井上円了の明治24年四国巡講について
出野 尚紀 客員研究員
井上円了の明治24年四国巡講について
出野 尚紀 客員研究員
本報告は、井上円了が明治23年11月から始めた全国巡講活動の第2回目にあたる、24年1月31日から4月1日までの巡講について、現存する新聞を資料として提示するものである。
なぜ新聞を資料として、円了の巡講を調べたのかと言えば、円了の館主・学長時代の巡講は「館主巡回日記」としてまとめられているが、それは円了の主観によってまとめられたものである。これまで事実がキチンと綴られているという前提で巡講の研究が進められてきた。しかし、一点の資料に依拠するのでは、都合の悪いことは記されていないのではないのだろうか、あるいは、巡講で回った土地の周辺事情はどのようなものであったのかということが等閑視されているのではないだろうか、といった疑念を感じる。そこで、第三者的な視点を持つものとして当時の資料を活用することを思いついたのである。巡講地の人たちの日記も資料として活用できればさらに良いが、この回は見つけられなかったため、新聞のみを資料とする。
資料として調査した新聞紙は、扶桑新聞、新愛知、日出新聞、徳島日日新聞、土陽新聞、海南新聞、香川新報、神戸又新日報の8紙である。調査期間は各県の到着日の一ヶ月前から出発日の一週間後としたが、1月15日付けで哲学館から館主巡回の広告が出稿されたため、1月15日が1月よりも前の県についても1月15日以降とした。この期間内から、徳島日日新聞は30件、土陽新聞は1件、海南新聞は12件、香川新報は37件、神戸又新日報は1件の記事と広告を収集した。
81件の収集した資料から広告を除くと63件の記事があった。広告18件は、哲学館からの広告が2件、現地の主催者などからの広告が16件である。63件の記事を、内容から、①講演を予告するような記事、②巡講の目的や講演などの内容を伝える記事、③円了の動静を伝える記事、④円了の訪問によって派生したようなできごとを伝える記事、⑤開催に尽力した関係者の動静を記す記事、という5種に分類し、③と⑤はさらに、a活動を事前に記す記事であるか、b事後に報告する記事であるか、という分類をし、①、②、③a、③ab、③b、④、⑤aという7種類を得ることができた。上記の基準によって分類したところ、63件の記事は、①が9件、②が18件、③aが9件、③abが5件、③bが14件、④が7件、⑤aが1件となった。
「館主巡回日記」では予定通りのように記しているが、臨機応変的な旅程変更がおこなわれていたこと、連絡方法については電報を活用したことが記事にあった。円了は非常な歓待を受けたことが窺え、まだ洋行帰りの学者が講演しに来るということは珍しく、新聞読者層には大イベントなのであったと思われる。