平成21年6月27日 東洋大学白山校舎6311教室
平成21年6月27日 東洋大学白山校舎6311教室
神道における感謝の心と生命倫理における意義
―とくに自然療法・生物学・死生学との関連で―
中里 巧 研究員
神道において「感謝」という概念は 、 中核に位置する 概念である 。 その意義は 、 神道の発端であるアニミズムの原初形態か ら変わらない 。 私たちは 、 感謝ということが漠然とよいことであると は知っていても 、 それがどのように学問の世界において取り上げられ 応用されているか 、 ないしはそもそも応用可能なのか 、 きわめてあい まいである 。本発表においては、生命倫理学という観点から、感謝と いう概念を 、 自然療法(進藤義晴・東城百合子)。生物学(村上和雄)・ 死生学とりわけターミナルケア川(竹文夫・土橋重隆。本田美奈子) の各事例をとおして 、 如何に感謝という概念が日常生活の現場におい て意義をもっているかを示すことにする。
第1章教派神道における「感謝」の念―金光教の立場から
1 「おかげ」という概念が金光教理に提示されている。この「お かげ」が感謝にあたる。興味深い点は、「おかげ」が日常的な心情で あり 、 表層意識的自覚的なレベル以上に深い深層意識にまで降り立っ た深い発露だということである。有り難いという心情は、何に対して 有り難いのかという悟性的反省以前の心情である。むしろ有り難いと いう心情をとおして 、 神々・人々・事物・自然などの存在する日常の 周囲世界に向けて 、 有り難さ が投影されるのである。
第2章自然療法
1 進藤義晴冷え取り療法 身体論や人間観は、漢方の 五臓六腑をもとにしており 、 心情論が展開されている。そ の理想は 、 感謝の念である。
2 東城百合子の自然(食 事)療法 「お天道様」という表現が、「あなたと健康」という雑誌に毎 回のように出てくる 。 素朴な 神道観に根ざした自然観がこの自然療法を支えている。その骨子は穀 物や野菜を中心とする食事療法であるが、食事療法が厳密に遵守されても 、 マイナス感情が主体の人間は 、 病気から自由になれないと語られている。
第3章生物学の立場から
1 村上和雄の遺伝子oao職理論
われわれの生活に優位な遺伝子への切り替えは 、プラス感情による という心情論が展開されている。その心情とは、「生かされている」 ということに対する有り難さに他ならないとされる。
2 安保徹の免疫学理論
安保免疫学に拠れば、交感神経優位から副交感神経優位へ切り替え ることが 、 とりわけ癌を克服する道である。そのきわみは、プラス感 情であり 、 感謝の念である 。
第三章ターミナルケアの立場から―とくに本田美奈子の事例に 着目する―
1 川竹文夫
氏は 、 腎臓癌の終末期患者であったが、自然療法により癌が自然退 縮した経験を持つ 。 現在補完療法のNPO法人の代表となっている。 氏は 、 自らおよび自然退縮事例患者らの考察を通して、「生かされて いる」ことから発露するプラス感情を、重視する。
2.土橋重隆
氏は 、 臨床医師として多数の終末期癌患者の治療を行ってきた。そ の経験から 、 村上仮説に基づいて感謝の念の重要性を指摘する。
3.本田美奈子
2005年11月に急性骨髄性染色体異常自血病により38歳で 亡くなった歌手である。氏は、2004年12月に身体の異常を自覚 し 、 2005年1月から亡くなるまで 、 延命治療を続けた 。 その闘病中 、 自らよりも周囲の人たちへ配慮と愛情を注ぎ、多大の感銘を与え た 。 また 、 氏のクラシック歌手としての持ち歌の歌詞は、幸福・悲しみ・励まし・感謝・笑顔・平和などの言葉に共通性が見られ、その闘 病中の周囲への配慮も、そうした言葉そのものであった。延命治療で あったため 、 過酷な葛藤が内面にあったと容易に想像されるが、氏は 最晩年、生命が死に対立するものではなく、死をも超克するものであ り 、 生命が生命をしか産出しないという確信をもつにいたった。闘病中 、 無菌室の中で「笑顔」や「ありがとう」といった詩をノートして いる 。 多大の感銘を与えたのは 、 葛藤のなかにありながらもこうした プラス感情や感謝の念を忘れなかった死の生き様にある。
用言の使用から見た樋口一葉の小説作品における文体
田貝 和子 客員研究員
樋口一葉の文体は 、 一般に「雅俗折哀体」と言われている。明治20年から明治40年までの同時代女流作家18作品の調査では 、 期間 を3期に分類することができる(「明治女流作家の文体―‐文末表現 を中心に――」文『学論藻』第80号一1006年)。第1期は地の文、 会話文とも文語文であり 、 第2期は地の文は文語文 、 会話文は国語文 である 。 第3期は地の文 、 会話文ともに会話文である。
樋口一葉の文章をこの調査の時期と照らし合わせてみると 、 第2期 にあたる 。 第2期は 、 文語から口語への移行期であり 、 注目すべき時 期である 。 第2期にあたる作家の一人として 、 樋口一葉の小説作品を 調査していくが 、 その1つの 試みとして用言の調査を行っ た。
それぞれの作品の延べ語数 地の文、心中思惟等、会昴鋼力話文に分けて調べた。全作品の用言の延べ語数は、293,665語である。全作品の地の分はは13967語で46.9% 、 心中思惟等は5人 31 語で25.0% 、 会話文は9578語で28.1%であり 、 作品により差があるが、地の 文が半数程度であり、心中思惟等、会話文が4分の1ずつである。文の量は調査していないが、この用言の延べ語数によって、だいたいの 文の量を把握することができる。
そしてその中で 、 動詞について音便化の様子を調査した。動詞にお いての音便化は 、 4(5)段活用の連用形において発生するものであ る 。 具体的には 、 力・ガ・夕。ナ・バ・マ・ラ・ワ(ア)の行におい て 、 「て」や「た」を下接した場合に起こるのである。その調査対象 語は 、 全体で2618語である。その中で音便化しているものは、1486語であり 、 56.8%と半数以上が音便化していることがわか る 。全体としての地の文は1140語中351語の27.1%、心中 思惟等は467語中294語の63.0% 、 会話文は1011語中841語の83.2%である。
作品毎に見ていくと 、 初期作品は音便形が少なく、後期作品になる につれ音、便形が多くなっていくことがわかる。また、「たま欅」など、 初期の作品は 、 会話文においても音便形を用いずに 、 古めかしい表現 となっている。十二作品目の「大つごもり」以降は、会話文は殆ど音 便形を用いている。心中思惟等においても同じ傾向にある。それが、 17作品目「にごりえ」以降の作品では地、の文においても、六人生% と7割程度が音便形となっている。
この調査結果は 、 拙稿「樋口一葉の小説作品における時の助動詞に ついて」(『日本近代語研究4』ひつじ書房2005)での結果と一 致する。つまり、文体の変化は「にごりえ」を境に顕著なのである。