2015年度 講演講演会 発表報告
開催日:2015年11月14日 場所:東洋大学白山キャンパス125記念ホール
2015年度 講演講演会 発表報告
開催日:2015年11月14日 場所:東洋大学白山キャンパス125記念ホール
震災と文学
講演者:千葉正昭 氏(山形県立米沢女子短期大学教授)
〔講演要旨〕
その時五階建てのビルが激しく揺れた。それまで体験したことのない揺れで、このまま床が抜けビルが崩壊するのではないかという危惧が心をよぎった。当時筆者は、地理的にいうと仙台市の南隣りで、海岸では大変な被害を出した閖上という街を抱える名取市の仙台高等専門学校にいた。筆者は教員という職業柄、五年間の文学が、この震災をどう相対化してきたかという問題に関心を寄せた。
震災が起きた平成二十三年十一月に高橋源一郎は、『恋する原発』(講談社)を発表。これはアダルトビデオという公式化された性媒体と原発は安全だという神話を重ねた戯画化した物語として当時話題を呼んだ。
翌二十四年二月には、外岡秀俊が『震災と原発国家の過ち』(朝日新書)で、カフカ『城』を引用し、原発を〈城〉に見立て、安全神話を〈目に見えない掟〉に読み換えても違和感がないと主張した。
更に平成二十五年三月には、いとうせいこうが『想像ラジオ』(河出書房新社)を刊行。「死者と生者が抱きしめあっている時空」(星野智幸・解説)の不思議な世界を紡ぐのに成功する。同年七月には、池澤夏樹が『終わりと始まり』(朝日新聞出版)で、震災に関わる多面体的な問題を提起したが、その中で電力選びのそれは、我々日本人に再考を迫るものであった。やがて被災した人々の心のありようにも目を向ける作品も出てくる。真山仁『そして、星の輝く夜がくる』(平成二十六年三月、講談社)は、かつて兵庫県で大地震に見舞われた教員が、自ら志願して三陸海岸の小学校に応援職員として赴任する。そこで主人公の教員は、関西人特有の気質で土地の子供たちに、我慢せず、泣きたいときには泣き、叫びたい場合には主張しろと説いた。
この被災地での沈黙、我慢、粘りという心性は、被災者に様々なゆがみと葛藤のドラマをも作り出す。避難した人々のその後は、どうなったのかと問い掛けたのが垣谷美雨『避難所』(平成二十六年十二月、新潮社)である。ここでは女性という立場の避難所での窮屈さと、離婚、死別、夫の暴力からの解放というめぐりあわせの三人の共同生活に一筋の明るさが示される。
しかし、やはりこの東日本大震災の一番の問題は、原発だろう。前述したもの以外に川村湊が『震災・原発文学論』(平成二十五年三月、インパクト出版会)を上梓する。が、やはり平成二十八年春の段階では福島県に住む玄侑宗久の『光の山』(平成二十五年九月、新潮社)が、一つの到達点と示したのではないか。これは寓意小説で震災三十年後の福島浜通りが舞台である。爺さんが汚染された土や枯葉を自分の敷地に積み上げ置き場とする。この爺さんが死亡した後汚染された枯葉の上で荼毘に付すと不思議な光が発し、多くの人々がここをホーシャノーツアーと称して有難がって参拝するという結末である。ここには風刺と揶揄が盛り込まれている。
そして平成二十七年十一月に、小山鉄郎が『大変を生きる』(作品社)で、文学作品から災害と日本人の関係を解説したものを刊行する。