2013年度 公開講演会 発表報告
開催日:2013年12月7日 場所:東洋大学白山キャンパス 5104教室
2013年度 公開講演会 発表報告
開催日:2013年12月7日 場所:東洋大学白山キャンパス 5104教室
海外における日本文学の評価をめぐって
――川端・大江・村上を中心に ――
講演者:山中 正樹 氏(創価大学文学部教授)
〔講演要旨〕
二〇〇二年三月、日本学術会議の主催で開かれた「ノーベル賞一〇〇周年記念国際フォーラム」において、ノーベル文学委員会委員長のシェル・エスプマルク氏は「ノーベル文学賞の選考基準」と題して講演した。アルフレッド・ノーベルが要求した条件は、〈候補者は「人類の福祉に最大の貢献」を行っていなければならず、文学賞は特に、「理想的な方向性」の条件を満たしていなければならない〉というものであり、この〈「理想的な方向性」〉をめぐってはそれぞれの時期によって様々な解釈があり、それが受賞者の選定に大きく影響したことを明かした。
一九八〇年代中頃からは「新人発掘」の流れがあり、ヨーロッパ言語以外の作家で最初に受賞したのが一九六八年の川端康成であった(「月刊 学術の動向」二〇〇二年七月号)。川端のノーベル文学賞受賞は、日本(東洋)の「伝統的な美を表現している」との評価によってなされたと、これまで一般に考えられてきた。しかし川端の受賞の理由は、本当にそれだけだったのか。日本人として二人目の受賞者となったのが、一九九四年の大江健三郎である。大江は、受賞記念講演「あいまいな日本の私」の中で、二六年前の川端の受賞講演「美しい日本の私」は、川端〈独自の神秘主義〉を語ったものである。〈言語による心理表現の不可能性を主張している〉道元・明恵の道歌によってしか〈川端は自分の生きる世界と文学について、つまり「美しい日本の私」について語ることはできなかった〉(岩波新書)と、川端の述べた「美しい日本」と日本の伝統的な精神世界を完全に否定した。
大江には「人間主義者」としての自らの立場や、開かれた日本の要請というグローバル化の背景もあったろう。しかし大江の川端文学への批判は、世界からの評価に裏打ちされたものであったのか。「分かりにくい」ということだけで、日本文化を否定してよいものなのか。大江による、川端と伝統的な日本の否定は、はたして当を得たものだったのだろうか。
川端の代表作である「雪国」が英訳され、アメリカで出版されたのは一九五七年一月。当時のアメリカでの批評について、日本文学の海外での受容に詳しい武田勝彦氏は〈ニューヨークの一流新聞の一つは、「美と珍奇性(beauty and strangeness) にあふれた作品であり、アメリカで出版された日本の翻訳小説中もっともすぐれた、感動的な作品である」と評した。〔中略〕これらの批評に共通の賛辞は、美の追求の深さと感覚的形象の豊かさという二つに集約し得る〉(村松定孝・武田勝彦『海外における日本文学研究』昭和四三年四月 早稲田大学出版部)と述べ、「雪国」が日本的な要素からではなく、作品の持つ技巧と芸術性に拠って評価されていた事実を明らかにしている。
昨今では、日本人三人目の文学賞受賞候補者として村上春樹の名が挙げられている。村上文学は世界中で高く評価されているが、その要因は何か。
臨床心理士の岩宮恵子氏は、村上春樹が小説を書く行為を〈自己治療的行為〉と述べたことに注目しながら、〈作家が自分の内側にどこまでも入り込み、その中でメッセージを探し出し、それを物語として生み出していくプロセスと、心理療法の中で治験者との関係に支えられたクライエント(相談者)が自分の内側にひそんでいる自分自身の物語を見出し、その物語を生きていくことは、どこかでとても似ている〉(『思春期をめぐる冒険―心理療法と村上春樹の世界―』日本評論社 平成一六年五月)として、村上春樹の描く世界が〈「本当の自分の内側」の次元〉を捉えたものであると述べている。
すなわち村上春樹の文学世界は、「日本的」とか「グローバリズム」といった次元を超えて、感覚では捉えられない「人間の深層」を炙りだしていたのである。これは人類共通の問題であり、そこに村上文学が世界文学として高く評価される原因があるのだろう。