ヒンドゥー聖地カーマーキヤーの縁起譚再考
ヒンドゥー聖地カーマーキヤーの縁起譚再考
宮本 久義 客員研究員
インド北東部のアッサム州に位置するヒンドゥー教の重要な聖地カーマーキヤー(Kāmākhyā)に関して、二〇二三年にその縁起譚を『カーリカー・プラーナ』から試訳し、『東洋学研究』第六十号に発表した。また、同年十一月に、本研究所の二〇二三年度第三回研究発表例会で、「ヒンドゥー教における女神信仰の展開―聖地カーマーキヤーの縁起譚を中心にして―」のテーマで口頭発表したが、その後、いくつかの資料を見る機会があり、再度この問題について考察する必要があると考えた。本発表では十分な考察はできなかったが、今後女神の特徴と聖地の概要についての研究を進めるための整理は行えたかと思う。
最初に二〇一一年三月に行った現地調査を振り返り、この聖地の特徴を指摘した。本聖地はインドに五十一か所ある「女神の座」の筆頭であり、女神の女性器を御本尊とするなど極めて特異な聖地である。御神体は眼に見えず、その代わりに経血に見立てられた赤い水が湛えられた水盤に多くの花が捧げられている。御本尊は水面下に隠れている岩という説もあるが、実際には眼に見えない、すなわち具体物のない象徴を礼拝するのは、ヒンドゥー教信仰のなかでは稀有の事例であろう。また、ヒンドゥー教の多くの聖地では動物犠牲がなくなったが、ここでは水牛、山羊、鳩の犠牲が捧げられ、さらに特別の祭礼の日には、アヒルやトカゲなども捧げられているという。この地でまだ犠牲が盛んな理由は、アッサムというインド東部の辺境の場所で、なおかつ、タントラ(密教)思想と深い結びつきがあるためであろう。
次に、カーマーキヤー崇拝にいたるまでのヒンドゥー教における女神崇拝の変遷を概観したあと、十~十一世紀頃に編纂された『カーリカー・プラーナ』(Kālikāpurāṇa)第六十二章に描写されるカーマーキヤー女神とその聖地の特徴を解説した。この部分は昨年度の発表と重なるので、今年度の発表では省略した。
最後に今後の研究の展望を二、三点あげた。一つは仏教タントラとの関係を精査することの必要性である。『カーリカー・プラーナ』の縁起譚に影響を与えた『デーヴィーマーハートミヤ』(八世紀頃)の宗教思想は東インドやネパールへ広がっていったことはよく知られているが、いつ頃にどのような形で伝播したのかが十分に解明されていない。また、『カーリカー・プラーナ』全体を精査する必要がある。同聖典の研究で博士論文を提出しているKarel Rijk van Kooijによれば、シャイヴァ的要素を持つ神々や女神の要素がヴァイシュナヴァ的に置き換えられたり、さらにはブラフマー神の周期的世界観に基づく世界の終末と再創造を示唆する描写があるという。以上のような問題をどのように理解したらよいか、今後の課題にしたい。