武井正教「課題的生の時間的行為体系としての歴史に於ける天皇の研究」を読む
松野 智章 客員研究員
武井正教「課題的生の時間的行為体系としての歴史に於ける天皇の研究」を読む
松野 智章 客員研究員
戦後日本における世界史教育の第一人者である武井正教氏(1922-2016)から氏の晩年に、発表者は氏の手書きの論文のコピーを頂いた。論文は戦中に企図され、戦後すぐに執筆された。この論文は、武井氏の卒業論文であるが1948年に文部省人文科学部門研究奨励論文として奨励金を受領している。本発表は、この論文の一部分でも一般の目に触れることのできる資料として残すことを目的としつつ、氏の天皇研究の意義を考察したものである。
この論文に辻善之助が興味を持ったということもあり、辻の自宅に武井氏が伺って、そこで指導を受けていたという。辻は『皇室と日本精神』(1936)を著しており、「天皇」を論じるこの論文に興味をいだくのは想像に難くない。また、武井氏自身も辻の影響を少なからず受けていたように思われる。辻は「立憲政治は固より西洋思想を採入れたものであり、西洋思想の影響を受けたものであるけれども、國體の根本精神は依然として不變である。かやうに國體觀念の發達に種々の變遷はあつたけれども、その主義に於ては少しも變りはない、而も年を經ると共に益々磨かれて來た」(『皇室と日本精神』20頁)と述べている。武井氏の概念枠も同じである。そこから日本哲学として構造分析を試みた内容になっている。
武井氏の論理展開の骨子を並べるなら、以下の通りになる。
1、地縁血縁に基づく生活の歴史が国史である。
2、生活共同体を共同体として基礎づける存在が「天皇」である。
3、人間である「天皇人」は肩書としての天皇の役割「天皇位」を自覚する。
4、天皇の存在価値は「徳」にあり、これは儒教の影響如何に系わらず天皇の本質的特徴である。
5、この徳は「孝」となり、皇祖皇宗を尊ぶ。故に、結果として萬世一系という歴史的事実と生む。
つまり、武井氏は日本的思考の志向性を明示化して、史実としての天皇存在の解明を試みたのである。最後に武井氏の論文の結論箇所を引用をしよう。
斯くて天皇人の形成に於ける根本態度に於て、共同体構造的總体と天皇祖(天皇人としての血縁的祖)を結びの中に一貫性を成立させてゐることを確認出来た訳である。而して斯る自覚的統一の帰趨に文化が流入されても論理性が変わらなかつたと云ふことを見逃してはならない。又この一貫的形成の展開の史実を、血統性を契機としてゐることを忘れてはなりたたない。而して若もこの一貫的形成の不可思議さを思ひ、それを世界の史実と対比し誇張することや、又他の史実にみて単に不可思議なるとしてこれを観念的とすることもあたらない。(309頁)
武井氏自身が目指していた「新憲法第一條の立場への資料」(9頁)というように、客観的に天皇制度を捉えた独自性のある論考である。書かれた時代による読み難さはあるが、今日だからこそ、改めて読み直されるべき価値のある論文と言えるだろう。