2021年度 公開講演会 発表報告
開催日:2021年12月4日 場所:オンライン
2021年度 公開講演会 発表報告
開催日:2021年12月4日 場所:オンライン
パーリ・コスモポリス
─「大乗仏教」と「上座部仏教」を再考する─
講演者:馬場 紀寿 氏(東京大学東洋文化研究所教授)
本年度の研究所主催の公開講演会は渡辺章悟研究所長が開会および閉会の挨拶、馬場紀寿氏の紹介を務めた。講演の後の質疑応答では、仏典のサンスクリット化、シンハラ化や説一切有部における大乗の特色について、バーリ仏典は新しい仏典ではないか、という質問に対する応答など、詳細な議論が展開された。講演会終了後も、参会者を交えてのオンラインでの質疑応答・意見交流がなされた。
〔講演要旨〕
「大乗仏教」(Mahāyāna Buddhism)と「上座部仏教」(TheravādaBuddhism)は、近代に創られた概念であって、前近代の文献にこうした呼称は全く現れない。それを仏典に出てくる「大乗」と「上座部」に言い換えても、近代に成立した二分法を両概念に反映させるかぎり、問題は何も変わらない。インド仏教史を研究する際には、「大乗仏教/上座部仏教」という分類概念を用いて仏教文献を捉えるのではなく、むしろどのような歴史的背景から「大乗仏教/上座部仏教」という枠組みが出てきたのかを検討する必要がある。
四世紀、サンスクリット語が北インドに成立したグプタ朝で政治の言語に採用されると、南インドや東南アジアにおいても文化的覇権を獲得した。南アジアと東南アジアでは、サンスクリット文法学、サンスクリット法典、サンスクリット語の美文学、二大叙事詩、仏教とヒンドゥー教のサンスクリット聖典が共有されるようになった。このサンスクリット語の国際空間をインド学者シェルドン・ポロックは「サンスクリット・コスモポリス」と呼ぶ。
サンスクリット化の波はスリランカにも及び、『宝篋印経』『金剛頂経』『二万五千頌般若経』のようなサンスクリット大乗経典が上座部の僧院(無畏山寺や祇多林寺)で伝承されていた。それに対して、大寺という僧院は、サンスクリット語による仏典(ブッダの言葉)の伝承に抵抗し、パーリ語こそ三蔵の伝承にふさわしい言語であるというパーリ語原理主義を打ち出し、大乗を斥けた。
12世紀には、王権の主導により、事実上、スリランカの大乗受容派が大寺派に併合された。13世紀から15世紀にかけて、スコータイ朝(タイ北部)、ラーサーン朝(ラオス)、アユタヤ朝(タイ)、アンコール朝(カンボジア)、ペグー朝(ミャンマー)が次々と改革後のスリランカ仏教を受容していく。こうしてパーリ語を聖なる言語として共有する国際空間、「パーリ・コスモポリス」が成立した。19世紀になるとサンスクリット仏典とパーリ仏典という仏典言語の相違に基づいて「北方仏教/南方仏教」という分類概念が生まれ、それが「大乗仏教/小乗仏教」と言い換えられ、「小乗仏教」が「上座部仏教」に言い換えられて、「大乗仏教/上座部仏教」という二分法が成立したのである。なお、本講演の詳細は、2022年に出版予定の拙著、『仏教の正統と異端 パーリ・コスモポリスの成立』(東京大学出版会)で発表する予定である。