2017年度 公開講演会 発表報告
開催日:2017年12月9日 場所:東洋大学白山キャンパス 1601教室
2017年度 公開講演会 発表報告
開催日:2017年12月9日 場所:東洋大学白山キャンパス 1601教室
金子みすゞを読む―作品生成の磁場を求めて―
講演者:馬渡 憲三郎 氏(元 相模女子大学教授)
〔講演要旨〕
金子みすゞの、ほぼ全貌に近い詩業は、矢崎節夫氏の熱意による『金子みすゞ全集』(JURA出版局、1984・8)の刊行と、それをとりあげたメディアによって、広く知られるようになった。ちなみに、朝日新聞は昭和五十八年十二月十四日に、「よみがえる幻の童謡詩人」として遺稿の手帳やみすゞの写真を掲載しているし、さらに同紙は翌年五月三十日(夕刊)でも、「よみがえる幻の童謡詩人」として、三篇の作品「3篇の「大漁」「木」「繭と墓」とみすゞの写真を掲載している。さらに近いところでは、東日本大震災時にACJAPANから流された作品「こだまでせうか」は、記憶に新しい。
ところで、多くの人に愛読されるみすゞ作品の特性は、詩集「美しい町」を中心に考えるとすれば、いくつかの視点が見えてくる。たとえば、①時間意識、②表現対象の見立て、③なりたい願望、④未知への憧憬、⑤孤独感と疎外感、⑥消失感と喪失感、⑦擬人化のリアリズムなどがあげられる。もちろん、一作品がこれらのうちのどれかひとつだけで創作されているわけではなく、作品によっては複数の傾向を同時にかかえこんでいる場合もある。
いま、具体的にそれぞれの傾向を示す作品を一、二編ずつあげるとすれば、①は「木」「蓮と鶏」、②は「砂(すな)の王国(わうこく)」「障子」、③は「雲」「打(うち)出(で)の小槌(こづち)」、④は「空(そら)のあちら」「山いくつ」、⑤は「小さなうたがひ」「はつ秋」、⑥は「芝居(しばゐ)小屋(ごや)」、⑦は「月と雲」などである。
しかし、これらの傾向は、金子みすゞに限った特性というよりは、童謡などにはよく見られるものだろう。みすゞの特性は、「美しい町」や「田舎の繪」、さらには「不思議な港」や「きのふの山車」などにみられる〈表現の二重性〉とでもよべそうなことにある。「美しい町」は全十二行からなる四連構成の作品であるが、第一連から第四連までは、「美しい町」の風景が表現されている。最終連である第五連は、「さうして、私(わたし)は何(なに)してた。/思(おも)ひ出(だ)せぬとおもつたら、/それは、たれかに借(か)りてゐた(りていた)、/御本(ごほん)の挿繪(さしえ)でありました。」と表現されるのである。
ここには、第一連から第四連までの〈私〉と、その〈私〉を表現する第五連のもうひとりの〈私〉との、二重性によって成り立っている。その二重性に、先に上げた①の時間意識が加味されるとき、金子みすゞの作品は、童謡から詩への移行の可能性を示しているように思われる。
そうした問題と関連して、西条八十、雑誌「童話」などにも言及してみたいと思う。