平成二十七年十二月十九日東洋大学白山キャンパス六二一七教室
密教における殺と降伏
藤井明院生研究員
〔発表要旨〕『初会金剛頂経』の第二「降三世品」において、異教―ここでは大自在天(ヒンドゥー教のシヴァ神)―を自派に引き入れる思想と「殺」という行為は不可分であり、それは降伏行為との関連の中で現れている。『初会金剛頂経』のサンスクリット文中において大自在天は明確にmṛta(死んでしまった)と述べられ、仏教内で避けられる「殺」の思想を見ることが出来る。本来仏教内で避けられるべき「殺」という行為を仏教的に昇華するいくつかの「合理化」の方法とその思想的背景を検討した。
本発表では、『初会金剛頂経』に対する各註釈内で、殺害を伴った降伏に対して、大きく二つの解釈が施されていることを明らかにした。一つは、殺すことではなく自性の変化であるとする①「否定による合理化」、そしてもう一つは、大悲心を背景にした殺は肯定され得るという②「肯定による合理化」である。
この双方の合理化の理論には、その思想的背景と考えられる記述があった。①の対象の自性の変化を説く「否定による合理化」の理論は、阿毘遮嚕迦法を行うことによって、修法の対象の心に変化をもたらすという記述にその淵源を見ることができる。改心や、修法者に対し従うようになることが自性の変化と言うことができるだろう。
今回は、殺という内容を含む記述に焦点を当てたため、詳述しなかったが、天、魔王、鬼神等に菩提心を生じさせ、悪念を生じさせないようにする、或いは天魔等の心に軽慢(他人をあなどること)が生じるのを防ぎ、悪人に善心を生じさせ、悪人悪鬼神等の心を好心に変えるなど、悪の聖化が述べられる降伏法の記述も『陀羅尼集経』内に見ることができる。この記述も、①の「否定による合理化」の理論の背景となっていると言える。また、②の「肯定による合理化」は、各律典や『大般涅槃経』に見られるような、「悪心」によらず憐愍の心による殺害を肯定する論理にその成立の背景を見ることが出来るのである。殺心を伴わない殺害が不犯(罪とならない)とされる記述や、外道を含む一闡提や他宗教との交流の中で、憐憫の心(大悲心)を伴う殺害の肯定がなされていたことなどを背景として、これら記述は説かれるようになったのであろう。また、『陀羅尼集経』内の、戦慄し地に倒れた鬼神に対し仏・菩薩が倒る莫れと説く記述や、『聖迦柅忿怒金剛童子菩薩成就儀軌經』内の大悲愍の念によって降伏法をなすという記述、『蘇悉地羯羅経』内の阿毘遮嚕迦(降伏)法の後に扇底迦(息災)法をなすべきであるという記述、すなわち修法の結果として死に至る阿毘遮嚕迦(降伏)法をなすものの、対象が懺悔をなす、あるいは従うようになれば扇底迦(息災)をなすといった記述などに、「肯定による合理化」の理論の背景を見ることが出来るのである。
「降三世品」中の、死を伴う大自在天の降伏譚のような、仏教で忌避される「殺害」を含む「降伏」の記述を解釈する際に、注釈者達は頭を悩ませていたと言える。注釈者はこの思想を異なる視点から合理化し、整合性を与え、昇華したのである。
平成二十七年十二月十九日東洋大学白山キャンパス六二一七教室
インド密教における五護陀羅尼の展開
園田沙弥佳院生研究員
〔発表要旨〕本発表では、経典の内容や実際の作例を中心に、五護陀羅尼の信仰の展開について述べた。五護陀羅尼とは、『大随求陀羅尼』ahApratisarA、『守護大千国土経』mahAsAhasrapramardanI、『孔雀王呪経』mahAmAyUrI、『大寒林陀羅尼』mahACItavatI、『大護明陀羅尼』mahAmantrAnusAriNI といった現世利益の機能を持つ五種の陀羅尼経典を、一つのグループとして集められたものである。
五護陀羅尼の各経典はそれぞれ別個に成立したと考えられ、それらの経典は後に五尊の女神として神格化された。ネパールやチベット、日本など、密教が広まった地域には、この女神たちの尊像が見られる。
五護陀羅尼のうち、日本では『孔雀王呪経』がもっとも身近である。奈良時代に伝来し、空海が八一〇年十一月高雄山神護寺で鎮護国家のために孔雀法を奉修した。日本の像例では後鳥羽上皇の発願で造像された孔雀明王像が有名である。
陀羅尼とは、密教において除災等の現世利益的な役割が期待された、いわゆる呪文の一種である。陀羅尼を示すサンスクリットのdhAraNIは、語根dhR から派生した語で、「記憶」「保持」等と訳され、当初は呪文としての機能は持っていなかったが、遅くとも四世紀頃のインドでは呪文の意味が付加されていたという。
初期密教経典である五護陀羅尼経典は、経典を読誦したり身に付けることによって、守護を主とする現世利益的な機能が期待されている経典である。今発表では世尊とラーフラが登場する『大寒林陀羅尼』の内容について取り上げた。この経典は様々な現世利益的な功徳が説かれ、また、呪文としての機能以外にも、身体の各所に結びつけることで、護符としての機能も期待されている。
後に陀羅尼が密教の興隆によって神格化され、五護陀羅尼もまた、七~八世紀頃にそれぞれ五尊の女神として神格化された。十一~十二世紀頃に編纂された観想法のテキストである『成就法の花環』および『完成せるヨーガの環』において、五護陀羅尼各明妃の単独の観想法や、五尊が一括されたマンダラの観想法が説かれている。例として、『完成せるヨーガの環』における五護陀羅尼マンダラを取り上げ、各尊格の特徴を述べた。
五護陀羅尼はサンスクリット語で「パンチャラクシャー」とよばれる。ラクシャーとは「守護」を意味し、その名の通り五護陀羅尼は守護的性格の強い陀羅尼経典であり、その機能や功徳は、後に神格化された際にも引き継がれている。経典の正確な成立年代や、特定の5 つの陀羅尼経典がまとめられた経緯、神格化に至った理由については未だ明確ではなく、今後の研究課題としたい。