『熊野教化集』に見る女性教化者とその内容 -物語の「女房」は聴衆に何を語るか-
板敷 真純 奨励研究員
『熊野教化集』に見る女性教化者とその内容 -物語の「女房」は聴衆に何を語るか-
板敷 真純 奨励研究員
中世真宗では多数の女性教化者の活動が見られる。例えば『親鸞聖人門侶交名牒』には親鸞(1173-1273)直弟の尼法仏(?-?)の名前が記され、横曽根門徒は性信(1187-1275)の後、娘の証智尼(?-?)が二代目指導者となっている。このように主体的な女性の活躍が見られるのは、中世仏教史においても珍しい事例である。本発表で用いる『熊野教化集』という物語の最古のものは本願寺存如(1396-1457)の書写本で、全国に多数の書写本が現存している。その中でも特に新潟県浄興寺本、石川県専光寺本、天然浄祐書写本、滋賀県深光寺本などが見られることから、中世初期から真宗内で全国的に流布していたものであることが推察される。
また本書の物語は熊野神社の落慶法要に参加していた聴衆が、登場人物の一人である「女房」に多数の質問をし、この女房がそれらの問いに対し回答を行うのが大筋である。その質問は熊野権現と阿弥陀仏の関係、諸菩薩と阿弥陀仏との関係、物忌みや穢の影響など多岐に渡る。先行研究では、このような物語形式・問答形式などの平易な文章で教えを伝えるものを「談義本」と定義している。「談義本」とは法話をする際の台本、教材などのことで、「耳近(耳ぢか)」の聖教とも呼ばれた。真宗では本願寺覚如(1271-1351)の頃には既に見られ、中世において教化に資する目的で多数製作された。このように本書は女性の教化の姿が表れるという点で非常に貴重な史料である。
もともと中世女性史研究において、脇田晴子氏は中世の女性が救済の対象にのみ留まっていたかどうかは今後に大きく問題を投げかけるものとしている。しかしこの問題は必ずしも解決しているとは言えない。本書は長年問題であった救済者としての女性が主軸の物語であり、この問題を検討する上で非常に適したものと思われる。
また当日の発表ではパワーポイントを準備し尼法仏の名前が確認出来る『親鸞聖人門侶交名牒』の写真や、証智尼座像の写真を用意した。さらに『熊野教化集』の六点の問答の内容をまとめたスライドも準備した。
本発表において『熊野教化集』の内容について検討した結果、以下のことが分かった。本書の内容を見る限り、少なくとも本書の作者が女性を被救済者とする意識は見られない。本書は逆に登場人物の女性の念仏教化成功を打ち出しており、教化に資する談義本の作者も女性の教化者を好意的に受け止めていたということを意味するものと思われる。
以上、『熊野教化集』という物語内の「女房」の教化を中心にその作者の意識について見てきた。ただ本書の内容に問題が無いというわけではない。特に本書の特異な女性往生観は今後さらに検討が必要である。これらのことは今後の課題としたい。