了が行った講演の事実関係について報告する。

 『修養会誌』において、円了の動向が記されている日にちは、大正六年十月十七日と十八日である。二日間に三回の講演を行っている。会場は、高崎市教育会の主催による十七日午後の高盛座、夜間の修養会主催による長松寺、高崎高等女学校主催による十八日午前の高崎高等女学校の三ヵ所である。なお、当日の天気は雨まじりであったが、講演のときは止んでいた。十七日夜の講演における円了の講演題目は、『諸記録簿』によれば、「戦捷の結果と戦後の経営」、「仏教と人生観」の二席で、聴講者数は四百六十人であった。この人数は、二月十八日昼に行われた河口慧海講演の「第二回西蔵進入」の三百十六人を引き離し、同年では最も多い聴講者数である。

 円了の宿泊場所は、長松寺でそこでの宿泊と食事を請求してはいない。二日間の講演経費については、「今回の料理、人力車費は教育会に於て負担せられたり」と記されており、『出納簿』に見られる修養会の出費は、茶菓と明かりのレンタル代と謝金である。円了への謝金は十円で、これは他の講演者と同額である。また、聴講者から入場料のようなものは徴収していない。揮毫依頼が百五十から百六十枚あり、円了は出発間際まで筆を振るっていた。

 円了の巡講活動については、円了側の資料として『南船北馬集』などがあるが、移動とエピソードが主である。主催した各地の資料は数少なく、高崎修養会資料は、主催者側から見た円了の動静や講演題目、金銭支払いなどが記されている貴重な資料であった。


平成二十八年十一月十九日 東洋大学白山キャンパス 六一〇三教室

 シヴァ神信仰の形成―「十二の光り輝けるリンガ」の聖地について

宮本 久義 客員研究員

 〔発表要旨〕ヒンドゥー教の聖地はいくつかまとめられてグループを形成するものがあり、信徒たちに重要な巡礼地として認識されてきた。シヴァ神を祀る「十二の光り輝けるリンガ」はその代表的なものの一つで、インド北部および西部の重要な聖地を多く含んでいる。本発表では、まずグループ化された聖地にどのようなものがあるかを確認し、そのあと『シヴァ・プラーナ』第四巻「コーティルドラ・サンヒター」中の記述をもとに、シヴァ神がどのような性質の神格として考えられてきたのかを考察した。

 ヒンドゥー教の聖地で最重要なカイラースとアマルナートはほかのどの聖地ともグループ化されていないが、そのほかの代表的な聖地はさまざまな理由でグループ化されている。

 「三聖地」(トリスタリー)は、祖先供養をするのにもっとも適した地、「四大神領」(チャトル・ダーマ)は、ヴィシュヌ神を祀る強力な聖地、「七聖都」(サプタ・プリー)は、そこに行けば必ず解脱が得られるという聖地、「七大河」(サプタ・ナディー)、「七霊湖」(サプタ・サローヴァラ)、「九森林」(ナヴァ・アラニヤ)は文字通り大自然と結び付いた聖地である。さらにシヴァ神を祀る「十二の光り輝けるリンガ」(ドヴァーダシャ・ジョーティルリンガ)、またシヴァ神妃サティーを祀る「五十一の女神の座」(シャークタピータ)などがある。

 それらのうち「十二の光り輝けるリンガ」のまとまった記述がみられるのは『シヴァ・プラーナ』第四巻「コーティルドラ・サンヒター」中、第一~三十三章である。この部分の成立に関してはまだ十分解明されていないが、ヒンドゥー教典学者のハズラは十四世紀をさかのぼることはないとする。今回の発表の後半は、第二十二章と第二十三章に説かれる北インドの聖地バナーラス(ヴァーラーナスィー)の縁起譚を取り上げた。その特徴を精査したところ、解脱の原因が、知識や信愛や業や布施や禅定などではなく、この聖地に住むことであることが強調されていること、悪人であってもこの聖域内で死ねば解脱が得られることなど、他のプラーナ聖典に記述されるこの聖地に関する特徴がほぼ網羅され、この部分の成立が相対的に遅いことが予想されると報告した。