ブッダをどのように見るのか ―仏身論の形成と展開―
渡辺 章悟 客員研究員
ブッダをどのように見るのか ―仏身論の形成と展開―
渡辺 章悟 客員研究員
仏教はブッダの足跡を追随する宗教である。ブッダとは何か、ブッダのさとりとはどのようなものなのか。その追求が仏教の展開そのものであり、その中核をなすブッダの見方が仏身論を形成したといえる。本発表では初期仏教のブッダの呼称から、部派仏教のブッダ観を踏まえながら、大乗の仏身論がどのように展開していったのかを、不浄観、法身観、修行道論との関係にトピックを当てて検討した。今回の研究発表の内容は、以下のような骨子からなる。
初期仏典中のブッダの姿
ブッダという呼称
ブッダの象徴表現
ブッダとみなされる仏塔<ブッダの属性が染み込んだシャリーラ>
仏(ブッダ)から法(ダルマ)へ
初期大乗経典における仏身論の形成
仏を観る
如来身から法身へ<大乗仏身論の形成>
色身と法身
仏身論の展開
十地の体系の中でとらえられる法身
三身論と多様な仏身論
大乗論書の三身説
特に中心になるのは、初期仏教の「法を見るものは我(仏)を見る、我(仏)を見るものは法を見る」という表現が『稲芉経』などの大乗経典へ継承されていくこと、つまり初期仏教から部派仏教、大乗仏教へという分断(相違)ではなく、連続した仏身観でとらえるべきことを主張するものである。さらに、仏身論の展開を見るものとして、幾つかの大乗経典の仏身論の用例を検討した。
まず、般若経の色身(rūpa-kāya)と法身(dharma-kāya)の二身説が次第に形成されてゆく過程、特に無名の十地説において第八地の菩薩が仏身を観察することを法身の観察と言い換えてゆくこと、また法身が複数で表記される意味とその用法の変化などを検討した。
次いで、法華経の仏身論として、久遠のブッダとしての法身、三十三の観音菩薩の変化の第一がブッダであること、変化身の成立などについて論じた。その他の大乗経典の仏身観については、時間の都合上、言及できなかったので、別の機会に期することにしたい。