『ヴァールシュネーヤ・アディヤートマ』における胎生論
髙橋 健二 研究員
『ヴァールシュネーヤ・アディヤートマ』における胎生論
髙橋 健二 研究員
本発表では、古代インド叙事詩『マハーバーラタ』第12巻に収められている初期サーンキヤ教説群の一つである『ヴァールシュネーヤ・アディヤートマ』に見られる胎生学的展開説の分析し、その思想史的意義を検証した。
本教説では、性的欲求やさまざまな対象に対する欲求を制御することの重要性が度々強調されるが、胎生学的展開説は、特に性的欲求によってどのような苦しみの連鎖が生じるのかを説明するために導入される。『ヴァールシュネーヤ・アディヤートマ』では、男性の自我意識に欲求が生じ、その男性は女性と性的関係を持ち、そしてその男性の自我意識および欲求が胎児に受け継がれる、とされる。そして、胎児の自我意識において諸々の感覚対象に対する欲求が生まれることで、感覚対象を享受するための感覚器官が発生するとされる。また父親の性的欲求や胎児の感覚対象に対する欲求は、三つのグナのうち、特に激質に結び付けられている。
この世界の始原や現象世界の成り立ちを胎児の原始的欲求から説明しようとする教説は、古代インドでは古く『リグ・ヴェーダ』にも見られる。『ヴァールシュネーヤ・アディヤートマ』の特徴は、胎生学的展開説を宇宙創造ではなく、特に個別的人間存在の関係において、後に発展する古典サーンキヤ哲学的教説の諸用語を用いて説明しようとする点にある。古典サーンキヤ哲学においては、特に諸原理の展開は、個別的人間存在における諸原理の関係性として説かれるが、本教説に見られる胎生学的展開説はその先駆けとしても理解できる。
また『ヴァールシュネーヤ・アディヤートマ』の同時代の医学文献である『チャラカ・サンヒター』にも胎生学的記述が見られる。『ヴァールシュネーヤ・アディヤートマ』の作者も一定のインド医学文献の知識があったことが知られているが、両文献における胎生学的記述にはいくつかの相違点がある。医学文献においては、胎児の自我や自我意識と父親の自我や自我意識は異なるものとして理解されているのに対して、『ヴァールシュネーヤ・アディヤートマ』は父親と胎児の自我の関係性が曖昧である。また医学文献においては、諸感覚器官の発生は胎児の欲求ではなく、さまざまな物質から生成したものと理解されているのに対して、『ヴァールシュネーヤ・アディヤートマ』では諸感覚器官の形成を胎児の欲求に帰する点にも特徴がある。