ヴィマラミトラの『般若心経』後半部解釈 ―般若波羅蜜とマントラについて―
ヴィマラミトラの『般若心経』後半部解釈 ―般若波羅蜜とマントラについて―
堀内 俊郎 研究員
堀内研究員は「ヴィマラミトラの『般若心経』後半部解釈―般若波羅蜜とマントラについて―」と題した発表を行った。ヴィマラミトラ(8世紀、インド)の『般若心経』注は、インド人が大本の『般若心経』をどのように読んだのかを解明できるという点で興味深い。氏はまずヴィマラミトラによる『般若心経』解釈の大枠を簡潔に提示し、そのうえで、同論の後半部を『般若心経』の経文と対照させながら解読し、ヴィマラミトラが般若波羅蜜とマントラの関係をどのようにとらえていたのかを考察した。まず、『心経』の「心」を心呪と解釈して『心経』の本体はむしろマントラ(真言)部分だとし、『心経』は陀羅尼文献であるという説もあるが、それに対し、氏は、ヴィマラミトラは「心」を「核心essence」の意味で捉えていることを確認した。次に、その核心に当たるものが、八様相=三解脱門であることを指摘した。すなわち、玄奘訳『心経』では「是諸法空相」に続き、「不生、不滅、不垢、不淨、不増、不減」という 6 つの句が列挙される。他方、周知のとおり、インド・チベットの注釈は、空性・無相・不生・不滅などと、8 句と理解する。ヴィマラミトラはそれを「八様相」と呼び、精密な解釈を施す。さらに、ヴィマラミトラは、なぜ八様相のみが、しかもこの順序で説かれたのかという問いを設ける。従来その回答は逆に理解されてきたが、その要点は以下の通り。『心経』は般若波羅蜜の核心である。その般若波羅蜜の主要な意味は、空・無相・無願の三解脱門である。そして、その三解脱門が、『心経』の説く八様相に順序通りまた過不足なしに含まれるから、『心経』は八様相のみをこの順序で説いたのだというのが、ヴィマラミトラによる回答である。以上が『心経』の本体部であるが、続くマントラ部について、ヴィマラミトラが「般若波羅蜜こそがマントラ(真言、mantra)であると説くために」説かれたものだとしていることに注意が必要である。つまり、「般若波羅蜜=マントラ」という理解である。そして、マントラの語義解釈をいくつか提示するなか、氏は「秘匿された説示」という解釈に着目し、『心経』本体部とマントラ部に対するヴィマラミトラの解釈を以下のように分析した。般若波羅蜜は八様相に収斂するが、本体部で説かれたその八様相によって照見できない鈍根の者にとってはその般若波羅蜜は秘密の言葉(マントラ)のようである。しかし、そうであっても、彼らは般若波羅蜜を如実に把握すべきである、と。要するに、ヴィマラミトラによれば、『心経』の主眼はマントラ部ではなく、むしろ本体部分、八様相の部分である。それが「心」ということの意味であるから。